第19話 この後の予定

 午後六時に撮影を終えてビルを出ると、空は茜色に染まっていた。


 諒太郎、聖澤、神薙、柳川の四人は駅へと続く大通りを歩いている。ちなみに、今聖澤は眼鏡もマスクもしていない。他の四人はスタジオの近くにある別の駅から帰るらしく、先程別れた。


「リサってほんとに撮影会初めてだったの?」


「はい。もう緊張で緊張で」


「すごくいい表情してたよ。ねぇ、ヤナ」


「っす。自分も撮っててめっちゃ楽しかったっす」


 諒太郎は、興奮冷めやらぬといった様子で前を歩く女子三人を不思議な気持ちで見つめていた。


 さっきまで彼女たちは――カメラマンだった柳川を除く――たしかに大剣女子戦記のキャラクターとして存在していた。


 それが今じゃ街を歩く普通の女の子。


 その落差に、先程までの時間は夢だったのではないかという、気持ちいいのか悪いのかわからない浮遊感を抱いたのだ。


 駅に着くと、聖澤が話しかけてきた。


「ねぇ、ウタ」


 呼ばれた瞬間、諒太郎は聖澤を見る前に、横目で神薙の方を見た。神薙にはどうやら聞こえていないらしい。柳川となにか話している。


「なんだよ?」


「帰り一緒だし、時間もちょうどいいから、浜波駅着いたらどっかでご飯でも食べない?」


「え……」


 諒太郎は絶句した。


 え?


 なに言っちゃってんの?


 これはボケ?


 それとも天然?


「いや、一緒にって、ほら、朝」


「朝? ……あ、そうしようって決めたんだったね」


 学校のみんなに目撃される可能性をなくすために、わざわざ現地で待ち合わせという形にしたことを、聖澤も思い出したらしい。


「じゃあ、そっか、そうだったよね」


 聖澤は苦笑を浮かべ、スマホに視線を落とした。


「で、でももう遅いしさ、みんなも家に帰っ」


「悪い。そもそも無理なんだ。どうせ遅く帰ると思って、この後こっちで予定入れてる」


 諒太郎はこの時、少しだけ自分に違和感を覚えた。


 どうして最初から予定があると言わずに、朝のことを持ち出したのだろうと。


 それは、この後の予定が憂鬱なものだと決定しているからか。


 本当はいきたくないと思っているからか。


「そう……なんだ。それなら仕方ないね」


 顔を上げた聖澤は、引きつった笑みを浮かべていた。天井から吊るされている電光掲示板を見上げてから、柳川と神薙の方を向く。


「そろそろ電車だから、私もう帰ります。ヤナさん。カナタさん。今日は本当に楽しかったです。ありがとうございました」


「こちらこそっす。リサさん撮るのすごい楽しかったっす。また撮らせてくださいっす」


「当然また誘うよ。後でメッセージ送るね」


「はい! 今日は本当にありがとうございました。ウタもまたね!」


 聖澤は胸の前で手をひらひらとさせてから、後ろの改札に向かった。


 ああ、今確実に神薙もウタって言葉を聞いたな。


 改札を通り、人混みの中に消えていく聖澤を見ながら、諒太郎はそんなことを思っていた。


「自分も失礼するっす」


 柳川も、聖澤とは別の路線の改札へ消え、神薙と二人きりになった。


「じゃあ、私たちもいきましょうか」


 神薙は、隣にいる諒太郎を見もしない。


「ああ」


 諒太郎のこの後の予定は、神薙とご飯にいくこと。


 撮影の合間を見計らって、諒太郎から誘ったのだ。


 断られる可能性の方が高いと思っていたが、「わかった」と神薙は二つ返事で了承してくれた。


 それがかえって諒太郎には不気味に映っていたのだけど。


「なぁ、神薙?」


 駅前の横断歩道を渡りながら、諒太郎は口を開くが、


「今はやめときましょう。どうせこの後でゆっくり話すんだから」


 神薙は、やはり前を向いたまま歩き続けている。




  ***




 頼んでいたドリアが二人の前に置かれ、「ごゆっくりどうぞ」と店員が固い笑みを浮かべつつ去っていく。


 きっと裏で、「あのカップル超空気重いんですけどー、別れ話でもするんじゃね?」みたいな下世話な会話で盛り上がっていることだろう。


「いただきます」


 律儀に手を合わせた神薙がドリアを一口。


 諒太郎もスプーンを手に取ったが、スマホが震えたので先にメッセージを確認する。


《本当に最高の一日だった。ウタありがとう》


 聖澤からだった。


 自分が今、どんな顔をしてこの文章を読んでいるのか考えたくない。


 ウタ。


 ウタ。


 その声は必ず二重に聞こえる。


 聖澤と。


 ウヨと。


 もう呼んでくれる人などいなくなった、捨てた名前のはずだったのに。


「誰から?」


「え?」


 顔を上げると、水の入ったグラスを持った神薙がこちらを見ていた。


「ああ、聖澤から。今日のお礼のメッセージ。お前んとこにも来てんじゃね?」


「え、私は……あ、今来たかも」


 神薙がポケットからスマホを取り出した。画面を見て、少しだけ表情が緩む。聖澤からのメッセージを読んでいるのだろうか。続けて文字を入力し始めた神薙に、諒太郎は意を決して尋ねる。


「お前か? 俺の昔のあだ名がウタだって教えたの?」


「教えたって、誰に?」


 神薙はスマホを見続けている。


「誰って、聖澤に」


「リサに? ああ、そういえばウタって呼ばれてたね。さっき」


「しらばっくれるな」


「泰道諒太郎でウタ。偶然一致してもおかしくないくらいの単純さだと思うけど?」


 これ以上聞いても神薙が真実を教えてくれることはない。そう悟った諒太郎は、背もたれに寄りかかって天井を見上げた。


 そこから五分ほど、無言でドリアを食べ続けた。


 どちらも残りわずかとなったところで、神薙の手が止まる。


「私ね、今の成績、下から数えた方が早いの」

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