第9話 あ・な・た

 日曜日の朝。


 諒太郎はいつものように黒のジャケット、青のジーンズ、黒のリュックという格好で出かけることにした。


 この服装は、ファッションに全く興味のない諒太郎の一張羅だ。なんの服を着ればいいだろう? と悩む時間がもったいないと思っているからこそ、初めて女子の家にお呼ばれしたという状況でも、変に格好つけたりしない。かの有名なスティーブ・ジョブズも、朝、服を選ぶ時間が面倒だから同じ服しか着なかったそうでその考えに感銘を受けておりません全部うそですごめんなさい。めちゃくちゃなに着ていくかで悩みました。超寝不足です。


 あの日、図書準備室で聖澤に「うちに来てよ」と言われてから、諒太郎の心が本当の意味で落ち着くことはなかった。


 どれだけ独りぼっちを好んでいても、諒太郎だって一端の高校二年生だ。


 教室でいつのまにか聖澤の姿を追ってしまう自分が、図書準備室で見た彼女の下着の水色をいつだって思い出せてしまう自分が、悔しくてたまらなかった。


 ただ、その結果気がついたこともある。


 教室にいる彼女は、いつも誰かと一緒にいた。すごく楽しそうに友達と話したりふざけ合ったりしていたが、諒太郎はそれこそが彼女の悩みだと知っている。彼女の見せる笑顔が偽物なのだという視点で友達をじゃれあう聖澤を見ていると、どうしようもなくいたたまれなくなる。


 まあ、そんなことよりも、今は聖澤の家の前に立っているということがなにより重要なのだけど。


「ここ、でいいんだよな」


 彼女の家は、閑静な住宅街にある二階建ての一軒家だった。


 諒太郎の家から歩いて三十分ほど。


 玄関ポーチに立ちチャイムを押すと、中からどたどたという音がする。ってかほんとに今日親はいないんだよな? それはそれで問題な気がするけどさ。


「どうぞー。おはよー」


 ガチャリと扉が開くと、中からぎこちない笑顔を浮かべた聖澤が出てきた。白のTシャツにデニム生地の短パンというラフな格好。白くて健康的な足が輝いている。クローゼットにあるものを適当に引っ張り出してきたかのような服装に見えるが、聖澤は、それが自分の飾らない美しさを最大限引き出す格好だとわかって着ていると思う。


「ってか来る前にラインしてって言ったでしょ?」


「すまん。忘れてた」


「忘れるようなものじゃないでしょ。友達同士のラインって」


 聖澤は平然とそう言い放ったが、諒太郎はその言葉が持つ危険性にすぐに気がついた。


「俺がラインを忘れてたことを棚に上げて言うけど、それを正常だと思ってることが正常じゃないってことに早く気づけよ」


 指摘すると、聖澤は気まずそうに目を逸らした。


「でも、そうしないと無視したって思われるから」


「その程度で無視したなんて思う友達なんか、友達じゃないけどな」


「それはっ……そうかもしれないけど。友達いない人に友達論を語られても説得力ないからね」


 不満げに唇を尖らせた聖澤に言い返される。図星を突かれたことによるせめてもの反抗なのだろうが、諒太郎は瀕死寸前のダメージを負った。


「痛いとこつきやがるなお前は。俺はあえて一人を選んでんの」


「それ一番面倒くさいやつだよね? 一人はいいけど独りは嫌いってやつ」


「無駄に群れてることで悩んでるのはどこのどいつだったかな?」


「それは言うのなしだって。楽しい瞬間もあるにはあるから」


「じゃあ俺の友達関係に口出しすんなよ。それに、俺に友達がいないって言ったけど、だったらお前との関係はどう説明すんだよ。家に呼ぶような関係が友達じゃなくてなんだってんだよ」


「え?」


 首をかしげる聖澤を見て、不思議に思う。


 背後を自転車が通り過ぎる音がした。


「いやいや、なんでぽかんとすんだよ。お前が友達いないなんて言うから、お前がいるだろって話で」


「つまり泰道くんは私を友達だって思ってくれてるってこと?」


 聖澤が恥じらうように髪を右耳にかけながら、上目遣いで諒太郎を見る。


 それによって諒太郎は、今自分がクソ恥ずかしいこと言ったのだと理解した。


「それは……まあ、いろいろ話すようになったし、……お前が嫌なら別にいいけど」


「嫌じゃないよ。ありがとう。嬉しい」


 なぜか感謝された。気まずい空気が流れる。でもその気まずさは体が押しつぶされそうな重苦しさじゃなくて、皮膚がひりひりそわそわするような恥ずかしさを含んでいる。


「あ、でも熟年夫婦から友達になったってことは離婚したのか。悲しまないといけないのか」


「その流れよく覚えてたな!」


 ボケるためだけに図書準備室で話した時に出てきた『熟年夫婦』という単語を引っ張り出してきた聖澤に、もはや感心すら覚える。しかも聖澤のおとぼけ発言に諒太郎がツッコんだことで気まずさが緩和されていた。


 ま、こういう空気操作はリア充の得意分野ですよね。


 空気を支配して、その場の善悪すらも牛耳るのがカーストを上り詰める基本だし。


「まあいいや。とりあえず上がるぞ」


「おかえりなさいの間違いじゃないの? あ・な・た」


「だから熟年夫婦じゃねぇって言ってんだろ」


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