第6話 告白

 今日の朝はいつもと少しだけ違った。高校にいくのが楽しくなったとか、見える世界が百八十度変わったとか、そんな大それたことではない。なんとなく足取りが軽かった。今日の給食はカレーだ! とはしゃぐ小学生の感情に近いだろうか。そんなとるにたらない嬉しさを、諒太郎は感じている。


 聖澤と話せたことがそんなに嬉しかったのか。


 これまで学校で口を開くことなんて、授業中に先生にあてられた時くらいしかなかった。きっと心の中にたまっていた鬱屈したなにかが、少しだけ無くなったのだろう。


 教室につくと、聖澤はいつものメンバーとたむろして楽しげに話していた。諒太郎もいつものようにイヤフォンをして音楽を聴く。担任の鈴木が来てホームルームが始まり、午前中の授業、昼休み、午後の授業と過ぎていく。聖澤が話しかけてくるんじゃないか、なんて少しだけ思っていたが、目すら合わなかった。


 まあ、別に残念だと思わない。


 商店街の福引で白い玉が出てきた時の、ああ、やっぱりね、って感覚。


 第一、聖澤とは生活圏が違うのだ。もう話すことはないだろう。和沙とかいう女を救ったことによる感謝とお礼は済んだのだから、彼女とかかわる必要も理由ももう存在していない。


 放課後、諒太郎はジュースを買ってから帰ろうと、校門を出る前に食堂に向かった。入り口の前にある自動販売機で紙パックのヨーグルトジュースを買い、ストローを刺したところで。


「……ん?」


 食堂の裏側に消えていったのは、聖澤だった。


 あっちには生い茂った雑草しかないはずだが。


 それに、なんだか表情が曇っているように見えた。


 もう関係のない人になったはずだったが、彼女の影のある表情が妙に気になって、諒太郎は後をつけることにした。角を曲がったその先に、聖澤ともう一人男子学生がいるのが見えて、慌てて体をひっこめる。


 告白だ、とすぐにわかった。


 昨日の図書準備室でのことを思い出す。


 やっぱり、聖澤はモテるのだろう。


 可愛いし、場を和ますボケ発言もできる。きちんと感謝も告げられる。告白されない方がおかしい人材だ。


 さわやかな味わいのヨーグルトジュースを啜りながら、諒太郎は壁から顔だけ出して、告白の様子をうかがう。ちょうど男が告白の最後の言葉を言うところだった。塩顔、短髪で感じのよさそうな男。同じクラスにいたような気もする。


「だからさ、俺とつき合わね?」


 率直に、なんだか軽い感じの告白だなぁと思った。物陰からのぞき見している男がなにをずうずうしく評価してんだって感じだけど。


風間かざまくん。えっと、その」


 聖澤が気まずそうにしゃべり始める。この雰囲気は間違いない。あの風間ってやつ、フラれたな。かわいそうに。


「私は、その……ごめ」


「俺さ、聖澤さんの明るいとことかいつも笑ってるとことか優しいとこに惹かれたんだよね」


 風間は聖澤に「ごめんなさい」を言わせなかった。


 言葉をかぶせることで、告白を断らせなかった。


「試しに一週間だけつき合ってみるってのは? それくらいだったらいいじゃん」


「えっと、だからその」


 ストローから液体が吸えなくなったことで、紙パックが空になったのを知った。


加藤かとう山瀬やませも、それで結局半年続いてるしさ。聖澤にとっても悪い話じゃないと思うぜ。俺も結構モテるし」


「……わた、しは」


 諒太郎は、空の紙パックをくしゃと握りしめる。


「な? とりあえず一回だけ試しにつき合ってみねぇ? ってかそうしようぜ。よし決まり。今日から俺たちは彼氏彼女ってことで」


「あのさ」


 諒太郎は角から飛び出して、二人に近づいていく。


「そこらへんに俺の学生証飛んでこなかった? 風で飛ばされちゃって探してんだけど」


 平然と、たった今やってきたかのような態度で二人に話しかける。


 聖澤も風間もポカンとしていた。


「あれ、どうしたの? 俺の話聞こえてる?」


 そう言いつつ、諒太郎は聖澤と目を合わせる。


 すると、聖澤が怯えたように小さく首を振った。


 ま、そんなことだろうとは思ったけど。


 こいつはお人好しすぎる。


 諒太郎は心の中でため息をついた。それと同時に少しだけ安心というか、頼られたことに対して高揚している自分がいることにも気がついた。


「ってかさ」


 諒太郎はのそのそと二人の間に割って入る。しゃがんで学生証を探すふりをしながら、ちらりと風間を見上げた。


「強引なのはよくねぇと思うぞ。すっぱり諦めろ」


「なっ……」


 風間の顔が怒りなのか羞恥なのかわからないが赤くなる。彼にも人並みの意地やプライドがあったようで。


「そ、そうだね。ごめん聖澤さん。つい熱くなりすぎちゃって。怖かったよね」


 笑顔の仮面を張りつけて、聖澤に謝罪をした。


 つい、じゃねぇだろ。


 聖澤が断り切れないことを見越して意図的に圧をかけていたのは明白だが、そこを追及すると面倒なことになりかねないから放っておく。


「わ、私の方こそ、希望を持たせるような態度で、ごめん」


 聖澤が深々と頭を下げる。


「そっか。なら仕方ないね。それじゃあ今日はありがとう。聖澤さん」


 風間が去っていく。彼が振り返る間際に確実に睨まれたが、特にムカつくとかはない。こんなことで心を乱すなんて無駄すぎる。


「あ、あの泰道くん」


「ああ、お前よく見たら同じクラスの聖澤じゃん」


 諒太郎はあえて大きな声で言う。


「ちゃんと断れよ。あれくらい。男が期待するじゃん」


「え……あ、はい」


 呆然とする聖澤。諒太郎が初めて会ったかのような態度を取った真意を理解していないようだ。今度は聖澤にだけ聞こえるような声で説明する。


「あいつが建物の陰に隠れて聞いてるかもしれねぇ。ああいうやつは、俺たちが知り合いだって知ったら、変な勘違いしたり逆恨みしたりするかもしれねぇ」


「あ……」


「だからうなずくな。目も合わせようとするな」


 聖澤に真意を伝えた後、諒太郎はまた大きな声を出す。


「んじゃ。ってかなんで俺が悪者みたいになってんだよ。ほんとありえねぇから」


 あえて悪態をついてから、諒太郎はその場を立ち去った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る