第44話 4-6 失恋

俺は寮の扉を開ける。


「お帰り! 剣也!」

夏美が抱き着いてくる。

あの花火大会の日から俺たちは正式に付き合うことになった。

まだあの日のキス以上のことはできていないが、ハグぐらいは普通にする。

正直お互いわかっていた。もっと先に進みたいことを。


愛する男女が一つ屋根の下

当然何も起きないわけもなく、今日きっと俺たちは、ぐふふ


「なんかヤラシイ視線を感じるんだけど」

剣也の意図を感じた夏美は、剣也から離れる。

体を抱きながらまるで守るように、剣也をじとーっとした目で見つめる。


「い、いや。そんなこと思ってないよ」

すまない、嘘だ。めちゃくちゃ期待している。


「まぁいいや。 ねぇご飯にする? それともお風呂? それとも…」

そういって夏美は、上目遣いで、口に指をくわえながら誘ってくる。

いつからそんな子に育ったんですか。冗談だよな?

残念だったな、俺に冗談は通じないぞ。

剣也が、夏美に某怪盗三世よろしく、ダイブを噛まそうとする。


「あ! でも肉じゃが温めてもう用意しちゃったんだ。先にご飯ね。あれ? どうしたの剣也? 膝なんかついて」


「い、いや。なんでもない」

持ち上げるだけ持ち上げられてから落とす。新喜劇もびっくりのその落差には、剣也の膝が持たなかった。


二人は、夏美が用意した肉じゃがを食べた。

正直何度も食べているので、別に感動はしない。

昔からちょくちょく家に来て、うちの親と一緒に作っていた。

なので家庭の味というやつだ。箸が進む。


「あー、おいしかった。配給とはやっぱり違うな。ご馳走様!」


「はい、お粗末様でした」

夏美は笑って食器を片付ける。そして俺も手伝う。これが同棲か、幸せだ。


「お風呂沸いてるよ? 入る?」


「あぁ、ちょっと休憩したら入るよ。夏美は?」


「まだ」


まだなのか、なら俺がいうべき言葉は決まっているな。

「先に、シャワー 浴びて来いよ」

僕は決め顔でそういった。


夏美は、じと目で俺を見る。

なんだ、深い意味なんかないぞ! 浅はかな意味があるだけだ。


「もう。 じゃ、じゃあ先に浴びるね?」


「あぁ」

何だこの胸の高鳴りは。自分で促しておいてドキドキが止まらない。

夏美がシャワーを浴びる音が聞こえる。

そしてなぜか俺は正座して部屋で待つ。

どれだけの時間がたっただろう。まるで思考加速を使ったかのように時間が止まって感じる。

永遠にも感じるが、シャワーの音が止まると同時に静寂は破られた。

夏美が扉を開けて、部屋に戻る。


「…でたよ? ふ、服着たほうがいい?」

バスタオルで身を包む夏美が現れる。

直後剣也の頭は沸騰する。理性のタガが外れる。

シャンプーの香り、濡れた髪、そしてバスタオル一枚。これで正常にいられる高校生がいるのだろうか。いや、いない。


「剣也も浴びてきて?」



「うぉぉぉぉぉ!!!!」

光の速度で、シャワーを浴び、髪を洗う。

その速度は、ゴブリンキングとの剣戟をも上回っているかもしれない。


「おまたせ」

お風呂で疲れをいやしたはずの剣也は、呼吸を乱しながらシャワーをでる。


「はや! まだ3分ぐらいしかたってないけど?」

夏美はあまりの速さに、少し引きながら答える。


「待ちきれなくて」


「うん…」

 夏美は真っ赤な顔で下を向く。顔は見えないが耳が真っ赤なので多分そうだろう。

そうして二人の間を静寂が包み、おのずと引き寄せられながら、剣也は電気を消す。

夏美を抱きかかえながらベッドへ赴くが、剣也が気付く。


「あ、ゴムがない」


「え?」


「ゴムがないんだ。夏美」


「そ、それは問題ね。駄目よ? さすがに」


「買ってくる!!」

剣也は、光の速度でコンビニへと向かう。

その速度は、ケルベロスをも超えていたかもしれない。

変装も忘れない。俺がゴムなんか買った日にはSNSが炎上する。


「はぁはぁはぁ、しんどい。体力トレーニングは欠かしてなかったはずなのに。これが緊張か」

息切れしながら、剣也は部屋までたどり着く。

心臓がドキドキしているのは走ったからだけではないだろう。

少し呼吸を整えよう。また引かれる。


「剣也?」


「ん?」

そこには静香がいた。美鈴との話が終わったんだろう。

部屋に戻るところのようだ。

ん? ここにいるってことは、この階なのか?

そう思っていると、静香が近づいてくる。


「え? あなたの部屋ってまさかとは思うけどそこなの?」


「あぁ、そうだが、静香はもしかしてそこなのか」

二人の部屋は隣通り。403と402号室。

なぜ隣なのか。


──静香は思い出す、父の言葉を。

「静香、寮生活になるらしいな。剣也君も一緒か?」


「はい、同じ寮になるかと思います」


「そうかそうか! よし、わしに任せておけ!」

なぜかサムズアップする父親をみて疑問に思ったが、こういうことか。

あの親指はへし折ってやればよかったのね。わからなかったわ。


「剣也?」

夏美が服を着て、部屋からでてきた。

さすがにバスタオルのままではなかったらしい。くそっ間に合わなかったか。


「あ、始めまして。剣也と一緒に住んでる夢野夏美です。二菱静香さんですよね? 剣也からいつも話しは聞いてます」


静香はフリーズしていた。

え? 一緒に住んでる? え? 妹さん? お姉さん? でも夢野って。え?


「あぁ、静香には話したことなかったか。俺の彼女の夏美だ。災害で家がなくなったんで一緒に住むことになった。学校は違うが、年は一緒だ。よろしくな」


彼女? 剣也、彼女がいたの? 一言もそんなこと。

でも、確かにケルベロスのとき、大切な人を守りたくて乗り越えたって。てっきりご家族のことかと思ってたけど、その人がもしかして。


「おい? 静香?」


「あぁ、そうなの。よ、よろしくね。じゃあ、私は失礼するわ」

そういって静香は部屋に入ってしまった。

なんだろう、少し変だったな。


剣也たちも部屋に戻る。

さぁ続きだ。期待に胸と下腹部を膨らませ夏美を押し倒そうとすると。


「あ、剣也。ごめん。きちゃった」


「え?なにが?」


「女の子と日」

剣也は血の涙を流しながら、笑って夏美を抱きしめた。

今日は、このまま寝よう。あ、その前にちょっとトイレいってきます。


…ふぅ。



一方静香。


ドアを閉め、そのままドアにもたれかかる。

体と心が乖離したような感覚。まだ信じられない。何が起きたのか。

体に力が入らない。そのままドアに背中を預け、座り込む。


「剣也、彼女がいたんだ」

 聞かなかった自分も悪い。言わなかった剣也も悪い。

とはいえ、別に私たちはそんな仲じゃなかったはず。

ただの戦友、一緒に魔獣を討伐するだけのチーム。

それでも一緒にいろんなところにいった。

関東圏で強い魔獣が現れたら二人で討伐しにいった。

戦闘自体は短かったが、まるで旅行のような気分で二人で過ごした。駅弁も初めて食べた。

出張先で泊まることも、おいしい地元料理を食べることもあった。

そんな半年のいろんな思い出がよみがえる。半年とはいえとても濃い半年を過ごした。


「あれ?、なにこれ」

 胸が締め付けられるような痛みと共に、頬を伝う違和感。その一筋の光は、暗い部屋を照らす月に照らされる。まるでその半年が否定されたような、夢だったような感覚に胸の奥が痛い。



「しずしず、剣也のこと好きでしょ!」


「な、何を馬鹿なことを!」


「えー私応援しちゃうよ!」


「勝手にしなさい!」

 先ほどロビーでした美鈴とした会話。その時は、認めなかった。

いや、まだ気づいていなかった。男性のことを好きになる。それがどういったものなのか。

剣也と一緒にいることがうれしい。楽しい。幸せ。そう感じるのはこの感情が恋だったから。

その気持ちにまだ静香は気づいていなかった。


 溢れ出る涙。

「や、やだ。なにこれ、やだやだ。なんで私泣いてるの」

気づいてしまった。この感情に。好きな人に他に好きな人がいる。

誰しもが一度は経験するありきたりな話。でも彼女は初めてだった。

好きな人ができたことも。そしてその好きな人が他に恋する人がいたことも。


「や、やだ。やだよ…」

気づいてしまったらもう止まらない。一人ドアの前でうずくまり、必死に涙をふく。

でも止まらない。彼への思いが溢れて止まらない。


「うっ、うっ」

そこにはいつもの威厳に満ちた彼女などいなかった。

ただの女の子、ただの高校生、ただ少年に恋するだけの少女がいた。


「やだ、やだよ。剣也、私気づけたのに。好きなのに。剣也が好きなのに」

やっと気づけた感情は、あまりに辛く、少女の心を傷つける。


 彼女を照らした綺麗な月は、雲に隠れなりを潜める。暗い部屋の中で、ただ一人少女は、少年への思いを吐き出し続け、夜は更けていく。


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