第18話 2-12(1) 怒りの英雄

恐怖で我を失った母は、自分の娘 芽衣メイがいないことに気づき、

血の気の引く思いで、大きな声で名前を呼んだ。


「芽衣!!芽衣!!返事をして

芽衣!!どこにいるの!返事をして」


母の声は届かない。騒然とする周りの声にかき消される。


あたりを見渡すが、まだ3歳の子供だ。

人混みでみえない。見つからない。

焦った母は、実はそれほど遠くないところで人ごみに紛れていた娘を見つけれず、

外に探しに行ってしまった。


不幸な入れ違いだった。

そして不幸はいつも重なるのが世の常だった。


探し回ること30分まだ見つからない。

もう誰かが、見つけてくれているのかもしれない。

あぁ、どうしよう。早く逃げないといけないのに。

芽衣、芽衣。

心の中で娘を呼びながら焦る母は、そこでふと思い出した。


「いい、芽衣

もしも、ママと逸れたらここで待ち合わせするのよ?

ママ絶対にここに芽衣のこと探しにくるから。」


そういって、約束したのは

校舎の中で、校長の石像が立っている悪趣味な中庭だった。

とはいえ、目立つ場所なので、学校の待ち合わせ場所としては、よく使われる。


なんで思い出せなかったのか、きっと芽衣はそこにいる。

動転して思い出せなかった自分を責める。


すぐに走っていく母は、息も絶え絶えにして中庭についた。

そこで、石像の前でうずくまっている我が子を見つけ駆け寄った。

「芽衣!!」

よかった。ほんとによかった。

娘も不安だったのか泣きながら母の胸にうずくまる。

「ママー!」

「ごめんね、ごめんね。もう離さないからね。」


我が子を抱き抱え、その場を離れようとした時だった。

見渡せば周りに誰もいない。

いつのまにか二人きりになっていたことに気づく。

血の気が引く思いを感じた母は、急いでここを離れなければならないと思った。


その時全身を指すような、冷たい空気が肌を刺す。

直後聞こえる叫び声

心を直接ひっかくような叫び声

聴いたこともない甲高い叫び声

しかしその声には歓喜の感情が乗っていた。


恐怖で震える母は、無意識に声のする方をみる。

そこには、歓喜の表情をあげる醜悪な化け物が立っていた。

熊のような体躯に、簡易的な鎧

古びた剣と盾を持ち、

醜悪な顔には、長い鼻と長い耳

そしてこちらをみて、ゲラゲラと笑うその存在は、

進化しただった。


「いや、いや」

ひきつる顔には恐怖が浮かぶ。

震える声と動かない体。

なんとかその場を離れようと必死に体を動かす。

娘を抱きかかえて逃げる母をあざ笑うかのようにゴブリンが追う。


当然逃げ切れるわけもない。

ゴブリンはもてあそぶように。母の背中を軽く刺した。


「がぁっ」

声にならないうめき声をあげて母はその場で転ぶ。

何とか娘にはケガがないように。

しかしその衝撃で娘が腕からこぼれてしまう。


「ママー!」

泣きながら母のもとへ帰ろうとする娘

「ダメ!来ないで!

逃げて!芽衣。お願い逃げて。」

泣きながらも母はせめて娘だけでも逃がそうとする。


しかし母の思いは届かない。

まだ3歳の娘には、母が全て。

母を置いて逃げることなど考えもつかないだろう。


「誰か、お願い。

その子を連れて逃げて。」

血を流しながら、恐怖で動けない母は嘆願する。


その様子をみるゴブリンは光悦の表情を浮かべる。

たまらない。人の絶望の顔は本当にたまらない。

このメスを刺したらこの小さなメスはどんな反応をするだろう。

首だけにしたらどんな反応をするだろう。

想像するだけで、涎が止まらない。


自分の妄想を実現しようと。ゴブリンは剣を振りかぶる。


そこで娘がゴブリンの前に立ち塞がった。

「ママをいじめるなー!!」

小さな体を目いっぱい使って母の盾になる。

小さな目には涙をいっぱい貯めながらそれでもゴブリンをまっすぐ見て。


それを見てゲラゲラと笑うゴブリン


血を流しながらも娘を逃がそうとする母は、必死に頼んだ。

周りに誰もいないことはわかっている。

それでも彼女にできることは、だれかに助けを求めるしかなかった。

「お願い逃げて、芽衣お願い。

誰か、だれでもいいからその子だけでも助けて。お願い。」


それでも娘は立っていた。母がどれだけ頼もうと

母を絶対に守ろうと。

ゴブリンが芽衣の顔に顔を近づける。

それでも涙を流しても、大好きな愛する母を守ろうと必死で体を広げる。


その顔を見て、光悦の表情を浮かべるゴブリンは、どちらを先にやればいいのか悩んでいた。

親を殺して娘の前で食べるか。

娘を殺して親の前で食べるか。

あぁどっちも楽しそうだなー

知能の高いゴブリンは、悩んだ。

悩んだが、母の表情を見て決めた。

楽しそうなのは、

子供の体をゆっくり刻んで悲鳴を聞きながら

母の前でゆっくり食べてやることだろう。

その時の顔を想像したら、あふれる涎が止まらない。


決まったら待ちきれないという思いで、ゴブリンは剣を振り上げる。

まずはその大の字に広げた腕から切り落としてあげよう。

いつまで盾でいられるのかな。とっても楽しみだ。


動くことのできない母は、願うしかできない。

ヒーローを英雄を

最後の力を振り絞り、大声を上げる。

「だれかぁぁぁ!たすけてぇぇー!」


そして剣は振り切られた。

思わず目を瞑る母と娘


しかし直後に聞こえたのは、鈍い金属音

鉄と鉄がぶつかり合う音があたりに響く。


目を開けた二人が見たものは、黒い制服を身にまとった少年の背中

銀色に淡く輝く一本の刀で、少年の倍以上ある怪物の一撃を受けきる少年の背中。

御伽噺の英雄譚でしか、存在しないその姿は、

自分達を救ってくれる英雄の小さく大きな背中だった。

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