第5話

「被害者の早坂氏ですが、三年前の八月十九日に軽井沢の別荘に一人で向かったそうです。ええと……長編小説のプロット? を練るために別荘にこもっていたそうで」

 そんな話は知っている。犯人なので。

「人に会う予定は?」

 尋ねると、御堂は首を振った。

「特になかったようですね。ただ人に話していないだけで実際はわかりません」

「別荘でしょ? 監視カメラとかないの」

「設置されていましたが、電源が入っていませんでした」

「無駄じゃん」

 まあそうだろうなと思っていたが、ほっとした。よこしまな目的で招いた若い女の出入りを記録されて困るのはあのじじいだった。

「監視カメラは設置したはいいもののあまり使っていなかったそうですね。別荘には特に高価なものもなかったらしくて」

「現金とかは?」

「大金は置いてませんでした。通帳なんかは東京の自宅のほうに保管してあって」

「ふーん。あいつ金持ちなの?」

「そうですね。自宅と別荘以外には不動産はないそうですが、かなり裕福だということです。作家って儲かるんですね」

「刑事と同じぐらいの収入がある作家なんてほんの一握りであとはだいたい兼業でやってるけどね。ふーん。金持ってんだ」

 当然私のほうがはるかに持っていることぐらいは想像できたのか、御堂は苦笑した。

「別荘に来たのが十九日。それから早坂夫人が予定の二十五日までに帰宅しないのを不審に思い、連絡も取れないため自身も軽井沢に向かって、早坂氏がいないことに気づいて警察に通報しました」

「じゃあ十九日から二十五日までの間に殺されてたんだ」

 御堂はうなずく。

「正確には二十二日の午後から二十五日までの間にですね」

「二十二日になんかあったの?」

「編集者とメールのやりとりをしています」

「メール? 電話じゃなくて?」

 感情が声に乗らないよう慎重に尋ねる。

「そう思いますよね。一緒に小説の原稿も添付されていたので、これは本人だろうと」

「いや原稿のデータなら取っておけばいつでも送れるじゃん? 殺したあとパソコンに見つけたのかも」

「慎重ですね」

 御堂は笑う。

「でもどうやらそうじゃないようです。もともと別荘に行く前に送っていた短編の原稿について二十一日にチャット? って言うんですかね、」

「文字で会話するやつ?」

「そうです。それで打ち合わせをしたそうです。よくあることなんですかね?」

「私は直接会うか電話が多いけどあとで話したこととか見直ししやすいからやってる人も多いと思うよ」

「なるほど。そのときに話した部分を修正してあったそうです。書き換えの時間を考えても早坂氏本人が送ったと考えるべきでしょう」

「その修正って誰でもできるようなものじゃなくて? 「てにをは」の修正とかなら別に誰でもできるでしょ」

 反論してみる。反論されるための反論だ。

「ええと、短編の依頼でしたが出来がよかったので連作として出版したいと思って、結末や設定を調整してもらったということです。なので誰でもできるということはなかったみたいですね。「あれは間違いなく先生の文でした」と編集者が言っていました。チャットやメールの文章も早坂氏らしかったと」

「その編集者って誰?」

「神保出版の山崎という男性ですね」

「あー」

「知り合いですか?」

 頷いた。

「何回か仕事したことある。っていうことは、そうか。多分その短編私も読んだな」

「「小説JINPO」に載ったそうです。「滴る」というタイトルで」

「あー。読んだ読んだ。不動産関係のミステリでしょ。連作にする予定だったんだ。確かにそんな感じだったけど」

「読んで違和感はありましたか?」

「いや。全然。いつもの早坂雄一郎だった。と思うけどね」

「そんなに特徴的なんですか? 早坂雄一郎の文って。いや、誰かが代筆したと疑ってるわけじゃありませんが」

 うーん、と、言いながら、首を傾げた。どう発言すれば、御堂にこの原稿について先入観を植え付けることが可能だろうか。他の関係者に同じ質問をして別の答えが返ってきても不自然ではない程度でなくてはいけない。

「いや別に……ていうか、そんなに特徴はないと思う。なんか特徴的な文だと「誰々っぽい」ってジョークみたいになるじゃん。村上春樹とか。そういうタイプではないよ。「読みやすい」って言われてあんまり気にされない文で」

「つまり……特徴がない分、真似はしにくい? 似顔絵が描きにくいみたいに?」

 うなずく。

「そんな感じ。でも似顔絵に描きにくい人も会えば誰の顔かはわかるじゃん? そういう感じで真似はしにくいけど違ったらわかると思う」

 結局穏当な発言になった。

「まあすっごーくうまい人とかならなんとかなるのかもね。似顔絵描きにくい顔だって描ける人はいるでしょ。メールの文も偽装して、チャットも偽装して……ってなると難しそうだけど」

「なるほど。とりあえず私も読んでみることにしましょう」

「早坂のやつ読んだことないんだっけ。他のも読んでみたら?」

「何がおすすめですか?」

 これは悩む。初心者向けの早坂雄一郎作品? こういうことを聞かれると、適当に答えられないのが私の常だった。小説のことについてはいい加減な発言を自分に許せない。

「初期はちょっと読みにくいからしばらくたってからのほうがいいんじゃない。「遠い声」とか読みやすいと思う。分厚くないしわかりやすいし」

 御堂はスマートフォンで検索している。

「なるほど……ええと、デビューが四十年前で、それが二十年前の小説ですか」

「その頃から変なこだわり抜けて読みやすくなったと思うよ。デビューした頃のがよかったってマニアもいるけど、そういうこと言えばなんか玄人っぽいから言ってるだけでしょ」

「辛辣ですね」

 私は顔を顰めた。

「本当に辛辣ならずっとくそつまんねーしくそみてーな作家だったって言いたいよ。でも初期以外はつまんなくはなかったよ。初期もまあ、癖がつよくて性格悪そうでそういうところをちゃんと活かせたらよかったんだろうけど、結局迷走してうまくいかなくて方向転換してそっちがよかった感じ」

「性格の悪さって小説に活かせるんですか?」

「あんた今誰としゃべってんの?」

 なるほど、と御堂が言い、私はまた顔を顰めた。冗談だと受け取られているだろうが、半ば本気でいらついてもいた。だがここであまり感情的になりたくはない。桐生のほうに目を向けると、口元に手をやって、何か考えこんでいるようだった。

「桐生なんか静かじゃない?」

「いや……」

 桐生はふっと目元を緩ませた。

「君がこんなに誰かと打ち解けてるのを見るのは久しぶりだな」

 一瞬で、かっ、と、頭に血が上った。慌てて叫び出さない程度に怒りを抑え、睨みつける。

「わかったような口きかれるの嫌い」

「探偵の助手には向いてないね」

「依頼してきたのそっちのくせに」

「そういえばそうだった。何か彼女が役に立てそうなことはある?」

 桐生が訊くと、御堂はうなずいた。

「別荘に行く前に出版社のパーティーに出ているようなんですが、そのときの様子とか聞かせていただけますか?」

「出版社ってどこ?」

 もちろん覚えているが、覚えていることを悟らせるわけにもいかず聞く。

「正文社です」

 スマートフォンでスケジュールを検索する。すぐに出てきた。

「あー。あったあった。私も行ってる。お盆前のやつだよね」

「覚えていますか?」

「パーティーは覚えてる。新人賞の授賞式で。早坂いたっけ。いやいたよね。選考委員だもん。いたいた」

「日記があるんですか?」

「いや予定と写真が残ってただけ。料理の写真しか撮ってないけど」

 スマートフォンは自分で持ったままパーティーの写真を見せた。立食式だった。ローストビーフや寿司やケーキの写真。その一つを拡大する。

「これ早坂でしょ」

「あ、そうですね」

 デザートのテーブルに手を伸ばしている早坂雄一郎。本当にただ映り込んだだけで、写真を撮られていることも意識した様子はない。その何気ない様子が、実在感があってなんとも気持ち悪い。

「何かトラブルがありそうな様子とか、なかったですか? 普段と変わった様子とか」

「いや?」

 と首をひねってみせた。声が揺れないことに安心する。

「挨拶と最近どうぐらいの話はしたけど、別に変わったこととかなかったと思うよ」

 私の嘘に御堂は気づいた様子もない。うなずいて、手帳に挟んだ何かの紙を見ている。

「早坂氏は日記……と言っても毎日つけているわけではないですが、何かあった時にはメモを残していたんです。八月九日のパーティーがあって、何人か話した相手の名前が書いてありました」

「へえ?」

 声が少し高くなった。御堂は微笑む。やはり気付いた様子はない。

「須藤さんのお名前はありませんでした」

 少し驚いた。驚いてから、監視カメラを切っていたのと同じ理由かなと思う。

「まじ? 普通にしゃべってたけど」

「普通だったからですかね。何か気づいたことありませんか?」

「えー? うーん。別に」

 さすがにそれではそっけなさすぎるかと、当たり障りのない内容を考える。

「……受賞者の話とか別の新人賞の話とか、どの新人チェックしてるかとか、仕事の話しかしてないな。そこまで突っ込んだこともなかったし、本当に大したこと話したが覚えないな。プライベートのこととかも聞いてないと思う。確かあのときは早坂が推したやつが受賞してたし。トラブルとか全然」

「なるほど」

「ていうか、そのとき様子が変だったら失踪したときに鳥井さんに言ってたと思う」

「ああ……なるほど。彼女と早坂の夫婦仲はどうですか?」

「夫婦仲?」

 少しひやりとする。あのじじいには何の罪悪感もないが、鳥井さんには少し、感じるものがあった。殺したことより、その前段階であのじじいと二人で共謀するかたちになったことに。

「さあ……パーティーとかは一緒に参加してるけどあんまり一緒にいるところ見たことないな。不仲には見えなかったけど、なんかさらっとしてるっていうか……人から聞かずに見てるだけだったらこの二人が夫婦とかわかんなかったと思う」

「男女関係のトラブルなんかは?」

「聞いたことない。二人ともそういうタイプじゃないんじゃない? そりゃ私が知らないだけかもしれないけど、派手な人はちらっと噂聞いたりするし」

 実際、自分が声をかけられるまで聞いたことはなかった。

「へえ?」

「若い愛人に仕事を回したとか、出版社のイベントで読者の女性ナンパしてたとか、誰と誰は不倫してたとか」

「まあどこにでもありますね。そういうの」

 あるのだ。あっていいのか? 腹立つ。

「本当かどうかは知らないけどね。でもそういう話も、早坂については聞いたことない。鳥井さんのことも愛妻家って感じでもないけど、お互いべたべたせずにうまくやってたんじゃないかな」

「なるほど」

 話しているうちに思い出したことがあった。

「そういえば鳥井さんもあの日パーティーにいたよ。いたことしか覚えてないけど」

「話はしましたか?」

「うん。多分その時期に出たミステリの話とか、今年のランキングはどうなるみたいな話はしたと思う。そのとき出たばっかの北条玲一ものの話した覚えがあるから」

「北条玲一?」

「探偵の名前。佐々木千尋って作家のシリーズもの。三年に一回とかしか出ないから、そのときに話したことだと思う」

「なるほど」

「早坂の失踪のあと鳥井さんもパーティーとか来なくなっちゃったんだよね。私もあんまり行ってないし」

 なるべく軽く聞こえるように言う。パーティーには招待されているが、何か書けと言われるのが嫌で、行っていない。

 そのとき、スマホが鳴った。私のものではない。桐生のものでもなさそうだ。御堂がすみません、と言い、一度部屋を出る。

「……なんだろ」

「何かわかったのかもしれないね」

 桐生が静かに言う。その静けさが、妙に癪に障った。早坂雄一郎の遺体が、このタイミングで見つかった。あのことも発覚した? わからない。イライラするが、桐生に当たり散らすわけにもいかない。

「何かって何」

「さすがにわからないよ」

「桐生は? 事件のことなんかわかった?」

「うーん」

「黙ってたのは考えてたからじゃないの? 何かわかったんでしょ?」

「何もわかってないよ。現場も見てないし」

 本当にそうだろうか。仕事だからか桐生のしゃべりは普段より淡々としていて、真意が読みにくい。私は人の真意、言葉にしないほのめかし、その場の空気のようなものを読みとるのが、昔から苦手だった。人はいつも私が見ていない場所で仲良くなっている。

「桐生軽井沢に行くの?」

「そのつもりだけど。どうだろうね。案外すぐに片がつくかも」

 そうはさせない。不自然に見えないように手を握りこんだ。

「勝算があるの?」

「まだ何もわからないよ」

「名探偵がそんなことでいいわけ?」

「名探偵ではないよ。今回も小説関係に多少詳しいかもってことで相談されたんだし」

「推理を見込まれたわけじゃないんだ」

「残念ながらね」

 ドアが開いて、御堂が顔を出した。

「どうしたの」

 驚いた。御堂は明らかに混乱しきっていた。

「その……早坂雄一郎の事件ですが」

 御堂は言葉を切って、唾を呑みこんだ。

「遺体の見つかった森の周辺から……ほかに遺体が見つかったんです」

「え、他の? 誰?」

「わかりません。まだ身元が不明です。というか……」

 室内には三人しかいないのに、御堂は声をひそめた。

「どうやら、遺体は複数らしいんです。見つかったのは二体ですが、まだ出てくるんじゃないかと」

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