第2話
刑事はいたって普通の三十半ばぐらいの男だった。くたびれたスーツを着たサラリーマンにしか見えない。二人組なのかと思ったら一人で来た。非公式の面談なので単独で行動しているらしい。
「須藤鏡花」
です、とつけようかと迷ったけど、下に見られたくないのでやめておいた。名刺も手元にない。
「捜査一課の御堂です」
名刺はくれなかった。狭い事務所にはソファが二つしかなく、当然私は立たなかったので桐生が譲ろうとしたのだが、御堂は固辞した。結果二人の間、どっちかっていうと桐生寄りに突っ立っている。間抜けだ。
「彼女早坂氏の知り合いなんです。作家なんで業界のこともわかってるだろうから参考になるかと」
「なるほど……ああ、須藤鏡花さん。聞いたことがあります」
「推理小説なんて読むの?」
「いや私は。家内がね」
家内って言い方嫌いだなと思った。かなり嫌いだ。はっきりと嫌いなところを見つけたので安心する。私はいつも他人の嫌いなところを探して取っておく。そうすると安心だから。
「サインはしないよ」
軽口だと思ったのか、御堂は笑っただけで何も言わなかった。つまらないおっさんだ。手帳を出して中を見る。警察手帳じゃなかった。本当につまらないおっさんだ。
「早坂雄一郎の失踪事件についてはご存じですか?」
「失踪したってことは知ってる。鳥井さんがツイートしてるのも読んだ。別荘に行ってたんだっけ」
「鳥井さん……鳥井祥子、早坂夫人ですね」
あのじじいの妻も作家なのだ。もう何年も単著を出してないけど。若いころにデビューして二冊ぐらいサスペンスっぽい恋愛小説を書いて、今はずっとエッセイや解説や書評ばっかりやってて、小説は短いものも何年も、というか何十年も書いていない。なんだ。三年ぐらい平気か。パーティーとかイベントでよく会うし読むほうは現役でミステリの話題も豊富で、私も鳥井さんと呼んでいて、面識がある。あのじじいの夫人というポジションでいろんなところに顔を出しているのだけど、添え物ではなく鳥井祥子個人という認識の人間が多いと思う。仕事で関わりはないから何してるかよくわかんないけど顔は合わせる知り合い、みたいな。
「本名は知らない」
「早坂理香子と言います。五十四歳。被害者は三年前の失踪当時六十一歳で十歳差の夫婦ですね」
へー。となって、気付く。
「被害者?」
「ええ。殺人の線で話を進めています」
「死体どこで見つかったの? 軽井沢の別荘からいなくなったんだよね」
「別荘の近くの森に埋まっていました。発見されたのは一週間前」
散歩してた犬が掘り起こして見つけたらしい。死体見つけるってどんな気分だろう。骨ならそこまで気にならないかもしれない。
「そんなんニュースなってたっけ」
「そんなに大きくないけどなってたよ。見てないの?」
作家には新聞を隅々までチェックする、というタイプもいるけれど、私はそうではない。紙の新聞は取ってない。ネットニュースでざっと記事を見て、気になったらコンビニで買う。テレビは一人暮らしの部屋にない。
「気付いてなかった。身元割れてたらさすがに耳に入ってると思うけど」
「そろそろニュースになるころだと思います。歯型から早坂雄一郎氏の遺体であることが判明しました」
「埋められてたってことは、自殺じゃないんだ」
御堂はうなずく。私は慎重に話を進めようとする。刑事に無礼だと思われるのは全然かまわないけれど、馬鹿だと思われるのは耐えられない。
「詳しい死因はわかりませんが、頭蓋骨が陥没していました。おそらく殴打のあとだろうと」
「撲殺? 凶器は?」
「見つかっていません。別荘の中になくなっているものがないかと早坂夫人に聞いてみましたが、心当たりはないと。早坂氏……雄一郎氏の書斎にあるものはわからないと言っていましたが」
「結構行ってたの? 別荘って」
「そのようですね。執筆に専念するために雄一郎氏一人で通っていたらしいです」
「管理ってどうなってたの?」
「管理会社が定期的に清掃などをしていたそうですが、滞在中の家事は自分でしていたそうです。食事にはあまりこだわりがないのか、レトルトが多かったですが」
「そうなんだ」
「知り合いなんでしょ?」
と桐生に聞かれたのでパーティーのときのことを思い出そうとしてみる。
「お酒飲めないことぐらいしか知らないや」
「そうなんだ」
「プライベートの話とかあんましたことない。なんか自慢話と人の悪口はよく聞いてたけどそれもだいたい小説関係のことだし」
「そうなんですか?」
御堂が突っ込んできた。
「あのじじいのこと好きな人ってちょっと思いつかないな。感じの悪いじじいだった。あいつがいると後で若手とか女性陣とかがめちゃくちゃ悪口合戦みたいになる感じ」
まあ私も人のこと言えないが。というか、もっと生々しく恨まれてる気がする。私はいくらでも悪口を言うが、お前らは私の悪口を言うな。
「でも殺したいほど憎んでる人間が何人もいるとか、そういうタイプでもないような気がする。なんか適当に悪口のネタにした終わりみたいな」
「恩を感じてた人もいる?」
桐生の言葉に、私は首を傾げた。そういうことを考えたことはなかった。
「いや……どうかな。新人の話とかよく聞いてアドバイスとかもしてたと思うけど、そういう人たちあんま生き残ってないし」
「見る目がない?」
「やーどうかな。出版社が派手に売り出すぞ! って目立った才能ある相手よりそうでもない人に絡むのが好きなんじゃない? 劣等感とか刺激されなくて。消えた人たちだって才能がなかったわけでもなかったと思うけど」
人が書かなくなるのはいろんな理由がある。若いならなおさら。一冊本出したら満足してしまう人もよくいる。二冊目を出す、というのは技術的にそれほど難しいこととも思わないけど、私みたいに書くことと金儲けがちゃんと繋がってる人は本当に少ない。それは才能の問題というよりは、正直言って、運の問題だった。私は本当に才能があるケースだけど。本当はそこそこの才能でそこそこの意欲がある人間なら普通に食っていける状態が健全なんだろう。残念ながら、そういう業界ではない。
そんなことを話すと、桐生も御堂もふんふんと頷いていた。
「そこそこ食えてるタイプにもあのじじいわりと冷たかったかもね」
「あなたには?」
「私はめちゃくちゃ食えてるほうだけどあいつ審査員だったからなんかあるたびに挨拶したりアドバイスしたりしてきたよ。身の程を知らないから」
「親しくしていた相手は?」
私は何人かのじじいの名前を挙げた。作家と評論家だ。御堂は素直にメモを取る。
「でもパーティーとかでよく話してたり一緒に仕事してたってだけでどの程度の仲なのかも知らないよ。世代が全然違うからそのへんでは常識みたいなことも私の耳まで届いてなかったりすると思うし」
「わかりました。一応参考に、ということで」
「実はそいつら全員早坂とくっそ不仲で有名だったりするかもしれないけど」
「たとえ話ではなく、実際そういう雰囲気だったんですか?」
「たとえ話だけど誰かに「実はあいつのこと殺したいぐらい嫌いなんだよねー」って言われてもびっくりはしないって意味かな。まあどんなに感じのいい人でもそういう相手がいても別にびっくりはしないけど」
「作家ってそんなもんですか?」
「刑事ってそんな平和なの? それともあなたが能天気なだけ?」
御堂は笑った。親しみを覚える……わけもなく、仕事中におっさんが笑ってんじゃねーよと思う。イラついている。イラついていないときなんかないけど。
「つまり表立って大きいトラブルを起こしていたってことはないんだ?」
桐生にうなずいて、それから首をかしげる。
「起こしてても昔の話だったら私には多分わかんないし、最近起きててもわかんないかも。私ゴシップ好きだけど情報源に乏しいし、作家って基本フリーランスで一人でする仕事だから何かあったら誰かにすぐ伝わるってわけでもないし。でもトラブルメーカーとか、同世代の最悪な作家一人あげてって言われて名前があがるタイプではなかったのは確かだよ」
「言葉の使い方が正確だね」
「上から褒めないで」
「素晴らしい表現力だ」
「うるさい黙れ」
桐生は笑っていて、軽いじゃれあいみたいなつもりでいるかもしれないけど私は本気で言っていた。うるさい。私以外全員黙れ。頭痛がしてきて、頭の横をもむ。早坂雄一郎。くそ。あのじじい。あのじじいが死んだからまじでなんだって言うんだろう。この世には死んだほうがいいじじいが大量にいる、というよりも生きる価値のあるじじいなんか数えるほどしかいないんだから、じじいが死んだぐらいでいちいち騒ぐのがおかしい。生より価値のある死、死より価値のない生があり、あのじじいはまさにそこにあてはまる。この世に生まれてから一番価値のある行為が死だろう。死を行為と呼べるなら。
「でも本当に、君の言葉の使い方には信用をおいてるんだよ。人は自分が何をしているのかもうまく言い表すことができない。言いたいことを言うだけで、相手がどう受け止めるのかはわかってない。人の死に関わるようなときはなおさらそう」
「それで?」
「私も君に協力してほしいんだ。君が私の仕事に立ち会う代わりに、早坂雄一郎の事件の解決に力を貸してくれ」
私は痛む頭で考える。
力を貸してほしい。言葉通りにとらえていいんだろうか。桐生はお人よしの間抜けだけど、多分私がそうであってほしいほどは間抜けじゃない。この提案に乗ることには、すぐに思いつくメリットもある。殺人事件の捜査、しかも民間人の捜査を近くで見ることができる。こんな取材はそうそうできるもんじゃない。取材だけじゃなく、妨害もできるかもしれない。そしてもちろん、デメリットもある。近くで見ることができるということは、相手からも私が見られるということだ。相手。警察。桐生。早坂雄一郎の殺人の犯人を捜している連中。余計なことをしやがって。じじい一人死んだぐらい放っておけよ。軽井沢の別荘。夏でも夜、びっくりするぐらい寒かった。振り上げたガラスの灰皿。いつまでたっても動いてる気がして何度も殴りつけた。ふかふかの土にめり込むスコップ。死体を埋めるのは骨が折れた。肌の表面は冷え切っているのに身体の内側に夏の温度が潜んでいて、動くたびに汗が沸いて、それを外気が冷やしていった。家に帰ったら悪寒がしたのに休むわけにもいかなかった。あんなに苦労したのに。どうして放っておいてくれない。あんなじじい一人殺して、私の小説のクオリティがあがるなら、それでいいだろう。
「いい? 犯人を、一緒に探してほしい」
桐生の言葉に、私は笑って、うなずいた。犯人ならここにいる。
三年前、早坂雄一郎を殺したのは、私だった。
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