第二話 出会い 巻の参


×××

 三匹が妖気を吸い取られたかのようにぐったりした頃、長い長い説教が終わると旦那の頭はつやつやと光っていた。布袋は仕方なさそうに三匹に近づくと眉を顰めながら虚空へ手を伸ばした。

 布袋はその名に袋と付くように四次元に繋がる袋を持つが、その八畳敷きどころではない大きさに、彼が妖気を以って出し入れするものは虚空から発生する様に見えるのだ。

 彼はカブキドー・グレンマルを取り出した。

 今生の別れをしたはずのカラフルなガラクタはポカンと口を開け、両目はほぼ白目で明後日の方を向いてはいるが、形が残っているとは思わなかった。

「グレンマルゥ~~!!」

 ゴロが真っ先に駆け寄って頬ずりを始めたので、メタローは無言でグレンマルを観察していく。

──聞いたトラブルほど見た目が壊れているわけでもない。例えるなら『身を守る為の仮死状態』の様である。何か引っかかる……。

 メタローは、専門ではない自分が考えても答えは出ないだろうと割り切り、ハカセへ判断を仰いだ。

「ハカセ、どう?」

 先ほどからハカセは小さい狸の身体を活かして下から潜り、軽くグレンマルの様子を確認していたが、

「いやー、分からないね。調べるにしろ直すにしろ、ガッツリ時間を取らないとどうにもならないよ。まぁ、明日考えることにしようよ」

 と、口調こそ困った様子ではあるものの何処か嬉しそうでもあった。

 ともかく一応歩行自体は出来るようだし、と三人で乗りこむとラジオ体操の動きをさせたり、見得を切らせたりしてみる。

 ──十分に動く。しかし、天覧試合はこれからを左右するという話だった。今回起きたというトラブルが仮に何かの予兆だったりするなら、これが壊れるのは決まっている運命なのかも知れない。

 運命などという自分らしからぬ発想がよぎったことに違和感を持った瞬間、急に何かの残り香が鼻を突く。メタローはただちに匂いの元を探るが、辺りには相変わらずゴミしか見えなかった。

 カン!

 その時、杖の音が響いた。

 旦那が門を呼び出してくれたのである。

 妖怪の総大将ともなれば妖気は桁違いであり、一人で門を呼び出すのに苦労もない。

「へへ、すいやせん……」

 半笑いでゴロがそう頭を下げると、旦那は顎をしゃくる。メタローも促されてグレンマルに乗り込むと、指示通りお先に門を通らせてもらった。

 そこに広がるのは、言うなれば常夏。

 真夏の陽光の様なスポットライトと、賑やかな祭囃子であった。

 正直、ライトはグレンマルの中に居ても目がかすむほどで、音は吸音装置を付けても抑えられないぐらいうるさい。しかし、来訪者を等しく歓迎する音楽と照明によって、自分たちは故郷/狸の里に帰ってきたのだと、メタローたちは良くも悪くも実感していた。

 一同が光と音に慣れない間も、マシンは自動運転で歩みを進める。竹が並ぶ日本庭園風の屋敷の隣を通り過ぎ、目と耳が復活する頃には、周囲の風景も変わってきた。

 次に見えたのは和風であった先ほどとはうって変わって中華風の門であり、そのアーチとなる部分には不自然に『とさのきぬ けば いしの 』と書いてある。その先には、ジャカジャカと金属をぶつける音と共に、朱色と黒を基調とした見る人誰にでも用途が明確に通じる眩しい建物の並びが眼に入った。

 それは、見た途端オリエンタルリフが脳内を掠めるような、中華料理店の数々であった。

 翻る中華鍋、躍動するおたま、撥ねる油。それぞれの音が競い合う様に鳴り響く。

 狸の里におけるこの辺りの街の開発は、人間の世界の中華街を真似たのだという。奥に見える建物は台湾の九份をモデルにしたともいわれる。

 その理由には、昔に比べて狸の食文化が変わったことも関わっている。言ってしまえば、人間に変化してその世界の食べ物を知ったことで、都合よく五感を鋭くも鈍くも出来るようになり、端的に言えば楽しめるものが増えたのである。

 昔の狸は肉と言えば虫やネズミ、蛙、モグラが定番で、果実は柿や桑の実を食べていたらしいが、昨今の狸はそれを知らない子たちも増えているほどだ。

元から狸は雑食であったが、今の彼らはそれこそ狸腹の膨らみのイメージに外れず、大変グルメである。また、食いしん坊の性か、「一生に食べられるものの数が限られているのなら、出来るだけ良いものが食べたい」と言う思想を掲げる狸もいるらしい。

 そんなわけで街の作りは料理店から始まったらしく、現状も増え続けるそれが里の多くを占め、屋台や夜店も絶えることなく並んでいた。

 そこから八角の匂いがしたと思えばすぐ反対から山椒の香りもしてくる、そんな匂いのバトルフィールドでは、ゴロは言うまでもなく、メタロー・ハカセとてどうにも思わず唾が出る。食欲に頭が支配され、脳が動かなくなってくる。いつの間にかグレンマルのモードも休止モードとなっていた。

 旦那は、歌舞伎柄の鉄塊がピタリと動きを止めたことに気付くと、こればかりはどうにもなるまいという顔で、ガラクタの前に立った。

 旦那がガラクタの顔面を杖で突くとその口が開き、中から腹ペコ狸三匹を転がり出てきた。

「あっ」「えっ」「いでっ」

 そして、指示を受けるまでもなく三匹の首を掴むと、布袋はすぐ近くの料理店の中に入っていく。

「やってるかー!」

「「いらっしゃいませーい!!」」

 布袋の声を知らない狸はいない。店員たちは即座に返事を返すと、ニコニコと奥へと導いた。

 旦那は、『総大将 指定席』の立て札がある円卓を見つけると無言で座り、卓にある鐘を鳴らす。すると、既に誰が来たか伝わっていたのか、料理長が他の店員を連れてキッチンから出向くと、瞬時に料理を並べていった。

「まずは食って良し」

 頷く旦那に深々と頭を下げて去っていく料理長たちを他所に、ポカンとしている子狸三匹はお互いの顔を一瞬見合わせたかと思うと、まず取り皿を一斉に手元に寄せた。

 メタローは小皿を複数枚、ハカセは小分けが六連となっているプレート、ゴロはひと際大きい大皿。三者三葉の皿を手に取ると、三匹は自我を取り戻す前に、一先ず食材への・そして奢りであることへの・加えて生きて味わえることへの感謝を述べた。

「「「いただきます!」」」

 手を合わせるや否や、三匹は「さあ、この最低限の礼儀を済ませれば後は遠慮も何もあったものではないぞ、何かやらかしたとしても謝るのはもう後で良いぞ」とばかりに、全力で必死に取り皿と菜箸をぶつけ合っては食べていく。ガツガツと料理を流し込んで脳が動き出すと、三匹は人間の姿の方がリーチが長いと気付き、一斉に人間変化どころかいつもより大きい筋肉質なゴリマッチョの姿で料理を奪い合い始めた。

 布袋は疲れた微笑を浮かべながら、

「俺たち畜生はまず食わないと話も何もないもんな」

 と、メニューを手に取って別に注文を始めた。

「ふぅ、お前らは有難みと言うものを知らんから良くないのう」

 ぬらりひょんの旦那は杖の側部をポンと手で叩くと、杖は形が変わらないままパイプへと役割を変えて自ずとぷかぷかと妖気を吐き始めた。

 旦那は一服し、ふぅ、とひと息つくと溜息と共に説教を始めた。

「のう、天覧試合の機会もだ。狐どもには感謝せんでもいいが、狸と妖の皆の協力あってこそのもの。時間を取らせたからどうこうという利益の話ではないぞ。気持ちや恩義の様な話なのじゃ。馬鹿どもよ。お前らはせっかく皆の為にと集まってくれた気持ちを……」

 布袋は店員から料理を受け取って、威嚇する子狸たちをあしらいつつ三匹の皿へ上手く分けてやる。

「悪い、旦那。あとの方が良いかも」

「ま、もう過ぎたことじゃの」

 呆れる旦那に、布袋はフォローを加える。

「ははは……。まぁ、俺たちも良いと思ってるからね。有難さをわざわざ知らない世代がここまで育ったってこともさ、良い時代になったってことなんだよ」

 そして、カランカラン、とドアの音がすると、人間の客が入ってきた。

 店員が出迎えて席へ案内していくと、また別の客が出ていく。

 実はこの一帯。わざと一部が中華街に繋げられており、人間にも開放されている。この事例は人間様を騙すのはどうかという倫理とは関係ない。料理は人間に評価されてこそだという価値観に基づくものだ。

 賢い読者の皆さんはそんなことはないかもしれないが、時々、下調べのしないうっかりした人間、もしくは妖気を持つ人間たちは何度か気付かずにここに導かれてしまう。

 実際、人間たちにも狸が作ったものだと気付かれたことはない。バレずに人間に通用するほどに食の文化が発展させられたことを体現している店舗は令和狸における誇りの一つだと言える。なんでも『美味しいという噂を聞き付けて、狐すら人間に変化してひそかに通っているらしい』という噂もあるほどだ。

「人間様方とも、色々あったけどねぇ。今は今で楽しいし、良くない価値観は引き継いだら終わらないし、知らなくていいんだよな」

 布袋がそう言いながら今入ってきた人間の客へ会釈をすると、彼は好印象を持った顔で軽く手を挙げるだけだ。人間の領分ではないこの世界では、人間たちの頭の中は都合よく解釈してくれる……。これが悪用されない今の時代が悪いわけがない。

 布袋は平成の時代を思い出す。

 狸の里は、平成の時代に随分と減った。その為、令和の世においては出身に関係なく人里の近くのいくつかの場所に固まるようになった。

 昔の狸の映画を見ても分かるように、変化できる動物にとって人里の近くは現代の山の中よりも人から狩猟されず、事故にも遭わず、危険性自体も少ない。エサも争う必要がないどころか残飯も豊富で雨風も凌げると、本当にいたせりつくせりであった。

 人間たちがニュータウンだなんだと言って都会から少し離れたところまで開発し始めた時は住処を人間と争った様子が伝わっているが、令和の今ではそんな各地のニュータウンもシャッター街である。

 なんなら田舎の街などは今の時代、人間社会では地域活性が唱えられるが、それは皮肉にも動物たちが乗っ取る理由として相応しい。その機に乗じて変化や幻覚で人間たちを化かし、まんまと商店街の一部を手に入れた狸たちもいるそうで、そういうところから各地の里に流通が発生していたりもする。こうなれば、人間の宅地開発がある程度行くところまで行ったことがそのまま狸たちの安住の範囲を保証した結果に繋がっているのかも知れない。

 そういう歴史や仕組みを考えるとなんだか面白いと、一部の狸の間では笑い話だ。

 布袋がそんなことを思い返していると、やがて三匹の子狸たちはガシャンと食器を一斉に置くと毛玉となってしまった。

 そこで旦那はもう一服したパイプを杖に戻すと、トンと床を叩いた。

不意に店の雰囲気が変わり、店の全ての左右が鏡映しの様に入れ替わる。

 すると、店を出た場所は下町風の街の近くとなっており、門の文字は裏返り、た抜きでない『たのしい ばけたぬきのさと』となっていた。

 文字を確認した布袋は「よし」と頷くと、洗濯機に服を入れる自然さでグレンマルへ毛玉たちを投げ入れると、中へ手を入れて設定を少し弄った。

 そして、歌舞伎柄のガラクタがいつもよりゆっくりとした自動運転を始めたのを確認すると、布袋と旦那はその背中が見えなくなるまで見守っていた。

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