間話 アオイと泥編

間話 第壱 THE SPIDER´S THREAD


 これから語る記憶は、とある女児に手を差し伸べられ、無意識にその手を伝って妖気へ溶け込んでからのものである。


×××

 長い間五感を失っていた俺にとって、まず感じられたのは光の眩しさであった。

 詳しく言うと、視覚を得た時点で世界の眩しさと色彩の豊かさに驚いた。

 世界というものはこんなに輝いていただろうか。いや、幼い時にはこんなに綺麗に見えるということなのかも知れない。

 忘れてしまっていた。薄れてしまっていた。この世界の鮮やかさを。

 次に気付いたのは、白滝の様な芯のある触感の細く長い何かが視界にチラついていることだった。植物的な匂いのその毛先の誘発する頬の痒みに違和感を持った。

 毛先。髪だったのだ。長い髪が頬に垂れると痒い。その鬱陶しさに対する不快感よりも、肌の感覚が面白くて仕方がなかった。そうして自らの頬を触ったところで、初めてこの身体が自分のものではないことが分かった。

 妖気で鏡面を作って確かめると、そこにいたのは先ほどの女児であり、正に今自分がしている様に不思議そうに目を丸くしている様子だった。

 そこからは身体と意識から記憶を辿る作業だった。

 彼女の名前はアオイといい、狐であった。自ら受け入れただけあって俺の話をよく聞いてくれた。その結果、俺と相棒となる彼女の混濁する意識の中で目的は合致した。俺は「俺たち」の中でも、彼女の「一人で寂しそうだから、一緒にいてあげたい」という純粋な善意に惹かれて目覚めた小さな善意識である。つまり相対的にマシな人格を持ったわけだが、他の「俺たち」が目覚めた時が問題だ。俺が感じ直した世界の感動に呼応して「全てを食らおう」と動き出さないとも限らない。

 その前に俺とこの子が、善意の下に目的を成し遂げなくてはならない。

 本来出会わないはずの二人を引き合わせ、世界の予定調和を崩す。

 これは俺が「俺たち」の中の信用に足る者から頼まれたことでもあるのだ。

 ではすぐにでも目的を果たそう……と思っていたが、それは叶わなかった。というのも思っていたより、この身体は不便だったのだ。

 例えば痛覚。この身体は足の裏が痛くなりやすい。幼い時に感覚が鋭いことに加え、歩幅も小さくて歩数もかかるし、地面の衝撃を受け止める面積も少ない。その状態では一歩歩くごとに痛いという幼児用の靴のクッション性の高さでもカバーし切れないその痛みを引き摺りながら行動するのは難しく感じられた。

 背も低く、高いところのものは取れず、視点が低かった。地面が近いことに限れば小石や虫や落ちているものを良く見える良さはあれど、厳しかった。

 また、幼く痩せて骨張った身体は、当たり前だが腹はすぐ減る割に食べられる量が少なかった。喉も同様にすぐ乾く割に飲める量は少なく、加えて生前好んだ炭酸などは口が小さい故に飲み込みにくく苦労して嚥下するにも口の中が痛む。大人になってからは喉越ししか気にしたことがなかった炭酸なども、一転して苦痛の源とはどうしようもない。最悪だった。

 何より困ったのはすぐに疲れてしまうし眠くなることだった。子供なのだし、おそらく回復は早いのだろうが、小刻みに休憩が必要なこと自体が結構な不便さであった。

 結論として魂としてはこの身体は狭く、この身体としては世界の方が広過ぎた。ともかく、状況整理が付くまで、俺はその場に従っていくことしか出来なかった。

 子供の頃特有の気が遠くなるような長い体感時間を感じながら少しでも情報を集めんと足と体力の許す限り出歩き、姉に心配されながら面倒を見てもらう日々。そうして無為に過ごしていると急に今日という日がやってきた。大人たちが何事か騒いでる中、虫の知らせの様なものを感じた俺たちは姉にせがんで里を出た。連れられながら、ここが天覧合戦の場だと気付き狐の大将が現れたのを目撃したその時だった。

 ワレニカエレ。

 直接意識に届くその声に引っ張られ、我を失いそうになった。アレは「俺たち」だ。一目で俺の存在に気付いたのだろう。しかし、まだ飲まれるわけにはいかない。なんとか、なんとか、祭りへと辿り着くまでは。

 うつらうつらとした意識の中で、俺は一時的に自らに封印をかけることにした。準備の為に相棒へ主導権を託すと、彼女は幼さにそぐわぬ慈愛の目で俺の意を全て察した。

 お祭りに行かないといけないんだっけ。

 彼と、お姉ちゃんを会わせるんだよね。

 今回も赤いお兄ちゃんと黒いお姉ちゃんだけじゃ……「貴方たち」を止められない。

 とても賢い相棒は俺の意図を汲むと直ちに姉の手から逃れると見晴らしの良い方へと駆け出してくれると、やがて祭りに辿り着いた。道中で見つかった悪戯好きそうな子供たちから逃げる間、姉の姿が見えなくなった時はどうなることかと思っていたが相棒を囲んだ子供たちの奥に彼の影が見えると、俺は安心して意識を手放したのだった。

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