―06― 恋人よ

「あっ」


 目を覚ます。

 どうやら知らぬ間に寝てしまったらしい。

 フカフカのベッドだ。

 ベッドで寝たのは何年ぶりだろうか。いつも冷たい床で寝ていた覚えがある。

 って、なんで僕はベッドで寝ているんだ?

 そう思って、周囲を見回す。


「うわぁ!」


 仰け反るように驚く。

 というのも、僕の隣にティルミお嬢様が寄り添うような形で眠っていたからだ。

 その天使のような寝顔に、思わず魅入ってしまう。

 そうだ、僕は昨日、ティルミお嬢様を暗殺しようとして部屋に入ったはずが、色んな事があった結果、彼女に仕えることになった。

 とはいえ、本当に暗殺者が標的だった彼女に仕えるなんてことあっていいのだろうか。

 昨日の一件は気の迷いってことで、僕を投獄するって流れになってもおかしくはない。

 とはいえ、もし本当にそうなっても別に構わないと思った。

 昨日、僕が彼女によって救われたのは紛れもない事実なんだから。


「あの、お嬢様……」


 このままティルミお嬢様に寝ていられると、どうしたものか困ってしまいそうなので、起こそうと声をかける。

 だが、彼女の眠りは深いのか「すーすー」と寝息を立てるだけで、起きる気配は一切ない。

 もっと大声を出して起こそうかと、思ったが、せっかくの眠りを邪魔してしまうのも悪い気がして、なにもできずにいた。

 そんな折――。


「お嬢様、大変です!!」


 バタンッと扉が強引に開けられた。

 開閉音の大きさにビクリッと反応してしまう。


「大変です。この家に不審者が入ってきた形跡がッ!?」


 そう叫んだ人は若い女性だった。

 メイド服を着ていることから、この屋敷に住み込みで働いているメイドなんだろう。


「って――」


 メイドが僕のことを見つめて数秒固まっていた。

 思えば、この家に住むメイドからすれば、寝ているお嬢様の横で座っている僕はどう見えるんだろうか……?


「えっと……」


 なんて説明したものか、と口を開いた瞬間。


「ぎゃああああああああ不審者ぁああああッ!? お嬢様からは離れなさいっ!」


 そう叫びながら、手に持っていたホウキを槍の代わりにして襲いかかってきた。


「うわぁ!」


 僕は慌てながら、メイドを振るうホウキを避け続ける。


「すみませんっ、誤解なんです!」

「なにが誤解ですか!? お嬢様になにか不埒なことを働こうとしたじゃありませんの!」

「そんなつもりは一切なくて……!」

「じゃあ、どうしてお嬢様のベッドにいらっしゃったんですか!?」

「それは、色々あって――!」

「どんな理由があれば、ベッドにいたことが正当化されるんですか!?」


 という応酬を繰り広げながら、しばらくメイドと格闘を続ける。


「あのっ、これには理由があって、説明だけでもさせてください!」

「問答無用ぉおおおおッ!!」


 メイドがそう叫びながら、ホウキで僕を殴ろうと高く振り上げた瞬間だった。


「朝からうるさいわねー」


 ティルミお嬢様の声だった。

 寝起きだからなのか、声がどことなく湿っていた。

 体を起こしたティルミお嬢様に目を奪われる。

 輝く髪の毛に、白い肌。昨日は暗くてわからなったが、彼女はピンクのフリルがついたネグリジェを着ていた。

 彼女を構成する全てが美しいと思った。


「お嬢様、部屋に不審者がっ!」


 メイドがお嬢様に対して、そう口にした。


「んー」


 と、ティルミお嬢様は重たい眼を擦りながら、なにが起きているのか把握しようとしていた。

 その間、僕は緊張のせいか心臓がバクバクなっていることに気がついた。

 昨日の出来事が、実は全部幻想で、お嬢様は僕のことを「なにも知らないわ」なんて言ってしまうんじゃないかという不安が胸を押しつぶしたのだ。

 そう思ってしまうほど、昨日の出来事は僕にとって出来すぎていた。


「ナルハ、彼は不審者じゃないわ」


 その言葉を聞いた途端、僕は一安心すると共に、その艶っぽい声にドギマギしてしまう。


「え、えっと、それじゃあ、彼は一体何者なんですか?」


 ナルハと呼ばれたメイドは困惑しながらそう尋ねた。

 それになんて答えるべきか困ったようで、ティルミお嬢様は顎に手を添えて考える仕草をした。

 それから彼女は僕に目線を合わせると、苦笑しながらこう語りかけてきた。


「あなたのこと、なんて説明しよっか?」


 彼女に話しかけられたってだけで、僕の心はそわそわしてしまう。それほど、彼女の存在は神秘的だ。


「……正直におっしゃるしかないかと思います」


 そう答えている間、僕は彼女の視線を緊張でまっすぐ受け止めることができなかった。


「そう、じゃあ正直に話すわ。ナルハ、よく聞いて」

「は、はい」


 ティルミお嬢様とメイドの視線が交差する。


「彼、私の恋人よ」

「へ――?」


 呆然した僕はそう口にする。

 えっと、一体なにを言っているんだろうか? このお嬢様は。


「お、お嬢様ぁああああ!! いつの間に、そんなふしだら関係を築いたですかぁああああ!!」


 メイドは絶叫して、お嬢様の肩を両手ががっしり掴んで揺らしていた。しかも、涙まで流している。


「冗談よ、冗談。おもしろそうだから、からかってみたの」


 ティルミお嬢様はくすくすと笑いながらそう口にしていた。

 冗談という言葉に僕自身、安堵する。僕がお嬢様のような高貴な方と恋人なんて、天地がひっくり返ってもあり得ない。


「そ、それで、本当に彼は何者なんですか……?」


 メイドは叫び疲れたのか、肩で息をしていた。


「彼、私を殺そうとこの屋敷に侵入した暗殺者」


 今度はあっけからんとした表情でそう告げた。


「は……?」


 そう言って、メイドは呆然としていた。


「でも、気に入ったから私が彼を貰うことにしたの」

「え、えっと、お嬢様、ご冗談ですよね……?」


 恐る恐るメイドがお嬢様に確認する。

 まぁ、僕自身、自分のことだというのに冗談にしか聞こえない。


「本当よ」


 けれど、彼女ははっきりと肯定した。


「え、えっと……」


 メイドが困惑しながら、僕のほうを見た。

 どうやら僕に真実を求めているらしい。


「お嬢様が口にしたことは全て本当です」


 なので、僕も頷きながら肯定した。


「お、お嬢様ぁああああああ! 一体、ご自分がなにをやったかご理解なされているんですか!?」

「もちろん」


 メイドの説教めいた叫びに笑顔で答えるお嬢様。


「いや、こんなことあっていいはずがありませんわ……っ!!」

「私が許可したことよ」

「お嬢様がお許しになっても、主様と奥様がこんな横暴お認めになるはずがありませんわ!」

「それは両親が帰ってきてから説得するわ」


 そうか、考えてみれば、ティルミお嬢様が僕のことを認めようとも、そのご両親が僕のことを認めるかは全くの別問題だった。

 そして、普通の感性をしていれば、両親が僕のことを認めるはずがないか。


「こんなことあっていいはずありません! 今すぐ、この不審者を衛兵に突き出しましょう!」

「もう、ナルハはうるさいなー」


 そう言って、ティルミお嬢様はナルハのことを押して部屋から強引に追い出す。

 そして、部屋の鍵をしめた。


「お嬢様、ここを開けてください!!」


 メイドが部屋の外から扉をドンドンと叩きながらそう主張する。


「こっちに来て。お話しましょう」


 そう言いながら、お嬢様は僕の手を引く。


「いいんですか……?」


 僕は未だ、部屋の外で扉を叩いているメイドのほうを見て、そう言う。


「いいの、いいの、あんなの無視していれば。そのうち静かになるはずだから」


 そう言って、彼女は笑っていた。


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