第一章

―02― 涙

 ひとまず、リグルット侯爵家の屋敷に向かわないといけない。


「〈加速〉」


 そう口にする。

 途端、走るスピードが尋常じゃなく速くなる。

 この魔術があるおかげで、僕は馬車なんかよりも速く移動することができるわけだ。

 そして、馬車なら一週間かかるところをわずか3日で、リグルット侯爵家の屋敷へと到着した。

 本番はここからだ。

 今まで、暗殺なんてしたことがないから勝手がわからないが、暗殺において大事なのはいかにバレないように標的を殺すかだろう。

 そう考えたとき、最も合理的なのが皆が寝静まったときに、屋敷に侵入して一瞬で殺す。

 そして、素早く屋敷から脱出。

 これらを達成すれば、暗殺成功といえるだろう。


 それから僕は近くの森に潜伏し、水で作ったレンズを望遠鏡代わりにして、遠くから様子を伺っていた。

 そして、気がつく。

 屋敷に住む主人や奥様が馬車で出掛けて以降、帰ってこないことに。

 確か、リグルット侯爵家は一人娘だったはず。

 つまり、今、屋敷の中には使用人を除けば、標的のティルミお嬢様以外誰もいないことになる。


「ちょうどよいな」


 屋敷の中の人数が少なければ少ないほど暗殺の成功率は高くなる。

 だから、決行するなら今宵だろう。





 夜になった。

 黒いローブを身にまとい屋敷へと接近する。

 それから門を〈跳躍〉という魔術で高く跳ぶことで超える。それから窓に接近しては、〈防音〉という魔術で音が響かないことを注意してから壊す。

 そして、屋敷の中に侵入した。

 標的のティルミお嬢様がどの部屋で寝ているのかわからないため、虱潰しに部屋の扉を開ける。

 誰とも遭遇しないな。

 途中、ティルミお嬢様以外の者と遭遇したら素早く殺そうと思っていたが、この様子なら無駄な殺生はしないで済みそうだ。

 そして、二階の一番奥にいる扉を開けた。


「あら、いらっしゃいませ。小さなネズミさん」


 開けた途端、ベッドに優雅に座る少女がいた。

 綺麗だ。

 思わず見とれてしまうほどに彼女は美しかった。

 月明かりが彼女の髪の毛を反射する。そのおかげか、髪の毛はキラキラと輝いて見えた。


「それで、一体どんなご用かしら? こんな夜更けに」

「……えっ」


 まるで、彼女はお客様を出迎えるようにそう言うので、思わず動揺してしまう。

 目的を見失うな。

 そう自分を叱責して、心を引き締める。

 目的は彼女の暗殺だ。


〈光ノ刃〉を右腕から出し、〈加速〉を使って一瞬で接近。彼女の首を斬り落とす。


「あらあら、いきなり攻撃とは随分と物騒ね」


 余裕綽々といった態度で彼女はそう口にする。

 けれど、そういう態度なのも納得できる。彼女の周囲には〈結界エスト〉が展開されたせいで、〈光ノ刃〉を通すことができなかった。

 なるほど、簡単には殺されてはくれないらしい。

〈結界〉を破るには、それ以上に強い魔術をもって叩き割ればいい。

 だから、僕は床に両手を置いて魔法陣を構築する。


「〈必滅魔弾砲〉」


 魔力に質量を与えた上で圧縮させて高密度な魔弾を生成する。

 そして、回転エネルギーと共に射出。


「〈三重結界トリプル・エスト〉」


 対して、ティルミお嬢様は結界を三重にして防御を固めた。

三重結界トリプル・エスト〉は結界魔術の中で第三位階に属する。

 大丈夫。あの程度の結界なら、貫通できる。

 その証拠に、魔弾が結界に当たった瞬間、パリンという音と共に結界が破られた。


「え……?」


 まさか結界が破られると思っていなかったのだろう。

 ティルミお嬢様は目を見開いていた。

 魔弾こそ彼女に直撃することはなかったが、この距離なら一瞬で近づいてとどめを刺すことができる。


 だから、地面を蹴って、〈光ノ刃〉を展開して彼女の首を狙う。

 そう思って――。


 予想外なことが起きた。

 僕は、彼女は生き延びようと、後ずさると読んでいた。だから、刃の軌道もわずかに後ろのほうにずらしていた。

 なのに、あろうことか彼女は僕のほうに寄ってきたのだ。


「あなたの魔術すごいわね!!」


 そう言いながら。

 予想外の動きに〈光ノ刃〉が虚空を切り裂く。


「あうっ」


 そして、前に体を乗り出した彼女に頭をぶつけてしまう。

 そのせいで僕の身体は後ろによろめいた。

 それを見たティルミお嬢様は、僕を地面に押しつけるように跨がる。


「ねぇ、今の魔術どうやったのか、この私に教えなさい!!」

「え……」


 目を爛々と輝かせてそう主張する彼女に思わず困惑してしまう。


「なんで……?」


 ふと、そう疑問を口にしていた。


「なにが?」


 僕がなにに対して疑問を覚えているのか見当もつかないとばかり、彼女は小首を傾げていた。


「だって、僕はあなたを殺そうとした」

「そうね。それはとても許されないことだわ!」


 そうだ。そのはずだ。

 なのに、なんでそんな輝くような目で僕のことを見るんだろう。


「でも、それ以上に私はあなたの魔術に興味があるわ!」


 なぜなんだろう?

 彼女から懐かしい匂いがする。


「だって、あなたの魔術とってもすごいんだもん!」


 その言葉を聞いた瞬間、心の中から感情があふれ出た。


「あ……っ」


 自分でも気がつかないうちに、涙が目から溢れてきた。


『アメツ、すごいわね! もう魔術を覚えたの! 将来、きっとすごい魔術師になるわね!』


 二回目だ。

 遠い昔、お母さんに魔術を褒められた。

 僕にとって、最も大事な記憶。

 そして、たった今、彼女に魔術を褒められた。


「う、うぐ……っ」


 なぜだかわからない。

 だけど、さっきから涙が目から溢れてとまらない。

 あぁ、そうか……。

 僕はずっと誰かに自分の魔術を褒めてもらいたかったんだ。


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