第2話「穏やかな日々の終わり」
ビフロ王国は穏やかな気候と多くの平地のおかげで、農業国として長く栄えている国だ。政治が安定しているのと『飢えることがない』という評判通りの豊かな農産物のおかげで治安も悪くない。
ただ、国土の多くが農地なこともあり、王都周辺以外は結構な田舎である。
俺が住むプシコラの町も、実質は村に近い。町を囲む石造りの城壁は結構広く、敷地もあるのだが、空き家が多くて活気は今ひとつである。
それというのも二年前まであった『魔王戦役』と呼ばれる大きな戦いのため、冒険者や商売人の多くが戦いの中心である別大陸に行ってしまったのに原因がある。
今、プシコラの町で暮らすのは昔からの商売人や土地に根付いた人々。
そして、俺のように戦地から帰ってきた者だ。
雑貨屋の朝は意外と早くない。というか、俺の店の場合は遅めでも問題ない。
そもそも、ビフロ王国は暖かい気候のおかげかのんびりした気性の人が多く、営業時間や定休日といった概念が曖昧だ。
この町で商売を初めて一年がたち、俺の店は他より少し遅めの開店で問題ないことを把握している。
昼より少し早いくらいに店舗兼自宅の店舗部分に行き、入り口の鍵を開ける。
その際、軒先にぶら下がっている雑貨屋を示す箱や布をあしらった鉄製の看板の下に鈴を吊す。
音が鳴らないように中身が抜かれている鈴だが、こうしておくことで開店中を示す。この地域のしきたりだ。
鈍い銀色の鈴を吊すと、俺は店内の掃除を始める。
店舗の広さは前世でいうコンビニくらい。棚に並んでいるのは布とかインクとか農具、ランプや油もある。他の雑貨屋と違うのは奥の方に剣や槍や弓、リュックや袋といった冒険者向きの品が多く並んでいることだろう。
店舗の隣にある大きな倉庫には魔法がかかったマジックアイテムも多く保管されており、特別な客となら、そちらの商売もする。倉庫自体も魔法で強化されており、泥棒対策も万全だ。
はたきと箒を使って店内を軽く清掃し、特に問題がないことを確認すると、俺はカウンターの向こうに座る。そして、備え付けられた棚から二枚の紙を取り出す。
紙は植物で作られたもので、表面にはびっしりと文字が印字されている。
枚数は少ないが、新聞だ。
上等とは言えないが、この世界では既に植物由来の紙を量産し、活版印刷の行う技術が存在する。それどころか、こうして情報が印刷されて広い地域でやり取りされている。
二日前、大きめの町に行った際に入手した新聞を、俺は丁寧に読み進める。
それから一時間、俺は新聞二枚を十回以上読み返すことに成功した。しかも、途中でお茶を淹れて飲むこともできた。
その間に客はまったく来ない。
いつも通りの光景だ。簡単な魔物退治と採取くらいしか依頼がないこの地域はもともと冒険者が少なかった上、『魔王戦役』の影響でほとんどいなくなっている。
小さな町の冒険者向けの雑貨屋など、成り立たない商売なのである。
それこそが俺の狙いだ。財産は十分ある。マジックアイテムをたまに売れば食べるのに困ることはない。
おかげで俺は趣味感覚で店を営む、時間が沢山ある店主をやらせてもらっていた。
透明度の低いガラス越しに外を見てみれば、太陽が高い。昼だ。
今日もまた、暇そうだ。おかげでゆっくり過ごすことができる。
看板の下にある鈴を取り外して、町の酒場で昼食でも取ろうかと思った時だった。
今日は開くことはないと思っていた店の扉が開かれた。
「いらっしゃい。フレナさん」
「こんにちは、イスト君。……相変わらずみたいね」
店に入ってきたのは知り合いだった。
茶色い髪に茶色い瞳。背筋が伸びて姿勢が良く、動きもきびきびとしたしっかりした印象を受ける女性だ。
実際、印象通りのしっかりもので、形の良い眉や目つきからは芯の通った女性であることが伝わってくる。
彼女はフレナさん。この町の雑貨屋の娘さんであり、この店の常連さんでもある。
「本当に大丈夫なの? 春なんだから色々と引き合いがあると思うんだけれど」
「そういうのは大体フレナさんのお店に行きますからね」
フレナさんは良い人だ。最初は町にライバル店ができたと知り、警戒心丸出しで偵察に来ていたのだが、俺があまりにもやる気を見せないのでいつしか心配して来るようになった。
「そりゃ、この辺の人は最初にうちの店に来るでしょうけれど……」
「小さな町ですからね。お客さんを奪い合うよりもいいでしょう?」
店内を見回すフレナさんの目が冒険者向けの武具で止まったのでそう言っておく。
実際、本気でこの町で雑貨屋をしたら、フレナさんの店と潰し合いになってしまう。それは俺の望むところじゃない。
「いいわ。たまに来る冒険者とかお金持ち相手の商売でやっていけてるみたいだし。お世話になることもあるから」
そう言うとフレナさんは一枚の紙をカウンターの上に置いた。紙に押されている印と、ここに住むようになってから何度も見たサイン。
冒険者協会からの正規の依頼票だ。
この世界では冒険者が歴とした職業として存在し、国をまたがって冒険者協会という組織が運営されている。なんでも大昔に神々から力を授けられて活動していた人々が組織し、その後定着したらしい。
歴史も伝統も権威もある組織なこともあり、正規の冒険者として名を上げた者は社会的信用もそれなりに得られる。
イストとして暮らす俺は『魔王戦役』帰りの歴戦の冒険者ということになっており、ちゃんと協会にも登録してある。これには友人の力を借りつつ苦労した。
「……急いだ方がいい内容ですね。すぐ準備します。十日たっても帰ってこなかったら、次を探してください」
依頼内容は近くに広がる森林に出現する魔物の調査。できれば退治というものだった。よくある内容だが、記載されている魔物の名前が気になる。
「一人で大丈夫なの? 頼りにならなくても連絡役の人くらい雇えるでしょう?」
フレナさんが心配顔で言ってくる。ビフロ王国は平和だったのもあり、優秀な冒険者が少ない上に、人数も少ない。この地域でこの依頼に対応できるのは俺くらいだろう。
「森の奥まで入りますからね。いざ逃げるなら一人の方が気楽なんですよ」
依頼票を丁寧に畳み。店を閉めるべく扉の鍵を棚から取る。それとは別に、カウンター奥の棚から保存食や毛布など自分用に確保してある冒険者用品も取り出していく。
「やっぱり、冒険者の方が向いてるんじゃない?」
「俺は雑貨屋の方が好きですよ。例え稼ぎが少なくて、冒険者としての依頼を受けなきゃいけなくてもね」
手際よく準備する様子を見てフレナさんが呆れながら言ってきたので、俺は軽い口調でそう返した。
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