4、異質
目が覚めた。覚めるはずもない目が、こうして覚めたということは私はどうやら生きているらしい。
ごつごつとした硬い床を背に、私はあおむけに寝ていた。周りには黒い靄のようなものが漂っている。そのため遠くの景色は見えない。足元をみると、床はどうやら岩石でできているようだった。赤黒い、血液の色をした、岩だ。
ここはどこなのかという疑問にぶつかったと同時に、私は先の自分の考えを真っ向から否定する考えに至った。自分は既に死んでしまったのではないか。血液風呂の中に沈んで窒息するなりして。そして私は死後の世界……つまりはここに来たのではないか、と。
感じるものすべてが禍々しく感じられた。今まで私が生きてきた世界では見ることのないであろう色と、嗅いだことのないであろう臭いと、聞いたことのないであろう音と。ここは端的にいってしまえば
――異質、だった。
生を感じられない、この空間はまさしく死の世界と呼ぶにふさわしい。私はきっと死んだのだ。何も叶えられずに、他人を無意味に殺して。そう結論付けたその瞬間。
「あ、やっと目が覚めたんですね!」
どこからか女の子の声が聞こえた。
「ほら、みんな。サチさんが起きたよ!」
ペタペタと複数もの足音が響く。
「こんにちは、サチさん! お久しぶりです!」
黒い靄の中から、輝くほどの笑顔を見せながら現れ、私に手を差し伸べてきたのはあの女の子だった。私が3週間前に殺した、あの最初の女子高生。服装は私が彼女を殺した時と同じで、学校の制服だった。名前は……知らない。
女子高生に次いで、靄の中からは何人もの女の子が現れた。私を囲むようにして、調度十人の女の子、全員が私が殺してきた女の子だった。
「覚えてますか? みーんな、サチさんがこちらに送ってくれた子たちですよ」
私は彼女らに問うた。
「ここは……どこなの?」
「ここ、ですか?」
代表して先の女子高生が答える。顎に手を当て、首を傾げながら。
「私たちにもわからないんです。でもいいところですよ」
いいところ? ここが?
私には理解できなかった。
「えーっと、大丈夫です。ご心配なさらずに。サチさんはきちんと帰れますから。ここから見えますか?」
彼女は黒い靄の先を指さした。
「あそこの方にですね、血液のいーっぱい溜まった浴槽があるんです。そこに入って沈んでいただければ、きちんと元の所へ帰れますから」
もとの世界に帰ることが出来る、彼女が言っていることが本当かどうかは定かではないが、もしそれが本当なら、それは同時に私はまだ死んでいないということを意味する。だがそうなるといよいよ意味が分からない。私は何故ここにいて、そして何故死んだはずの女の子たちと会話ができているのか。
「まぁわからないことだらけですよね? 私たちもみんなわからないんですから。そこで提案なんですけど、みんなと少しお話をしていきませんか? 正直なところそのために私たちはサチさんをお呼びしたのです」
若々しい女の子たちに囲まれて、私は調度座れそうなでっぱりに腰を掛けた。彼女らも各々でっぱりを探して座り、全員私の方に顔を向けた。
「さて、改めましてサチさん。私たちをこちらへ送っていただき、本当にありがとうございます。私たちは……」
「ちょっと待って」
私は右手の平を彼女に向けて、彼女の言葉を遮った。
「それ、さっきも言っていたけど……一体どういうつもりで言っているの? 私への当てつけ?」
「いえいえとんでもないですよ」
「どう考えたって変でしょ? もしかしてあなたたち……何か勘違いをしている?」
「いえ、多分そんなことはないと思います。サチさんがした行為そのものは確かに、あちらの世界では犯罪に当たりますし、残された人間を悲しませたりもしたでしょう。でもそれはあちらの世界では、のことでしょう?」
女子高生は首を傾げながらそう言った。どうやら彼女は私が彼女らにした行為についてきちんと理解できているらしい。殺す、等の言葉を出さないのは彼女のなりの配慮なのかもしれない。
「なんでしょうね、何という偶然というか……端的に言えば、サチさんがした行為に対して私たちは感謝しているのです。ここにいる全員が漏れなくサチさんにそう言った感情を抱いております」
「……どういうこと?」
聞くと女子高生は、着ていた制服のブレザーを脱ぎ捨て、シャツの腕を捲って見せた。
「ほら、これ」
女子高生の腕には綺麗な真っ直ぐな平行線がいくつも浮かび上がっていた。手首から肘の近くまで、びっしりとできたその線はもはやリストカットにしては常軌を逸していた。
「さすがにこれで死ねるなんて思ってませんよ、これはただの遊びです。死という結果を求めている間の過程に過ぎません。本当に死ぬつもりならこんなところではなく、首を切りますしね」
「つまり君は……」
「美弥です、私の名前」
「美弥さん……つまりあなたは、もともと死にたがっていたということ?」
「はい! その通りです! ですからサチさんが行った行為は、私にとって何もマイナスなことは無かったんですよ!」
女子高生は親指を立てた右手を私の前に見せつけ、満面の笑みでそう言った。
「もちろんここにいる全員が生前そういった願望があったというわけではありませんが、ここにいると自然とサチさんに感謝の気持ちが湧いてくるんです。ここは本当に素晴らしいところですから」
私には彼女が嘘をついているようには見えなかった。本当に私のことを悪く思っていないらしく、むしろ言葉づかいから尊敬しているようにも感じた。周りのみんなもそうだ。美弥さんの言葉に対して、静かに頷き、否定の一つもしない。どうやら本当に私は歓迎されているらしかった。
「あ、そうだ! サチさんは何でこんなにも多くの女の子をこちらに送ったんですか? 何か理由があるんですよね?」
興味津々の顔がぐいっと私の近くに寄って来る。
「もしかして……エリゼベート・バートリとかいうのが関係してるんですか?」
「知っているの?」
「いえいえ、何を言ってるんですか。サチさんが教えてくれたんじゃないですか。エリゼベート・バートリって知ってる? ……って。」
「ああ……聞こえていたの?」
「どうなんでしょう? うっすらと、言われた気がする……って感じです」
その会話をきっかけにして、私と彼女とは会話が弾んだ。これだけ人と喋ったのは久しぶりだったが、不思議と会話が途切れることは無く、私は楽しい時間を過ごした。美弥さん以外の子も全員いい子で、私の目に間違いはなかったのだと改めて実感することができた。
「ねぇサチさん、また来てくれる?」
帰り際、彼女が先に言っていた血液の入った浴槽の前で彼女はそう言った。
「ええ、もちろん」
「よかったぁ……あ、もし良ければなんですけど、少し頼みごとなんですが……あと一人女の子をこちらに送っていただけませんか?」
「何で?」
「単純な話です。そちらの浴槽に少し血液が足らないのです。私たちがサチさんを招くとき、量が少ないとすこし大変なんですよ。大丈夫です、新しい子が来ても絶対大丈夫ですから」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます