第24話 嫌われてもいい

 あと数分ここで穂花の邪魔をすれば、オーディションに間に合う電車には乗ることはできない。そうすれば穂花を守る事が出来るんだ。

 俺は強い気持ちと共に、穂花の行く手を防いで穂花を駅へと向かわせないようにしていた。このまま邪魔し続ければ穂花を救えるはずと思う。


「たかくん……」


 穂花が俺の名前を呼んでいた。

 同時にその瞳に涙が浮かんでいるのをみて、胸の奥が強く痛んだ。


 穂花を傷つけている。穂花を助けるためだというのに、穂花の心に傷を残している。それは俺は望まないことで、穂花を傷つけるなんて何よりも許せない事で。


 俺にとって穂花を泣かせる事は世界で罪深い事だと思った。


 けれどそれでも穂花にオーディションに行かせる訳にはいかなかった。もしそうしてしまえば穂花は死ぬ。穂花は事故にあってしまう。

 今も脳裏から離れない、紅にまみれた穂花だけれど穂花ではないものに変わってしまう。無残に残されて引き裂かれた体。

 あんな姿に変えさせる訳にはいかなかった。


 嫌われてもいい。穂花を救えるなら、穂花に泣かれてもいい。


 どんな風に思われてもいい。穂花を救う。それが俺の全てなんだ。

 俺はにらみつけるようにして穂花の行く手を防いでいた。このままこうしていればきっと穂花は救われるはずだから。

 穂花はしばらく涙目で俺をにらみつけていた。


 だけど何かをすることもなくて、それから目をつむって、大きく息を吐き出す。


「……わかった。たかくんがそうまでいうなら、オーディションにいくのやめる」


 けど穂花は小さな声で告げていた。

 その震える声にどんな気持ちがこもっていたのかはわからない。


 穂花はいちど強く目を閉じると、それから大きく開いて俺の方を見つめていた。

 穂花の夢を壊そうとしている俺を、だけど穂花は受け入れようとしていた。


「わからないけど、たかくんが何の理由もなくこんな事をする訳は無いもの。私、たかくんを信じるよ」

「穂花……ごめん……ありがとう」


 穂花に俺の気持ちが通じたのだろうか。

 俺は穂花の邪魔をしていた。だけどそれは穂花を救うためだ。

 その気持ちが伝わったのだろうか。みると穂花の目からは怒りの色が消えていた。


 どちらにしても時間的にはそろそろ間に合わない時間だ。だからただ単に行く事が出来ないから、諦めただけなのかもしれない。

 もう起きてしまった事に怒り続けていても、何の得にもならない。だから根が優しい穂花は、俺への怒りを一時的に解いただけなのかもしれない。


 今たしかに浮かんだ怒りは俺と穂花との間を本当は引き裂いているのかもしれない。

 だけどそれでも穂花を守り通す事が出来た。


 穂花が救われるならそれで良かった。

 穂花が救われた。

 穂花を守り切ったんだ。


 ごめん、穂花。傷つけてごめん。嫌な事をしてごめん。心の中で謝る。

 でももうこれで穂花は駅前にいくことはない。だから救われる。


 そう思った。

 その瞬間だった。


「たかくん!! あぶない!!」


 突然穂花は俺の名前を呼んだかと思うと、俺へと思い切り体ごとぶつかってきていた。


 急な出来事に俺はたたらをふむ。

 それと同時にその場所を猛スピードで走り抜けていく、あの車の姿があった。


 あの車は穂花の体をとらえていた。


「あああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 どちらの声だったのかもわからない。

 強い叫び声が響き、穂花は宙に舞った。


 車は穂花をはね飛ばすと、そのまま穂花の家の塀へとぶつかって激しい音を立ててつぶれていく。

 穂花は壁に激突して、もう何も言わない。


 真っ赤な血を流して、力なく横たわっている。

 もう穂花はただの物言わぬ人形と化していた。


 あまりの出来事に俺はその場にぺたんと座り込んでいた。


「なんで……だよ……」


 どうしてあの車が穂花の家の前までやってくるのか。どうして穂花は自分の夢を邪魔してきた男のために、自分を省みずに助けようとしたのか。


 どうしてまたもや穂花を救えないのか。

 わからない。わからなかった。どうして繰り返されてしまうのか。


 時間も場所すらも変わったはずなのに、どうして同じ車がここにきてしまうのか。

 何度繰り返しても、何度繰り返しても、同じようにはしていないのに、事故だけは繰り返されてしまう。


 まるで運命が決まっているかのように。


 頭が回っていなかった。やりとげたはずなのに、嫌われたばすなのに、俺を救うために穂花がいなくなった。

 穂花がいない。もういない。

 頭の中が混乱して、もはや何を考えていたかもわからなかった。


『たかし! しっかりして!!』


 フェルが俺を呼ぶ声がしていたけれど、俺の耳には届いていなかった。

 ただそれがまるで合図だったかのように、俺は静かにつぶやいていた。


「三十分戻して……」


 俺の体はふたたびめまいに襲われて、時間を戻していた。

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