第19話


アリシアが調合した魔法薬は、ビーカーの中で粘りを持った深緑色の液体となって自然冷却中だ。

液体が冷めればエメラルドグリーンに変色する。

ラメのように煌めいていれば高性能な魔法薬が完成したことになる。

ビーカーに顔を寄せてにらめっこをしているアリシア。

その表情は不安でいっぱいだ。

正しい分量で正しい順序と時間を守って正しく作れたことは、腕を組んで見守っていたリーヴァスも知っている。

しかし、準備の段階で分量を間違えるという凡ミスをしでかしたアリシアにとって、今回は初めての調合以上に緊張して作業を進めていた。


「あっ!」


アリシアが小さく声をあげる。

ビーカーの八分目まで入れられた液体の中心から現れた光の粒子が静かに渦を巻きながらビーカーの口にまで上がっていく。

虹色に煌めくその粒子がビーカーの中で渦を巻き、静かに液体に戻っていく。

ゆっくりと見えない棒でかき混ぜられるように回りだした液体が光の粒子と混ざり合い……回転が止まると同時に光が落ち着いていく。


「……成功だ。ランクは4、今までで最高ランクだ。おめでとう」


心配そうに作業台にしがみついたまま、隣に立つリーヴァスを見上げるアリシア。

リーヴァスの評価を受けてその場で数度飛び跳ねるとリーヴァスに飛びついた。


「リーヴァス先生! ありがとう!」

「最初のミスで畳紙たとうがみに残ったわずかな量の誤差が発生した。それがなければ最高級品になっただろう」

「……はい、ごめんなさい」


グラムに反映されない数粒の粉、それが成功を左右する。

5ランクの魔法薬学で5に近い4というランクの魔法薬を完成させた。

しかし、アリシアは最初のミスがランクを落とした原因と分かると反省を口にする。


「魔法薬は傷を治す回復薬と違い身体強化など肉体を酷使するものだ。もし使用する素材を間違えた場合、使用者には限界以上の負荷がかかる。筋肉を断絶し心臓や肺は機能を低下させて最悪死を招く。魔法薬は一歩間違えれば死を招き、それを止める薬も回復させる薬も存在しないことを忘れるな」

「はい。二度と同じ間違いをしません」


魔法薬のほとんどは魔物との戦闘で使われる。

強い魔物と出会でくわしたとき、眠っている能力を一時的に解放させるためだ。

それは身体能力を限界まで引き出すだけでなく、心臓や肺の機能を限界以上まで引き出すことが必要とされる。

強力な一振りで筋肉が断絶するなどあってはならないのだ。

そして戦闘後はゆっくりと元の身体能力まで下げていく。

いつまでも通常の2倍や3倍の速さで動いていれば、心臓は破裂してしまう。

急に元の身体能力に戻ってしまえば、肺は酸素を取り込めず脳が死んでしまう。


【災厄の一年】と呼ばれるあのとき、どれだけたくさんの魔法薬が使われただろう。

その危険性と乱用による限界を知る魔術師たちが、魔王を元の世界に追い返すために使い続けてその身から血を噴き出しズタズタにして戦ったか。

今までの魔王との戦いでも使われてきたし、これからも使われていくだろう。

魔法薬学はそんな彼らの身体に少しの負荷もなく、生きて家族や愛する者のもとへ帰られるように進化を続ける学術だ。

……だからこそ、甘えは禁物なのだ。


「アリス、三度目はない」

「はい、リーヴァスパパ」


リーヴァスが『アリス』とアリシアを愛称で呼ぶと、アリシアは緊張を解いてリーヴァスをパパと呼ぶ。

調合作業は終了したのだ。

すでに器具は片付けられていて、残るのは魔法薬を指定された瓶に移す作業だけ。

普段なら屋敷妖精のシルキーが行う作業だが、ここは家でも店でもないためリーヴァスが行う。

魔法が使えれば安全に瓶に移すことが可能なのだが、両親の意志に従いアリシアは魔法に触れてこなかった。

そのため液体の薬を浮かべて瓶に移し替えるのは2人が代わって行うのだった。



愛称はその人との関係が近い場合のみに許される。

ファーストネームとミドルネームの名が付けられているのは、ファーストネームが同じであってもミドルネームまで同じ人はほぼいないからだ。

アリシア・ブランシュや彼女の両親(父:フレデリック・ハリソン。母:フレデリカ・セシーリア)がそれに該当する。

アリシアの愛称がファーストネームなのに対し、両親はミドルネームのハリスとセシーなのは、ある事情で2人のファーストネームが流行ったからである。


逆に多くない名前ならファーストネームのみということもある。

バグマンがそれにあたる。

育ったのが村で、名前が被らないように付けられたのも理由だろう。

彼の名前は父の出身国のバグレイアから付けられた。

そのバグレイア国は【勇者の子】が自国の名から付けられたことを誇っている。

…………だからといって、彼にあやかって『バグマン』という名を我が子につけようという者はいない。

自分が勇者になれる器ではないと分かっているからだ。


名前は魔法であり、家族以外では愛称を呼び合える強い結びつきが生まれた場合に呼べるようになる。

けっして友人知人などで呼び合えるものではない。

リーヴァスがアリシアを愛称で呼べるのは、アリシアの名付け親だからだ。

そしてアリシアの愛称がリーヴァスだけ違うのには理由がある。

『シア』と呼ばれた少女が存在していたのだ……リーヴァスの妹が。

彼女は家族と共に魔王が現れた国で死を迎えた。

空間に亀裂が入って魔王が現れるとき、その周辺地域一帯は空間がねじれて消滅する。

リーヴァスの妹パトリシアは亀裂が入ったときに家族と避難していたが、現れたのが【災厄の魔王】だったため国の半分が消滅した。

リーヴァスの両親や弟妹、親族もが国の人たちと運命を共にした。


「死んだ家族と同じ愛称は呼べない」


そう考えるのはリーヴァスだけではない。

特に【災厄の魔王】が現れたことで喪われた大切な人たち。

そんな人たちと同じ愛称で呼んで……また喪うことに怯えている。

そのため、複数の愛称で呼ばれている人は多い。

アリシアの愛称はアリスとシアの2種類。

そのどちらも呼べない人は愛称ではなく、周りと同じくアリシアと呼んでいる。


ちなみにアリシアがリーヴァスを愛称で呼ばないのは、師匠と弟子の関係だから。

それでも「パパ」と付けているのはアリシアの甘えと信頼からである。

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