彼と婚約破棄してと言われましても、私たち婚約なんてしていませんよ? だって、彼は……

下柳

第1話

「あなたじゃ彼を幸せにできないわ! だから、彼と婚約破棄して!」


「……はい?」


 突然目の前に現れた女性の言葉に、私は驚いていた。


「えっと、彼って、誰のことでしょうか?」


 私は、当然の質問をした。


「エリオット様のことよ! 私は彼を心から愛しているの! いい加減、彼に付きまとうのはやめてもらえる?」


「ああ……、そういうことですか……」


 私は状況を理解した。

 どうやら目の前にいる彼女は、とんでもない勘違いをしているようだ。

 あ、申し遅れました。

 私、カトリー・ロンズデールです。

 一応、子爵家の令嬢です。

 

 ここは、貴族の人達も通う学園なのですが、学園内では階級に拘らず、皆が平等な立場として接する校風なのです。

 だから、平民である彼女の態度も特に気になりません。

 えっと、彼女の名前は何だったかしら……。

 そうそう、マーシー・オバーフだったわね。

 さっき言っていたエリオット様という人物と彼女は、クラスが同じだったはず。


「さっきからぼうっとして、私の話を聞いてるの!? エリオット様と別れてって言っているの!」


 彼女は下品に怒鳴りながら、ポケットから出した櫛を私に投げてきた。

 しかし私は華麗にそれをキャッチした、つもりだったのだが、受け損なって腕に当たってしまった。

 理想と現実のギャップが思ったよりも開いていたようだ。

 ほんの少しだが、血が出てきている。


「今日はこの辺にしておくけど、一週間以内に彼と別れないようなら、ただじゃ済まないわよ!」


 マーシーはそれだけ言って去っていった。


「さて、どうしましょう……」


 私は悩んでいた。

 出血の方ではない。

 こんなのは絆創膏を貼ればすぐに治る程度のものだ。

 問題は、彼と別れろと言われたことだ。


 彼と別れろと言われても、それは無理な相談である。

 私は彼と別れるつもりはないから、という理由ではない。

 だって、そもそも私と彼は、のだから、別れるも何もないのである。

 もちろん、結婚もしていない。


 そのことを説明しようと思っていたけれど、彼女は去ってしまったので、言う機会を逃してしまった。

 わざわざこちらから出向いて説明するのも面倒なので、放っておいても大丈夫だろう。

 たぶん、そのうち向こうから文句を言いにやってくるので、その時に説明してあげることにしましょう。


「どうやって、あんな勘違いをしたのかしら……」


 まあ、思い当たる節はある。

 彼と私は、確かに仲がいい。

 しかも彼は私のことを溺愛しているので、周りの人が付き合っていると勘違いする気持ちも、わからないでもない。

 私は思わず笑いそうになっていた。

 だって、彼は──。


 いや、今はまず、傷の手当てをしないと。

 それにしても、彼女の行動には少々不満だった。

 勘違いするのは、まあ許せる。

 誰にでもあることだ。

 でも、あんな強引なことをするなんて、どうかしている。


 まあ、私が何かするまでもなく、おそらく彼女には相応の報いが訪れるだろう。

 彼女が心から愛しているという、彼の手によって……。

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