第20話 あそこだ!
龍夜は対峙した瞬間、この白狼を純粋に殺さなければと判断した。
あれは死だ。死が人の形をして闊歩している。
死は眠らせなければならない。起きていてはいけない。
全身全霊を持って殺さねばならない!
白狼が動く。ほんの微々たる遅れで龍夜が動く。
二つの銀閃が暗闇を走る。
斬との刃音がした時、鮮血が飛び散った。
「ん~!」
白狼は地面に転がる自分の左親指に首をひねる。
踏み込みも振り下ろしも一歩先だった。
結果は、白狼よりも遅く動き出した龍夜が、白狼よりも速く活動する異様な有様だった。
「せいっ!」
龍夜は日本刀持った両腕を力強く跳ね上げる。
ほんの三メートルの間合いは一瞬にして詰められ、上段より振り下ろされる。
刃を受け流さんと構えた白狼の日本刀を透過する。
そう錯覚させるまでの速さが白狼の右手首を断ち切った。
「おっらっ!」
地面に右手首ごと日本刀が落ちるよりも先、龍夜の拳が白狼の顔面に激突した。
白狼は何が起こったのか、顔面走る衝撃を理解できず地面に倒れ込む。
龍夜は拳を握りしめたまま、好機だろうと追撃かけず驚き固まっている。
「「どういうことだ?」」
双子だからこそ揃って疑問を口走っていた。
鬼の首が白狼の身体を器としているからこそ、記憶にある以上の強さがあると思い挑んだ。
変異なくとも白狼は強い。
剣術だろうと勉学だろうと一度見聞きすれば反復することなく簡単に学び、実践する。
それこそが白狼の強みであり、両親、特に母親が次期当主として強く推す理由だった。
加えて鬼の憑依により変異し、強化されていると警戒したが結果はこの通りだ。
「本当にどうなってんだよ!」
白狼は苛立ち吼えながら完全回復薬を使う。
切り落とした部位が一瞬にして復活した。
薬の残りは三本。何カ所斬り落とすか、どこを斬るか、龍夜は眼光を緩めない。
また龍夜自身、使える間があると思うなと己を強く戒める。
「龍夜、なんでお前は俺より速い! 俺より鋭い! 俺より先にいる!」
「それは俺の台詞だ、白狼! なんで俺より遅い! 俺より鈍い! いつも俺の先にいるお前が俺の後にいる!」
刃をぶつけ、疑問をぶつけあう。
白狼が一歩踏み出した時、龍夜は一刀を振り落としている。
白狼が刃を突き入れた時、龍夜は水流のような動きで避けている。
能力的に劣るはずの龍夜が白狼を上回るなど本来ならあり得なかった。
その原因を見抜いたのは他でもない勇たち四人だ。
避難民の誰もが我先にとエンジュの山に逃げ込む中、神社に残っては二人の戦いを見届けようとしている。
傍らには優希や荒木の姿もあった。
子供たちだけを置いていけない思いがあったからだ。
「龍夜兄ちゃんがどこ行ってたか、結局聞きそびれたけどさ、白狼兄ちゃんのあれ、どう見てもね~」
「ああ、この一ヶ月、竹刀なんてまともに振ってないもん」
「しょっちゅう遊びに行っては稽古サボってたもんな」
「稽古に出ていた頃の白狼兄ちゃん、動きは鋭いし、太刀筋だって速いのに、今じゃ見る影もないわ。あれで鬼が取り憑いてんのか?」
稽古をサボリにサボった代償で身体能力が低下していた。
一方で龍夜の動きは別格だった。
圧倒していると子供たちは改めて驚き目を見張るしかない。
(龍夜が強いのは異世界で戦い抜いて、生き抜いてきたからよ。けど、その強さは一人じゃなかったから得たもの。それが何を意味するか、あんたには分かるかしら、白狼?)
優希は話でしか龍夜の活躍を知らない。
あの時、地下で握った手が震えていたのを覚えている。
殺さねば殺される状況で、どれほど血反吐を吐いたか。
救えるはずだった人を救えず、どれだけの悔し涙を流したか。
魔王と対峙し、どんな死線を乗り越えたか。
それらが今の龍夜を形作った。
だとしても強さは変わろうと、誰かを助けんとする本質は何一つ変わっていない。
誰かのために行動するからこそ、勇者として異世界に召還されたのだろう。
(白狼、あんたは怠けすぎたし増長しすぎた)
幼き頃から天才と称えられ、秀でた能力におごり高ぶった男。
おごることなく鍛錬を重ね続けていれば、龍夜は一生、後塵を拝していただろう。
ボタンの掛け違えのように、もし兄弟の立場が違っていたのならば、応援していたのも、心許したのも逆となっていたはずだ。
(ねえ、白狼、今のあんたを応援してくれる人はいるの? いないでしょうね。あんたの周りにいるのはいつも、ゴマ擦って持ち上げるか、虎の威を借る狐のように打算的な奴しかいなかった。心許せる友達も切磋琢磨する仲間も、みんな、あんたに愛想尽かして龍夜のほうに行った)
もう三人で仲良く遊んだ日々は戻らない。
家のしがらみに囚われることなく島を駆け回った。
兄弟の稽古後におにぎりを差し入れた。
幼なじみのよしみで贈ったバレンタインのチョコは、俺の方が〇,一グラム多いと、ドングリの背比べをした。
(さようなら、白狼。あんたはいい人にすらなれなかったわね)
失望と涙を心に留め、優希は別れを告げた。
「クッソが!」
刀傷を右頬に走らせる白狼は悪態つく。
龍夜の踏み込みによる突きを左手の平で受け止めては刺し貫かれる形で抑え込む。
鮮血に染まる手の平が鍔を掴み取り、ガッチリと離さない。
押さえ込んだ龍夜に向けて白狼は不適に笑う。
「はぁん、これで動け、ぶごっ!」
白狼は最後まで言い切ることも、振り上げた日本刀を振り下ろすこともできなかった。
一瞬にして龍夜の姿が消えたと捉えた瞬間、顎先に走る激震にて背が反り返るのを強要されたからだ。
倒れ込む間際、白狼の目が捉えたのは右拳を天高く振りかざした龍夜の姿であった。
「こ、こいつ、躊躇なく武器を手放した、だと!」
単純なことだ。
武器を手放した瞬時に、身を伏せればボクサーよろしくのアッパーで顎を殴り飛ばしただけ。
地面に背中を強く打ちつけた白狼は龍夜が馬乗りとなるのを許す。
武器は手放そうと流れは手放さない。
握り拳の連続が白狼の顔面に飛来する。
「そういや最後にケンカしたのっていつだったけな!」
「あぁん! プリンのこと言ってんのか!」
龍夜は全体重をかけて白狼を押さえ込む。当然のこと左右の足裏で両方の手首を踏みつけ、押さえ込むのも抜かりない。
がっしりと靴裏で踏みつけ、日本刀を振るわせないし、その手の平から抜かせない。
「なんだよ、兄弟、しっかり覚えてんじゃねえか! 最後にケンカしたのが小学校卒業前! 冷蔵庫にあったプリンが二つ揃って消えていた! どっちが食ったか大喧嘩だ!」
龍夜は拳で殴りつけ、口で言い続け、足で日本刀を踏みつける。
「見かねたじいさんに止められて、結局はどっちが犯人かわからねえままだ! まあ結論ありきで言えば、プリン食った犯人、優希なんだよな!」
本土にある有名洋菓子店の限定プリン。
知的探求心に負けてしまった優希が二つも食べてしまったのだ。
重要なのは食欲ではなく知的探求心。
どんな素材を使っているのか、この舌触りは、調理法はと考察しているうちに二つも食べてしまったという訳である。
「お前はいったいどっちなんだ! 愚弟の白狼か! 鬼の首か! 質問の受け答えが速すぎる! 記憶を覗いて白狼を模倣しているわけでもない! 鬼ならば何故、変異の元凶のくせして人間の姿のままでいる! お前はどっちなんだよ!」
龍夜は問答と拳を繰り返し出す。
人間として限りなく強いのは間違いない。
その身体より漏れ出す死の密度は異世界スカリゼイで戦った魔王と遜色がない。
刃を交えて分かった。
今の白狼は人間の範疇は越えておらず、かといって変異体以上の強さを持つ鬼でもない。
強いて言うならば中途半端なのだ。
人間より強くとも変異体より強くはない。
「好き放題、殴ってんじゃねえよ!」
あれほど殴ろうとアザ一つない白狼が吼えた。
「ぐうううっ!」
白狼の顔が一層の憤激に赤黒く染まる。
怒りに呼応するように全身から黒き波動が放たれては龍夜の身体を弾き飛ばした。
「こ、このぞわぞわはデスドルドグ!」
至近距離から黒き波動を受けた龍夜は一瞬だけ意識を奪われる。
存在を力とするリビドルと対を為す存在を否定するデスドルドク。
生きたいとする力と終わりとする力。
鬼の語原は
死の塊だからこそ異世界スカリゼイにおけるデスドルドクが当てはめられた。
「そのまま干からびろ!」
龍夜が意識を取り戻すほんの一瞬の間、白狼がその腕を掴んでいた。
その手に触れし人間は命を吸収され死に至らせる。
掴まれれば、命――終わる。
「黙って吸われると思ってんのか!」
ぞくぞくとした命吸われる感覚が掴まれた腕を介して白狼から流れ込んでいく。
掴まれた腕が萎む。干乾びる。だが龍夜の意志に呼応し逆再生のように元に戻る。ただ縮んでは元に戻り、戻っては縮むを繰り返す。
「ぶはあああああああっ!」
膠着状態は起こらなかった。
白狼が派手に吐血したからだ。
胸元を抑える白狼は龍夜の腕を離すなり、身体を突き放しては真っ青な顔で後ずさりする。
「な、なんだ、お前、そ、その命は、す、吸っても、吸いきれねえ、おえええええっ!」
「慣れねえもん食うからそうなるんだよ」
対して龍夜は少しクラっと軽い立ちくらみ程度で済んでいた。
そのまま口端を釣り上げては不敵に笑う。
「あ~そうか、俺のリビルドがお前のデスドルドグを上回ったってことか」
つまりは生きようとする意志が殺そうとする意志を上回り、白狼に不調を与えた。
鬼の首が憑依しているならば、龍夜のリビルドは猛毒同然だ。
またその逆も然り。
魔王と同等同質のデスドルドグを持とうと、生身の身体が器だからこそ、大量のリビルドの受け入れに耐えきれなかった。
要は器ではなかったのだ。
「クッソタレが!」
悪態つく白狼は手の平に突き刺さったままの日本刀を抜き捨てれば、完全回復薬で傷を癒す。
そして再度吐血した。滝のような勢いで血を口から吐き出し、地面を赤く染める。
「ど、どうして、回復したのに、なんだ、この中から喰い尽くすよう感覚は!」
狼狽する白狼に龍夜もまた目を点にするしかない。
ただ間を置いて合点が行った。
「あ~なるほどね」
「お、お前、薬に毒でも混ぜていたか!」
「ドアホ、なんで自分で使うものに毒混ぜなきゃならん。俺は自殺願望もロシアンルーレットもする趣味はないぞ」
呆れ顔で龍夜は白狼が投げ捨てた自分の日本刀を拾い上げる。
右肩に担ぎながら不敵に笑い、言った。
「その薬は熟練の職人たちが長い年をかけて作ったものだ。要はリビルド、生かしたい、助けたい意志が込められた至高の一品だと言っていい」
「さっきから、<りびるど>やら<ですどるどぐ>やら、訳のわからんことを!」
分からなくていいし、知らなくてもいい。
龍夜が勝手に当てはめているだけ。
この世界の理ではないのだから。
「今まで使っても平気だったのは用法通り、身体の傷や欠損部を治していたからだ。けどよ、お前、さっき俺の身体からリビルドを吸い取っただろう? いや俺が抵抗するために流し込んだ、が正しいか。俺からお前に流れ込んだリビルドが薬と呼応して過剰反応を起こしたんだろうよ。用法用量守らないからそうなるんだ」
勝ち気に誇る龍夜だが、内心、予想外の反応に驚いていたりする。
(恐らくだが、リビドルこもる薬を使ったからこそ、白狼の体内にある吸い取った俺のリビルドに反応したんだろう。デスドルドグ宿す身で薬使った例なんて向こうの世界で見たことないからな)
仲間、特にメルキュルルが知れば実証実験だと実験体確保の大騒ぎのはずだ。
「ざけんな、ざけんな、ざけんなああああああ!」
白狼が歯をむき出しにして憤然と叫ぶ。
目を鮮血のように赤く染めて怒り狂う。
全身から蒸気のように黒き煙が噴き上がり、頭上に集いで形を作る。
「俺は、俺は比企家の次期当主だぞ! 出来損ないのお前なんかに負ける――ぶふはぁ!」
白狼は目や鼻から血を噴き出しては糸が切れたように倒れ伏す。
全身を激しく痙攣させながら、動かなくなった。
呆気なかった。
勝敗つくことなく器が限界を超えた。ただそれだけの理由だった。
「ようやく真打ち登場か」
龍夜は眼光鋭く集う黒き霧を睨みつける。
白狼が倒れようと、憑依した鬼が消えたわけではない。
むしろ消えてもらっては困る。
仮に鬼を討とうと、帳の発生源とされる宝を斬っていなければ一生暗闇の中だ。
黒き霧が心臓の鼓動を刻む。死の圧力を増し、龍夜の心を軋ませる。
『ぐおおおおおおおおっ!』
暗闇と大地揺さぶる咆哮にて、黒き霧は巨体を露わとする。
鋭き野獣の如き眼光、耳まで裂けた口からは牙が覗く。丸太のように太き四肢に鋼鉄のように分厚い胸板。下腹部とて六つに割れ、その象徴たるマスラヲすら劣りはない。
ただ鬼と呼ぶに値する額に角はなく、二メートルを超える筋骨隆々の黒きマネキンがそこにいた。
『忌むべき比企家の人間が! 殺してやる! 殺してやる!』
「殺すとはまあ鎌倉時代の鬼らしく古典的だ。ふん、どうやら完全復活とまで行っていないようだな」
だから魔王と同等の力を感じながらも、魔王と同等の脅威と感じなかった。
鬼はまだ完全復活を果たしていない。
神社に現れたのも避難民を完全復活の糧にせんとするためだ。
一方で、不完全だからこそ憑依先である白狼の意識が残っていた。
その身体つきは男なら憧れるだろうと、手足の指先を注視すれば霧のように霞んでいる。
手の打ちよう、いや首の打ちようがある。
だが、下手に首は切り落とせなかった。
帳を破るために斬らねばならぬ鬼の宝がどこか分からないからだ。
「ああああっ! 宝見つけた!」
勇が我先に叫ぶ声が暗闇に響く。
「どこだ!」
「あそこだ!」
文字通り、勇はあそこを指さした。
龍夜は一瞬だけ意味が分からず、敵前だろうと呆けてしまう。
「あ、あそこって……あっ! ま、まさか、いやああああああああああっ!」
意味を知った優希が両頬を押さえて絶叫する。
「だから、宝ってチ○コのことだよ!」
「漢字で書くと
「岡山の博物館に実物の<鬼の珍宝>があるってネットで見たもん!」
鬼に視線戻した龍夜はただ愕然とした。
『だから、どうした!』
鬼は吼える。
吼え、叩き潰さんと拳を振り上げる。
だが、振り下ろすことはなかった。
鬼の拳が飛ぶより先に龍夜の身体が舞い、その拳を斬ったからだ。
「さあ、こんな茶番終わらせて、朝日浴びるぞ!」
『粋がるなよ、
人と鬼、生と死。相容れぬ存在同士が激突する。
島の命運を賭けた最後の戦いが今始まった。
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