第2話 あのバカ、なにやらかしてんだ?

「こ、この病院で、い、生きているのは――私だけとなった」

 白髪に皺のある老人がディスプレイに映り込む。

 紛れもなく院長の和田先生だ。

 日頃浮かべる穏やかな顔から一転、呼吸は荒く、目は血走っていることから尋常ではない事態に遭遇したのは明らかだ。

「医療に携わる者として不甲斐ない。誰も彼も突如現れたゾンビに襲われゾンビとなった。フィクションだと笑い飛ばすだろう。ああ、私とて医者の端くれだ。あんなのはあくまで作り物にすぎん! だが現実はどうだ! 病院だけではない。駆け込んできた人たちによれば島の各地でゾンビが現れたという。驚くことに誰もがこの島に住まう人たちだ! 私は医師として原因を調べた! 皆総出でゾンビの一体を掴まえ、あらゆる検査をした! 結果は白だ! 映画にありがちなウィルス反応など何一つ出なかった!」 

 ウィルスが原因でないからこそ当然だろう。

 龍夜は表情を変えることなく無言のまま動画を見続ける。

 死霊は死体に霊体が入り込んで誕生するもの。

 どこから霊体が出現したか今なお不明であり、現代医学ではウィルスように霊体を検知するのは不可能だ。

「それでも私たちは避難者や負傷者たちの治療を行い続けた。そんな時だ。病院に銃を持った集団が押し掛けてきた。ああ、最初は救援が来たのかと安堵したが違った。奴らは要求もなく突如として発砲してきた」

 公民館を襲撃したグループとは別グループがいるようだ。

「奴らに殺害された人たちはゾンビとなり、あろうことかスタッフ全員が蜘蛛の化け物となってしまう。あれはいったいどういう理屈なのだ! たまたま場を離れていた私は無事だろうと、この有様。この映像を見ている者へ告げる。もしその集団と出くわしたら何が何でも逃げるんだ。奴らは生きた人間ですら生きたゾンビと認識して殺しに来る。話など――」

 カメラに人影が映る。

 だがマイクは扉が開く音を一切拾っていない。

 影は正面から院長に迫る。

「――ん、君は……よかった。無事だったのか――があああ、やめろ、やめるんだ!」

 机越しに院長は頭部を何者かに掴まれている。

 反応からして知った顔のようだが、島だけに知った顔は全島民なのだから分からない。

 動画越しに相手の顔は映ることなく院長は干物のように急速に干からびていく。

「やめるんだ、白狼くん!」

 ありえぬ名に龍夜は両目を見開いた。

 そして映像は椅子に倒れ込む院長を最後に再生を終える。


「あのバカ、なにやらかしてんだ?」

 再生を終えたスマートフォンを机に戻しながら口走る。

 双子の弟とはいえ白狼はただの人間だ。

 性格を除けばかなり優秀な人物なのだが、人間をミイラ化させるスキルなど持ち得るはずがない。

 ただ一つの可能性を除いて。

「こりゃあいつ、死霊化して変異してると見ていいよな」

 絶望はなかった。ただ諦観があった。

 人間でないのなら納得できる。

 比企家本宅はまだ調べていない。

 いや元々、家族と不仲なこともあって調べる気も案じる心もトイレットペーパー以上に薄かったからだ。

 島が一変した情報を生存者から得るため、避難所として解放される建物に向かうのを優先させた理由も大きい。

「この病院にもう用はないが……」

 声音が重さを増し、皮膚に緊張の微電流が走る。

 ゾワゾワした気配がすぐ側まで迫っている。

 龍夜は窓に警戒の眼差しを向けたまま、ゆっくりと後退し、壁の隅に背をつける。

 背面を壁に向けるのは襲撃の方位を狭めるためだ。

 窓をぶち破って登場などホラー映画のお約束。

「どこにいる? どこから来る?」

 心拍数は増え、不快な冷や汗が顎下にまで流れ落ちる。

 姿を消すか、と一瞬思案するも狭い室内では悪手。

 あの巨体に突撃されれば部屋ごと潰されるのがオチだ。

「っ!」

 扉が音を立てて開くなり、室内に硬い金属音が幾重にも響く。

 咄嗟に身構える龍夜だが、漏れ出す空気の噴出音に絶句した。

「酸素ボンベにガスボンベだと!」

 カンテラボールに照らされるは二本のボンベ。

 医療用に使用される酸素ボンベと災害時用に備蓄されているガスボンベだ。

 特に酸素ボンベは高濃度酸素が内包されている。

 酸素は燃焼を助ける性質が強いガスだ。

 使い方を誤れば、人命を救う道具から人命を奪う道具となる。

 高濃度酸素の吸引中の患者の喫煙が原因で重度の火傷、あるいは死亡例など暇がない。

 だからこそ装置の半径二メートル以内は火気厳禁とされている。

「最悪だろう!」

 状況にトドメを刺すのはガスボンベ。

 可燃性ガスが充填されたボンベを室内で解放している。

 燃焼を助けるガスと可燃性のガス。

 この二つが室内で充満すればどうなるかなど、火を見るよりも明らか。

 火花一つで瞬く間に大延焼を起こす。

「ショックショックショックデンキショ~ック!」

 顔を凍てつかせた龍夜が懐に手を突っ込んだのと、火花が飛び散ったのは同時だった。

 院長室は大爆炎に包まれ、その爆発は病院を揺らす。


 爆発の衝撃で窓の外に押し出された龍夜の全身は炎に包まれていた。

「くっそたれが!」

 悪態つく龍夜は炎上ミイラと並んで暗闇に落下していく。

 だが、ミイラと違い、龍夜の身体は炎に飲まれながらも毛先一つ燃えていない。

 それは間一髪で纏った紅蓮の衣のお陰であった。


 マジックアイテム<炎歩えんぽの衣>

 溶岩地帯を走破するために開発された対極地環境装備。

 溶岩地帯に住まう生物の毛皮にて制作された。

 溶岩の炎と熱を完全遮断するだけでなく、降り注ぐ噴石に対する高い防御機構をも併せ持っている。

 長時間着用による生命維持を前提としているため、他の衣と異なり時間制限はない。

 ただし表面に一滴でも水が触れようならば、瞬く間に石化し使い物にならなくなる。

 再び使うには石化した部位を全てそぎ落とさねばならない。

 溶岩地帯に住まう生物を素材としている故に。


 日本では火山地帯に出向く機会がないため、使う機会がないと思っていた記念品。

 なにが役に立つか分からぬと龍夜は改めて思い知る。

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