現在:それでは、どうしてほしいのかへの応援コメント
更新ありがとうございます。
読んでいてなるほど、と納得に近い感情を抱きました。
柳様ほど強烈な感覚では無いのですが、時折無性にそれこそ犬が骨を咥えるのかのようにずっと口の中に何かを入れて奥歯で噛み締めたくなったり、指や手やそういった体の一部を舐めたくなったり、あとは"置物になりたい"と強く感じることが多く、今考えてみれば対等な目線を向けられたくなかったのかなと思います。
もしかしたら私の前世は人間じゃなかったもしれないなぁと、とても腑に落ちました。
柳様の紡ぐ物語も、それこそ私が柳様を知ったのはアゲインからですが、小説でなくともなぞのれんさいであったりとか、柳様の目に映る世界の見え方がとても好きでいつも宝物をこっそり覗き見しているような気分で読ませていただいています。
これからも心から応援しています。
作者からの返信
こちらこそ、お読みいただきましてありがとうございます。
貴重なお話をありがとうございます。
それは、たしかにもしかしたら、前世が人間ではなかったのかもしれませんね。
もしかしたらですが、お仲間かもしれませんね。親近感のようなものを、勝手にですが抱かせていただきました。
いつもお読みいただきまして、応援していただきまして、本当にありがとうございます。
アゲインについても、このエッセイを書いたことできちんとラストへ進めるような気がしております。
なぞのれんさいやほかの連載なども、これからも公開し続けていくかと思いますが、本当にそれもお読みいただけているからこそです。
今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます。
編集済
はじめに:その違和感は、なんなのかへの応援コメント
ぼんやりと、自分は人間なんだと受け入れて生きてきたもので、すごくびっくりしました。
ただ、少し違うのですが、ある国に旅行した時に「自分は過去、ここにいたはずだ」と奇妙な感覚を持ったことがあります。他のどの場所に行っても思ったことない感覚、脳の奥なのか、心の奥なのか、それとも魂の奥なのか分かりませんが、何かしら「刻まれたもの」があるのかも知れません。それを強く持つと「今の自分は自分じゃない」という感覚を持つのかも知れませんね。
作者からの返信
変な言い方になってしまうかもしれませんが、やはり「ぼんやりと、自分は人間なんだと受け入れて生きてきた」といった感覚になられるものなのですね。私はそれがどうしてもなかったので、やはりそうなのだなあ、と妙な納得感があります。
そして、大変興味深いお話もありがとうございます。
「刻まれたもの」というのは、強弱の差はあれど思ったより多くの方々にあるかもしれず、性別や種族への違和感というのも、もしかしたら氷山の一角に過ぎないのかもしれないですね。
小椋夏己さんの、旅行のときのその感覚も、うまく言えませんが「なにか」なのかもしれないですよね。
現在:それでは、どうしてほしいのかへの応援コメント
とても真摯で丁寧な文章で、言葉にするのは難しいですが非常に感じ入るものがありました。
私は(作者さんの他のアゲインに代表される小説は読んでいましたが)種族違和というものを初めて知りました。
驚きもありましたが、非常にわかりやすくすんなり受け止めれたと思います。
それはアゲインなどの作品をこういう経験を経た人だから書けたのか、というピースがハマるような感覚があったかも知れません。
難しい告白だったと思いますが、ここに作者さんの作品とこの文章で、それを知ることが出来た人が一人でもいるとお伝えしくてコメントしました。
どうか作者さんが居心地よくこの先過ごしていけますように。
作者からの返信
いつも本当にありがとうございます。
作品を読んでいただいてるなか、そのようなかたちで納得していただけることは、非常に嬉しくありがたいことです。
今回は字数の関係もあり、アゲインなどの作品との関係についてはかなり割愛してしまいましたが、深く絡み合って関係しているのは確かです。
このエッセイを書いたことでアゲインのラストへも心置きなく進めるような気もしております。
コメントしていただいて、お伝えしていただいて本当に嬉しいです。
書いてよかったと思います。
あたたかいお言葉もありがとうございます。居心地よく、過ごしていきたいですね。
現在:それでは、どうしてほしいのかへの応援コメント
種族同一性障がいの何たるかを、丁寧に教えて頂きありがとうございます。
かなりの、難解な障がいであり、下手すると変態の域を越える話しですが、実は変態ではなく障がいと捕らえると、苦痛が伝わります。
よく、カミングアウトされましたね。さすがです。
作者からの返信
こちらこそ、お読みいただきましてありがとうございます。
そのように言っていただけてありがたいです。
興味を持っていただき、知っていただけることが大変励みとなります。
編集済
現在:それでは、どうしてほしいのかへの応援コメント
済みません。今の今まで寓話と思って読んでいました。「人間は平等が当たり前」で「犬は上下関係が当たり前」という感覚は面白いです。実は人の平等志向は現生人類であるホモ・サピエンス・サピエンスの歴史(19.5万年)の中でも最初からあったわけではありません。
気候が不安定な氷期と安定した間氷期が10万年周期で繰り返される中、氷期では獲物・果実を求めて流浪を強いられる。寒い時代は保温のために大型哺乳類が繁栄しやすい。危険だけど餌として魅力的な大型哺乳類を狩るために、オオカミのように群れで狩りをした方が種として生き残りやすい。
なかでも単体としてはオオカミよりも脆弱なヒトは、狩った獲物をボスが独り占めするのではなく、群れの中で分け合わないと種として生き残りにくい。獲物だけでなく経験と知恵を群れのなかでシェアしないと生き残れない。
この不安定な氷期の狩猟・採取生活でヒトの生存戦略として編み出したのが平等主義であるという考え方があります。
これが1万年前に間氷期になってから定住農耕生活が可能となり、富と権力の集中が始まります。これはニュータイプであるとともに霊長類に共通するボスが群れを支配する本来の性質とも言えます。
なのでヒトの嗜好のなかに狩猟・採取生活で編み出された平等主義(リベラル)と権力・隷属志向(保守派)という二つが存在するという訳です。ジョナサン・ハイト『社会はなぜ左と右に分かれるのか』という本で知りましたが、左右の政権交代が繰り返される欧米で脳内物質との関係が盛んに研究されています。
「群れ淘汰」というのは進化論のなかでいったん否定されましたが(自己犠牲心の強いリーダーよりもズルいやつが生き残ってしまう)、社会の掟で自己家畜化すると品種改良が早いということで説明できます。
作者からの返信
ご教授いただきましてありがとうございます。
ヒトにとって「平等」という概念は発明ですね。
『社会はなぜ左と右にわかれるのか』は読みたいと思いつつ読めていないのですが、そういったお話もあるのですね。興味深いです。
群淘汰と自己家畜化のお話も大変興味深いです。
現在:それでは、どうしてほしいのかへの応援コメント
前回のコメントにスピリチュアルな話を交ぜてしまいましたが、そう言うものにドハマりしているわけではないのです。
現実的には……犬の感覚に近い何かを産まれつき脳が持っている。
この感じが近いかなあ。と思うのです。
しかし、心の問題は中々、伝わりにくいなあ。と思います。でも、伝えることは諦めずやって行きたいと思う私です。
私なりの感想を述べさせて頂きました<(_ _*)>
作者からの返信
スピリチュアル的に表現すれば「前世」となり、科学的に表現すれば「脳」となるのかもしれないと思います。
どちらにせよ、おっしゃる通り、産まれつき自分では動かせないなにかですね。
本当に、心の問題は伝わりにくいと思います。
ですが、私も今後は伝え続けていきたいです。
ご感想をいただきまして、ありがとうございます。
毎回、とても励みとなっております。
青年期:自分はもともと犬だったへの応援コメント
安易に動物になりたいと思っていた自分が恥ずかしくなりますね。
そういう悩みを持つ人を初めて知りました。
ありがとうございます。
作者からの返信
とんでもないです。
知っていただけて、とても嬉しいです。
こちらこそ、ありがとうございます。
はじめに:その違和感は、なんなのかへの応援コメント
こんばんは。
僕は人間以外の動物でありたい、と思ってはいる、普通の人間です。
でも読ませて頂きます。
作者からの返信
お読みいただきまして、ありがとうございます。
人間以外の動物でありたい、というのは、自分が「ひと」であることに違和感があってもなくても思うことなのかもしれない、と思います。ただ、その根本的なところが、だいぶ異なるのかもしれないなあ、とも思います。
青年期:自分はもともと犬だったへの応援コメント
今まで知らなかった感覚です。
悩みの深さは体験したことがなく、真の意味で理解したとはいえないですが、
文章で本当によくわかりました。
理解のある旦那様でよかったです。
続きがきになります。
作者からの返信
お読みいただきましたこと、また理解していただきましたこと、本当にありがとうございます。
そうですね、夫の理解にも感謝しています。
次回で最終話となりますが、よろしければぜひお読みいただければと思います。
青年期:自分はもともと犬だったへの応援コメント
彼氏さん(旦那さん)が、種族同一性障がいを受け入れて下さって良たかったですね。
もともと、犬であった。の思考は自分は犬であると言う思考からの脱却なんでしょうか?
種族同一性障がいをもたれる方に私の様な精神障がい者のように薬があるかは分かりませんが、柳様はずいぶんと葛藤された事でしょう。
幸せになって下さいね。
作者からの返信
そうですね、夫に受け入れてもらったこと、感謝しています。
すくなくとも私にとってはというお話になりますが、「もともと犬であった」という思考は、自分は犬であるという思考からの脱却というよりは、「自分は犬である」という考えを強めるものでした。
自分は「犬になりたい」のではなく、「もともと犬であった」のだと。
MtFの方の、自分は「女性になりたい」のではなく「もともと女性だった」という思考や、FtMの方の、自分は「男性になりたい」のではなく「もともと男性だった」という思考と似ているかと思います。
あたたかいお声がけもありがとうございます。
もしなにか薬を想定するのであれば、性別違和の方に使われているように、身体のほうを合わせる薬になるのかなと思います。
言わずもがなかもしれませんが、性別違和を持つ方の感覚自体に「治療」が必要ないのと同じく、この感覚自体に「治療」が必要ではないと考えております。
ただ、もっと生きやすくはなりたいですね。
そのためにはまず知っていただきたい、理解していただきたいと思っておりましたので、こうしてコメントをくださることが、本当にありがたいです。
こちらの話ですが、恐縮ながら一部加筆修正いたしました。
後半部分などけっこう変更いたしましたので、もしお時間あれば、お読みいただければ幸いです。
青年期:自分はもともと犬だったへの応援コメント
前世が犬だったと……ある意味そう考えると、納得行きますね。 ともあれ、旦那様が理解ある方で良かったですー。
違和感はなくならなくても広めて行きたいものです。本当に。
私もそんな気持ちもあってエッセイ書いてます。
因みに私の最初の違和感は、物心もつかない頃にとある人物に執着してました。
でも、それが何故なのか成長してからは解らないんですよね。
生まれる前に知っていた人なのかなー? とか今は考えています。(何故その人に執着していたのか、本当に不思議で不思議で💧)
作者からの返信
そうですね! こう考えると納得がいく、という気づきでした。
夫にも感謝しています。
お話をうかがっていると、少しスピリチュアル的な表現にはなってしまいますが、「前世」のようなものの存在をたしかに感じますね。
何か本当にあったことなのかもしれませんね。
水守風火さんの違和感についても、広まるといいと本当に思いますし、私もいち個人としてもっと知りたいです。
思春期:犬には酷だったへの応援コメント
「犬派、猫派」で言えば「犬派」な私です。
今回は大分わかりやすく、共感を覚えました。
ふと「犬は主を選ぶ」と言う言葉を思い出しました。
作者からの返信
犬派なんですね。なんとなく嬉しい気持ちになりました。
「今回は大分わかりやすく、共感を覚えました」と言っていただけたことも、嬉しいです。
「犬は主を選ぶ」というのは本当に思いますね。
私も、だれでもいいわけではなく、主は選びたいです。
思春期:犬には酷だったへの応援コメント
貴重なお話し、ありがとうございます。種族同一性障がいが少しずつ見えてきました。
次回も、宜しくお願いします。
でも、みずから種族同一性障がいをカミングアウトして書かれている姿に、シャッポを脱ぎます。
作者からの返信
こちらこそ、いつもありがとうございます。
フィクション、ノンフィクションに関わらずですが、ものを書くには「下着を脱ぐ」と面白いものになると言われたことがあります。もちろん変な意味ではなく、比喩的な意味ですが、つまり自分の隠したがっている恥ずかしいようなところこそが、読みものにすると興味をひくものになるのだと。
本文にも書いたように、この話題を書くことに痛みや恥がないわけではないのですが、興味を持っていただき知ってほしいという一心で、比喩的に「下着を脱ぐ」思いで書いてます。
児童期:「犬になりたい」と検索していたへの応援コメント
いつも面白い作品をかかれますね。この自分が他の生物だと感じる感覚は、遺伝子がということはないと思うので、この状態を他者が認識するためにはどのような方法があるのでしょうか?
作者からの返信
そのように言っていただき、光栄です。
この状態を認識していただけるようにするというのは、重要な問題であると思っております。
おっしゃる通り遺伝子や、また外見などから判別するのは難しいかと思いますので、現状では、本人のカミングアウトや相談を受けるか、振る舞いやトラブルなどから推察するという形になるのかなと考えております。
本作の後の話でも、この話題は触れるつもりですので、もしよろしければお読みいただけると幸いです。
編集済
児童期:「犬になりたい」と検索していたへの応援コメント
勉強になります。知的探求心がざわめく作品です。
作者からの返信
今回もそのように言っていただきまして、本当にありがたいです。
知っていただけることが、とても嬉しいです。
幼少期:いつか尻尾が生えてくると思っていたへの応援コメント
もっと、話を聞きたいです。
作者からの返信
ありがとうございます。
そのように言っていただきまして、とてもありがたいです。
話の続きも、どうぞよろしくお願いいたします。
幼少期:いつか尻尾が生えてくると思っていたへの応援コメント
生まれる前には犬だったかも知れない感覚ですか……不思議ですねえ。
いや、そう言うことあるのかも……(全然違いますが、それらに通ずるようなエピソード持ってますので)。
作者からの返信
不思議ですよねえ。自分でも不思議ですが、そういう感覚があるんですよね。
通ずるようなエピソードがあるのですね! やはり「違和感」という広い意味で、なにか共通するものがあるのかもしれませんね。
はじめに:その違和感は、なんなのかへの応援コメント
僕は、LGBTQ+問題で当事者に数名、取材したんですが、これは+の方の問題ですかね?
僕は非常に興味深く読ませて頂いてます。
好奇心ではありません。知らないとダメだと思うんです。
作者からの返信
なるほど、LGBTQ+の+であるという発想は私にはありませんでした。私が書いている問題は性別の問題とは異なるのかもしれませんが、「+」に含めることができるかもしれないという発想は、示唆に富んでいますね。
実際に知っていただくことこそがすべての出発点だと思いますので、「知らないとダメだと思う」と真剣に言っていただき、お読みいただきますこと、非常にありがたいです。
はじめに:その違和感は、なんなのかへの応援コメント
自分が人間ではない。性別が違う。と言う違和感はないですが、別の違和感はあるので……気の所為ではないと思います!
人それぞれ、違和感ある人もない人も、向き合って行ける世の中になればと思うのです。
作者からの返信
「気の所為ではないと思います!」と言っていただけて、とても励まされます!
別の違和感があるのですね。
おっしゃる通り、違和感があるひとないひと、どんな違和感であっても、向き合っていける世の中になっていくといいですよね。
はじめに:その違和感は、なんなのかへの応援コメント
自分の場合は、ただ単に「人間嫌い」と思っていたのですが今検索してみたところ「種同一性障害」という言葉があるようですね。
(すいません。今後の執筆に影響があるようでしたら削除しておいてください)
作者からの返信
『犬身』などで用いられた言葉ですね。
その言葉を知ったときには衝撃でしたし、ああ、やっぱりいるんだなあと思いました。
(お気遣いありがとうございます。執筆への影響に関してはまったく問題ありませんので、ご安心くださいませ!)
現在:それでは、どうしてほしいのかへの応援コメント
興味深いお話、ありがとうございました
考えてみれば、人間は一人ひとり異なりますから、性関係以外でも多様な性質や個性が存在するのは当然ですよね
最近は、LGBTに加えて「Q」=クエスチョニング・クィアという新概念が出てきているそうですし
まだ概念と分類が確定していないだけで、柳さんのような方も世の中には大勢いらっしゃってもおかしくはないのでしょう
以下、長文失礼します
思えば、「動物になる人間」やその逆、あるいは動物と人間の婚姻の話は、世界中に溢れています
動物に変身するシャーマンや魔術師の話は普遍的ですし、狩りの秘訣を結婚した動物から教わったとか、かつては逆に動物のほうが人間を狩っていたという狩猟時代の神話も世界各地にあるそうです
ネイティブアメリカンやアイヌなどにも、動物を自分たちの祖先とする祖霊(トーテム)信仰がありますし、日本にも昔から動物と結婚した話が多くあるようですね
後者については、心理学者の河合隼雄先生や作家の川上稔氏(カクヨム連載の『神々のいない星で』第三十五章)が言及されていました
他にも、変身や「越境」をテーマにした作家さんも、たくさんいらっしゃいますよね
私が知っているだけでも、少女が狼となり自然へと還っていく連作を描かれた芸術家・鴻池朋子氏や、『火の鳥』(太陽編)や『バンパイア』を描かれた手塚治虫先生、そして、『闇のパープルアイ』の篠原千絵先生、『イグアナの娘』の萩尾望都先生…
みな、それぞれの視座から世界や自分への違和感や、人間のかたちを描かれた方ばかりです
それに、西欧においても人間を熊に変えるアルテミスや人狼の話がありますし、動物と人間の境界は、昔はそれほどはっきりはしていなかったのかもしれません
まあ、こちらはは『アゲイン』や日本の被差別階級のような差別と追放の話なので、逆に「人間」の境界が不確定になることを恐れて作られた概念や制度だったのでしょうけど
どうやら、個我を確立したがゆえに自然や集合的無意識と分断されてしまって、その孤独と苦悩を癒やすために自然へと回帰しようとしたり、文明を築く動物としての自らに違和感を覚えるのは、人類共通の宿痾のようです
そこからすると、あるいは、柳さんの性質もそう珍しいものではないのかもしれません
私には、特に柳さんのような方たちに出来ることはありませんが、あと三つだけ言えることはあります
一つは、前述したように、そうした孤独や周囲との断絶をも描いてきたのが小説や漫画などの人間が積み上げてきた芸術であり、そこでは柳さんの経験は逆に強みにもなるということです
もう一つは、意外と柳さんのような方の居場所はこの社会にもあるのではないか、ということです
たとえば教育業界にしても、平等を前提とした小学校のような場所もあれば、偏差値上位を目指した競争を推奨する予備校や教材の営業などの仕事もあります
最後に、現代は「個性」や「異質さ」が評価される時代である、ということです
高品質で均一な製品を大量生産していれば良かった工業化の時代は終わり、「当然みんなが好きになる」とされるような、巨人・大鵬・卵焼き的な画一的な嗜好の統一もなくなりつつありますからね
いまや、ネット上での支持などある程度人気があれば、マイナーな指向の漫画を連載していくことなども、可能になったのです
それはあるいは、柳さんのように「種族違和」を生まれ持つ人たちをも、受け入れやすい時代でもあるのかもしれませんよ
ただ、それは同時に、統合や人と人とのつながりが失われ、その反動として熱狂的な思想や運動、それに孤独への恐怖がもたらす束縛の絆と、異質な他者の排除がはびこる時代でもあります
そしてそれは財政的に見ると、一つの国の政治だけではグローバリズムに対抗できないため経済成長がより困難となり、困難を抱える人が増える代わりに彼らをカバーするための財源が減少していく世情でもあるのです
こんな世界では、社会の庇護をめぐるマイノリティ同士の「パイの取り分」をめぐる争いは、過激にならざるを得ないでしょう
アイデンティティ・ポリティクス、「かわいそうランキング」における「庇護されるべき無辜で弱者な社会的被害者」と「黙って被害者に贖罪するべきマジョリティ加害者」の善悪二元論/二元思考しか無い弁別/差別……
生活保護受給に反対するのが、生活保護以下の賃金しか貰えてなくてもそれでも働けていること自体にプライドを持っている人であるように、過労死労働を避けて専業主夫になりたい男性と(豊かだった)親の世代のような暮らしと仕事の継続の両立を求める女性が対立するように、結局は、マイノリティや弱者同士が対立することになってしまいがちなのです
残念なことに、自らの個性や志向の承認を求める動きと、その裏面である他者のそれを認めることは、しばしば単なる大義名分を使った利害対立に陥ってしまいがちなのですよね
長年成果が出なかった政治への働きかけも、人々が社会的不備や格差を当然のものと見なしだすことで、弱者同士の足の引っ張りあいへと移行しつつありますし……
柳さんのような方たちの「種族違和」が認められる可能性は高いですが、それは貧困と不安定の時代における「万人の万人に対する闘争」への参入に過ぎないかもしれません
この世情が果たして、新しいファシズムや、中世カトリックのような大義名分による異端/破門/社会からの排除が支配するポリコレ一神教社会の入り口となって終わるのか、あるいはそれを変えていけるのかは、結局のところ、私たち次第なのかもしれませんが……
願わくば、アイデンティティ政治が、性質や志向/趣味を同じくする人々のコミュニティやネットワークによる助け合いとなり、「パイの取り分」をめぐって「異端/加害者とされるマジョリティ」への排除と復讐にやっきになる時代を終わらせますように……
作者からの返信
こちらこそ、コメントいただきありがとうございます。
ひとつの作品のようなコメントで、大変ありがたく拝読いたしました。
おっしゃる通り、「動物になる人間」のお話は古今東西各地で見られますね。
私も、そう珍しいことではないと思っております。そこかしこに存在するもので、そのような想いを込めて「きっと、私だけではない。」というキャッチコピーをつけてみました。
動物と人間という境目を越える、というのが時に差別や追放につながる、というのも、とてもよくわかります。
それは「聖と賤」の話に結びつくお話でもあるかもしれませんね。
「個我を確立したがゆえに自然や集合的無意識と分断されてしまって、その孤独と苦悩を癒やすために自然へと回帰しようとしたり、文明を築く動物としての自らに違和感を覚える」というご考察は、なるほどと大変納得いたしました。
そういう理由もあるかもしれないのですね。
ひとつに、私の経験が強みになるということ。ありがとうございます。
私もこのような経験を今後とも創作に生かしていきたいと心より思っております。
もうひとつに、私のような違和感をもつひとの居場所は、この社会にもあるのではないかということ。
ほんとうに、そうかもしれません。
教育業界のたとえでおっしゃっていただいたように、居場所や、力を発揮できる場所というのは、ほんとうにいろいろありますよね。
そのなかでどこか、私のような違和感をもつひとも生きるような居場所は、たしかにあるのかもしれません。
今後とも模索していきたいです。
最後に、「個性」や「異質さ」が評価される時代であるということ。
個性が評価される以前の社会でしたら、性別違和や、私のような違和感も受け入れられなかった、どころか口にするのも憚られたかもしれないと思います。
私も、そのような流れがあったからこそ、そこに乗っかっている、と思っています。
以前よりも、あらゆる意味でカミングアウトや要求がしやすくなった社会ですね。
沈黙したまま死んでいくしかなかった社会ではなく、いまは、自分はこうだと言って生きていくことができますね。
ですがその上で、ご指摘していただいた点については、本当に真剣に考えねばいけないと思います。
私は、多様性や配慮についてはどちらかというと賛成しているほうなのですが、おっしゃるような怖さといいますか、多様性やポリコレの社会が孕んでいる恐ろしさや危険のようなものも、ぴりぴりと感じています。
ですので、houranさんがおっしゃっていることは現在の社会で本当に真剣に考えねばいけないことですし、マジョリティに頭を下げさせるのが正解なのか、そもそも、そういう社会にしたかったのか。
マイノリティは個性的で異質だから「特別」で「尊重」されるという社会は、けっきょくのところ、マジョリティ側に属するひとりひとりへの迫害ですよね。
みんないろいろあるけれど、とりあえずみんな「人間」なんだ、とあたりまえに助け合って、もっとナチュラルに尊重しあえるようになればいいですね。
突き詰めれば、みんな普通でみんな異質だと思うので、普通の人間とか異質な人間とかとカテゴライズして指をさしあわないようになれば、いいですよね。
とっても難しいことだとは思いますけれども。
いつもありがとうございます。
なにか的外れなことを申し上げてしまっていたら、何卒ご容赦いただければと思います。
またよろしければ、コメントしていただけると嬉しいです。