夢常の果てに

志央生

夢常の果てに

 早瀬京也が映画研究会を辞めたのは三か月前のことだ。

 大学入学と同時に、自前の八ミリフィルムカメラを携えサークルの門を叩き、ここから自分の夢が始まるのだと胸躍っていたのは間違いないだろう。だが、彼はひと月余りでサークルを抜け、映画館のアルバイトへと身をやつすことになった。

 そもそも、映画研究会は会長である百田拓海によって掌握されていたのだ。彼は親のコネを使い集めた最新鋭の機材を餌に、サークル内の最高権力者として君臨していた。

 こうなると、すべての権限は百田にあり、彼の機嫌を損ねるのは危険だと誰もが悟る。結果、誰も彼に逆らうことは許されない独裁国家が出来上がり、誰もがご機嫌取りに必死になっていた。その光景に嫌気がさしたのが早瀬の中につっかえ続けることになる。

 最初は自分を押し殺し、サークルに染まればいずれ映画を撮ることができると考え耐えることを選択した。

 しかし、それは早瀬にはあまりにも耐えがたく、自分の決断が間違いであったと思わせる日々の始まりでしかなかった。慣れることのない違和感に埋もれていく感覚。自分の中にある意思が消され、思考を停止して、狂ったように首を縦に振る。慣れてしまったら最後、元に戻ることはないと感じ、日に日に恐怖が増していく。

 中でも早瀬が嫌だったのは、百田拓海が流布する映画論だった。

 彼曰く、映画とは「芸術」であり、大衆に媚びるような昨今の映画を毛嫌いしていた。その考え方が早瀬とは合わなかった。

「観る人が映画を選ぶのではなく、映画が観る人を選ぶのだ」

 そう口にした後は必ず、自分の撮る作品は芸術性に富んでいると語りを繋げる。そのワンパターンのトークは早瀬の心をさらに鬱蒼とした気持ちを募らせることになった。

 そして、彼がサークルに入ってひと月が経とうとした頃に事件は起きる。大型連休を使って、ショート映画の撮影をする企画が立ち上がったのだ。もちろん、脚本監督は百田が担当することになっていた。自信満々に企画書と台本を用意し、全員に目を通すように指示を出す。

 すると、次々にメンバーから感想を口にし始める。そのどれもが百田の台本を褒める言葉ばかり。それに気を良くして、彼は自慢の映画論を語りだす。こうなると終わるまで誰も止めることはない。赤べこのように首のタテ運動を適度に繰り返し、相槌の代わりとする。いつも通りのご機嫌取りのはずだった。

 だが、そうはならなかった。なぜなら、早瀬京也が声をあげたからだ。

「芸術ですか」

 無意識に口から出た言葉は、普段ならきっとかき消されてしまうほど小さな声だった。しかし、このときは誰の耳にも洗面に聞こえてしまったのだ。同時に部屋の空気が変わり、早瀬へ視線が注がれた。声に出していないだけで、その目に秘めた言葉は誰もが同じだっただろう。

「キミ、なんて言ったのかな」

 百田はあくまで冷静な態度をとっていた。目元を緩ませ、口調は優しく低い声で問いてくる。

「あなたの撮る作品に芸術性なんてない」

 早瀬は引くことなく、そう断言した。この瞬間、決戦の火ぶたが切って落とされたのだ。

「面白いことを言うね、キミは」

 表情も声のトーンも何一つ変えることなく、百田は早瀬に一歩ずつ近づいていく。静まり返った室内で百田の靴音だけがする。それは傍観している者たちの緊張を煽った。

 彼らは祈るように早瀬へ視線を向ける。だが、彼にはもう関係のないことだった。

「で、ボクの作品が何だって?」

 早瀬の眼前に立った百田は穏やかな表情のまま問う。その距離は、お互いに手を伸ばせば拳が届く範囲だった。そして、早瀬の返答次第ではいつ拳が飛んできてもおかしくないほど緊迫した空気が漂っている。周りもそれを察し、備えるように様子をうかがう。

「何度だって言ってやるよ。あなたの作品には芸術性もなければ、語るほどの作品性の欠片もありはしない」

 語気を強め、はっきりと口にする。さすがに百田の鉄仮面的な表情にもひびが入り、口角が引きつりかけていた。それを見て、早瀬は心の片隅で達成感を抱く。

 様子を見守る者たちは内心焦りを隠せずにはいられなかった。今までにない緊迫した空気と、どちらかがいつ暴れ出してもおかしくない状況。誰もが心の中で早く事態が収束してくれることを祈る。

「ふっ、ははは」

 そんな心配をよそに、百田は笑い声を漏らす。誰にも笑うポイントがどこにあったのか分からず、同調するべきか悩ませる。だが、そんな百田の笑いも数秒で止む。

「なら、キミはボクよりも素晴らしい作品が書けるのかい? 無理だろう? それに映画は芸術なんだ。観る人が選ぶんじゃない、観る人を選ぶんだ。つまり、キミがボクの作品を理解できないのはキミが観るに値しないだけなのさ」

 早瀬は話が終わるまで声をあげなかった。百田はそれを見て、自分が完全に言い負かしたのだと満足げな表情を浮かべる。傍観者たちもこれで終わりだと安心しきっていた。

「何のために作品を撮ってるんだよ」

 誰にも聞こえない小さな声で早瀬は口にする。そして、今度は本当に誰の耳にも届かなかった。百田は勝ち誇り、すっかり気分を良くして「謝るなら、許そう」と、早瀬に声を掛ける。自分の度量の大きさを見せようとしたパフォーマンスの一環だった。だが、早瀬は首を横に振る。

「ここで腐るのはゴメンです」

 こうして早瀬は映画研究会を辞め、映画館のアルバイトへと流れ着いた。そうして、現在に至ることになる。


「ご注文はお決まりでしょうか」

 丁寧な動作と柔らかな表情、ワントーン高い声はバイトを始めて三か月の間で体に染みつき、いまでは日常生活にすら現れるほどになっている。

 平日でありながら、カップルデーと銘打たれている本日は割引サービスが適用されており、いつもより客入りが多い。その大半は男女のペアとなっている。そして、早瀬が担当しているフードカウンターもペアセットを頼むカップルで溢れかえっていた。

 忙しい、というのは間違いではないが注文するメニューが絞れている分、対応は簡単なものが多い。定番のポップコーンとドリンク、これが注文のほとんどを占めているから一人はポップコーンマシンに待機し、もう一人がレジを受け持つ。

 早瀬はレジで注文を取りつつ、残りの待ちを数えていた。残すところ、二組で一組は男性客のみのシングル、もう一組は男女のペアだ。

 頭に叩き込まれたマニュアル通りの言葉で、注文を受け会計を済ませる。流れ作業のようにこなし、最後の一組になる。

「いらっしゃいませ、ご注文はお決まりでしょうか」

 軽く頭を下げ、決まったセリフを口にする。あとは注文を受け、会計を済ませ、商品を渡す。それで終わるはずだった。だが、早瀬は眼前にいる男を見て固まってしまう。

 そこにいたのは映画研究会会長、百田拓海だった。俗世の映画に興味がないはずの男が映画館に足を運んでいることにも驚いたが、何よりも早瀬が驚いたのは隣にいる人物の存在だった。

「立花ちゃん、どれにするかい」

 名前を呼ばれて返事をすることなく、彼女は商品名を告げる。早瀬は彼女の名前を聞いて、奥歯を噛みしめる。

 彼女の名前は立花晶といい、早瀬と同じ時期に映画研究会に入会した。同期だから、彼女のことを覚えていたのもある。だが、一番の理由は早瀬が彼女に対して少なからず恋愛感情を抱いていたからだ。

 それゆえ、早瀬にとって目の前にある状況が嘘であってほしいと願わずにはいられなかった。

「あのー、注文いいかな」

 肘をつきながら百田が注文を伝えてくることに苛立ちを抱きながら、仕事に専念することで余計なことを考えないように徹する。商品を待っている間、百田は彼女に何度かちょっかいを出そうとして躱されていた。その光景を見ていた早瀬はどことなく二人に距離があることを感じた。

 そんなとき彼女と目があった気がしたが、すぐに視線が逸れる。よく見ると、少し彼女はバツの悪い表情をしていた。

「さっきから、ずっと見てるけど何か」

 けん制するように百田が話しかけてくる。早瀬としてはそんなに見ているつもりはなかったが、どうやら気に障ったらしい。

「いや、その」

 言葉を詰まらせながら言い訳を考える。

「その綺麗なカノジョさんだな、と」

 早瀬は自分で『カノジョ』と口にしながら、苦々しい気持ちになってしまう。だが、百田は彼女のことを褒められて笑みを浮かべた。

「カノジョ、ね。キミは良いことを言うね」

 ご機嫌になった百田は手を伸ばして、早瀬の腕を叩く。その隣で眉をひそめる彼女がいた。ただ、その顔も一瞬のことですぐに表情を整え、百田に声を掛けカウンターから離れていく。

 すると、早瀬には地獄のようなシチュエーションになった。百田は彼のことを覚えていないようだが、彼は鮮明に覚えている。このまま商品を渡して何事もなく、この状況から脱却できることを祈る。それだけが早瀬にとっての救いだった。

「いやさ、さっきの子はまだカノジョじゃないんだけどさ」

 不意に百田から話しかけられ、反応に困りながら「そ、そうなんですか」と適当な相槌を返してしまう。そんな中で、早瀬は彼女がまだ百田のカノジョでないことに安堵していた。それと同時に、ならなぜ彼女は百田と一緒に映画を観に来ているのかが気になり始める。

「彼女はね、とにかくガードが固くてね。何度誘っても、断られていたんだけど、今回は奥の手を使ってね」

「奥の手、ですか」

 早瀬は思わず言葉を繰り返していた。それを聞き逃さなかった百田は「気になるかい」と口にして早瀬の返事も聞かずに話を続ける。

「彼女の仲の良い友達に手伝ってもらってね、彼女にみんなで映画を観に行くという話で誘ったんだよ」

「じゃあ他の方も来ているんですか」

 早瀬は辺りを少し見渡すが、知っている顔はない。すると、百田は「察しが悪いな」と言い、口角を引き上げる。

「ボクと彼女を二人だけで出かけるための口実だよ。他の子たちにも協力してもらって、当日まで行く体で話を合わせてもらったんだ」

「そ、うなんですか」

 小さな声を絞り出すが、百田に聞こえたかどうかは分からない。

「それに彼女も帰らずにこの場にいるってことは、この後のことも覚悟しているんだろうからね、期待せずにはいられないよ」

 嬉々として語る百田を見て、早瀬は拳を握っていた。それは、ぶつけようのない怒りを鎮めるための行動でもあった。

「お待たせしました、ご注文の品になります」

 その後は沈黙が続き、やっとできた商品をトレイに乗せて渡すと、上機嫌のまま百田はカウンターを去っていく。その瞬間、強張っていた筋肉が緩むのが感じられ早瀬は自分が緊張していたのだと気づいた。

 一難が去ったが、早瀬の中には気が気でない問題が残っていた。それを考えると、仕事が手につく気がせず、思わず息を漏らす。

 すると、背中を大きな衝撃が襲い、声をあげそうになる。

「なにボケっとした顔してやがる。今は仕事中だろ」

 背後から姿を現したのは早瀬の教育係を務める同じバイトの山岡だった。

「すいません」

 早瀬が謝ると、山岡は頭を掻いて眉をひそめる。

「調子が狂うな。いつものお前なら俺に突っかかってくるだろう」

 山岡の言葉に「すいません、ちょっと気分じゃないです」と返し、早瀬は黙々と仕事を始めたが、どこか身が入っていない。仕事を教えてきた山岡はその変化に気付きバックヤードに連れ出す。

「今のお前じゃ、仕事にならん。体調でも悪いのか、それとも他に何かあるのか」

 早瀬の顔を覗き込んで問う。山岡の顔は人相が悪いわけではないが、目つきが鋭い。それが怖さを引き立たせてしまっているのだ。少しでもその目つきを誤魔化すために伊達メガネをかけている。

 そんな男の睨みは恐ろしく怖く。人柄を知っていても耐え切れず、早瀬は山岡に事情を説明することにした。

 手短に話を終えると、山岡は短く息を吐く。

「事情は把握した。だが、このままで良いわけがない」

 やはり仕事中に私情を持ち込んだことを怒られると、早瀬は思った。目を瞑り、山岡が言いそうな説教を考える。いくつか予想がついたが当の本人から口に出たのは、まったく違う言葉だった。

「早瀬、お前も男だ。自分の好きな女なら奪い取るくらいの気概を見せてみろ」

 完全に予想外のセリフに早瀬は言葉を失う。どう答えるべきか迷っていると、山岡は言葉を続けた。

「お前は、このまま彼女が他の男に奪われても良いのか」

 鋭い目が早瀬はじっと見つめていた。それは彼の中にある迷いを見透かしているかのようだった。

 今まで何もしてこなかった自分が、他の男に彼女が奪われそうだからと邪魔をしてもいいのだろうか。そんな資格が自分にあるのだか。その考えが早瀬の中を漂い、決断を迷わせていた。

 ただ、どこか悔しさを噛みしめる自分がいるのも事実だった。何もしてこなかったが、それでも彼女が他の男に奪われることを許容できない。自分勝手な理由だということは分かっている。

唾を飲みこみ、早瀬は首を横に振り力強く答える。

「良いわけが、ない」

 声にすると、自分の中にあった迷いが吹っ切れたように感じる。山岡は嬉々とした表情を浮かべて「いいねぇ」と口にした。

「なら、とりあえず休憩にするぞ。策もなく挑むのは無謀のすることだ」

 不敵な笑みを浮かべる山岡に不安を抱きつつ早瀬も休憩室に向かった。


 休憩室に入ると山岡は近くにあった折り畳み式のパイプ椅子に腰かけた。それに続いて、早瀬も椅子に座る。

「早速だが、今のお前に勝ち目はないだろう」

 分かっているつもりだったが、あらためて言葉にされて早瀬の心は折れかける。

「だが、打つ手がないわけでもない」

「どういうことですか」

 じれったい山岡に早瀬は苛立ちを募らせる。山岡はそれを察したのか、椅子を座り直して口を開く。

「いいか、確かにお前に勝ち目はない。ただ、大事なのは彼女が百田と付き合うことを阻止することにある。それだけなら、方法はある」

 そう言うと山岡の口角が引きあがるのが分かった。

「それで、どうすればいいんですか」

 不安を抱きながら早瀬は問う。一体どんなことをすればいいのか、何をさせられるのか不安を抱かずにはいられない。

「そうだな、手っ取り早い方法としては彼女を連れ去ってしまうことだな」

 軽々と口にした山岡の作戦に、早瀬は言葉を失わずにはいられなかった。

「お前が彼女を連れ去れば、百田は何もできなくなる。まずまずの作戦だな」

「ちょっ、ちょっと待ってください」

 勝手に話が進んでいくため、早瀬は山岡に待ったをかける。予想を超える作戦に、未だ頭が追い付いていないが、このまま話が続くのはまずいと感じたのだ。

「どこに不満がある? あぁ、どこに連れ去るかが不安なんだな。確かに、この辺りは姿を隠すのに適した場所は少ないからな」

「誰もそんなことを不安に思っているわけじゃないんです」

「じゃあ、なんだ」

「そもそも、彼女が大人しく連れ去られてくれるわけがないでしょ」

 呼吸を整え、興奮している気持ちを抑える。そして、一番の懸念材料を提示する。

「もし、そんなふうに強引に連れて行って彼女に嫌われたどうするんですか」

 これが早瀬の中の一番危惧していることだった。

「そうなったら、そうなる運命だったと受け入れろ」

「こんなやり方で失敗して受け入れられるわけないでしょ」

「せっかく人が考えてやったのに、頭ごなしに否定するのは人としてどうなんだか」

 ぶつくさ文句を言いながら、山岡は腕を組んで眉間に皺を寄せる。その姿を見て、早瀬は少し言い過ぎたのではないかと反省する。もとはと言えば、これは自分の問題であり山岡には無関係なことなのだ。

 すべてはこの男の善意からくる行動であり、それを無理だと一蹴するのは人としてたしかに間違っていた。次の提案はもう少し詳しく話を聞くべきかもしれない、と早瀬は思い山岡の言葉を待つ。

「いっそのこと、百田を闇討ちすればいいんじゃないか」

「オーケー、あんたにはもう期待しないよ」

 山岡の言葉を聞いた瞬間、早瀬は先ほどまで心の中で申し訳ないと思っていたことを後悔した。たしかに、善意に対してあまりにも対応が粗雑であったことは認める。だが、善意の中にも良し悪しという物が存在するはずだ。そして、この男の善意は完全に悪い方向に転んでいる。

「いや、待て待て。早瀬よ、お前は俺が先ほどから提案している作戦を否定しているが、これには事情がある」

 苦し紛れの言い訳か、山岡は早瀬に待ったをかける。

「事情ですか」

「そう、俺は彼女について何も知らない。つまり作戦を考えるためにも、どんな人物であるかが抜けているから、作戦も完璧なものを立てられない」

 少しばかり早口で山岡はしゃべり、早瀬に向けて「だから、彼女について教えろ」と要求する。それに対して、早瀬は顔を背けた。

「なんだ、言いたくないのか? そんなにイイ女なのか」

 下品な笑みを浮かべて、突っかかってくる山岡。それに対して、答えが返ってくるまで数秒の間を要した。

「彼女のこと、あまり知らないんですよ」

 顔を背けたままで、ぶっきらぼうに早瀬はそう口にする。その答えが予想外だったのか、山岡は間の抜けた声を出していた。

「知らない? お前、彼女のことが好きなんだろう。知らないなんてことがあるわけがないだろう」

 当然の疑いであり、単に口にするのが恥ずかしいだけだと山岡は思っていた。だが、早瀬が何度も「本当に知らないんです」と、口にするため事実なのだと悟る。

「わかった、お前が彼女のことを知らないのは事実だとしてだ。なんでお前は彼女のことが好きなんだ? それともただ単に、あの百田って男が憎いから女を奪って仕返しするつもりだったのか」

 早瀬は口ごもったままで何も言わない。さすがに山岡も、ただの仕返しのために手を貸すつもりはない。だから、早瀬の言葉を待っているのだ。

「彼女について知らないのは、あまり話したことがないからです」

 ようやく口を開き、早瀬は山岡の問いに答える。

「じゃあ、なんで彼女を好きになったんだ。そこを聞かせろ」

「それは」

 再び口ごもるが、今度はどこか恥ずかしげでもある。

「サークルの新歓で、彼女が『私はぬるま湯につかっているつもりはありません』って言ったんです。まだサークルの全貌を知る前だったからかもしれませんけど、それがカッコよく見えたんです」

 それを聞いて山岡は笑いながら「お前はやっぱりおもしろいな」と答える。

「だって、堂々とそう宣言できる人はいないんですから」

 早瀬はあのときの彼女を思い出しながら、自分の中で引っかかっていることがあった。そんな彼女がなぜ、百田の誘いに乗ったのか。確かに百田は策を弄してまで二人きりで映画を観に行く状況を作り上げた。

 だが、彼女はそれを断ることができたはずなのだ。それでも彼女は断らなかった。そのことを考える度に彼女の気まずそうな顔を思い出す。

「どうした、考え事か?」

 山岡はメガネをあげながら、聞いてきた。早瀬は曖昧な返事をすると、強い力で肩を叩かれる。

「どうせ彼女のことだろう。話してみろ」

「いや、なんで彼女は百田に付き合って映画を観に来たのかが気になって」

 自分の中で引っかかっていることを伝える。すると、山岡は時間を空けずに答えを出した。

「役が貰えないんじゃないか? お前の話を聞く限り、百田という男は映画研究会を掌握している。配役も意のままにできるなら、自分にゴマを擦らない人間には嫌がらせをすることも可能と言うことだ」

 その話を聞いて、彼女が役のためにどうしても百田にゴマを擦らなければいけない状況にまで陥っている可能性を考える。

すべては百田の計画通りに事が進んでいて、この映画が役を得るための最後のチャンスとして用意された状況だとする。逃げる道はなく、ここで背を向ければ後はない。そうなれば、彼女は嫌でも受け入れるしかないことになる。

あのフードカウンターで見た、二人の距離感と百田の下種な笑みを思い返し怒りが湧きあがる。

同時に、彼女をそんな悪漢から救い出せなければいけないと早瀬は強く思う。

「どうにかして、彼女を救わなければ。なにか案はないんですか」

 山岡は腕を組んで頭をひねる。少しすると、なにか閃いたのか顔を上げた。

「いっそのこと、彼女にばかり目を向けるのはやめて、百田に目を向けてみないか」

 山岡がそう言ったのを聞いて、早瀬はどういうことなのかを問う。

「たとえば、百田を闇討ちにしたり、見えないところに連れて行って動けなくするとか」

「実力行使というか、完全にアウトですよ。もっと穏便な方法はないんですか、下手したら警察沙汰になりますよ」

「安心しろ、そのときは俺がちゃんと証言してやる」

「何て言うんですか」

 山岡は笑みを浮かべて、口を開く。

「いつかやると思ってました、って」

「犯罪者にするつもり満々じゃないか」

 早瀬は力強くツッコむ。山岡は笑いながら「冗談だ、冗談」と言っていたが、信用ならない。

「でも、そうだな。そうなると、あれしかないぞ」

 急に笑みが消え、神妙な顔つきになる。その雰囲気の重さに、早瀬も唾を飲みこむ。

「告白だ」

 何の言葉も出ず、呼吸すらすることを忘れてしまいそうだった。そう思えるほど、衝撃的であり自分の耳を疑わずにはいられなかった。

「いま、なんて言いました」

 先ほどの言葉は聞き間違いであってほしい、そう願いながら早瀬は山岡に確認する。

「だから、告白するんだよ。お前が百田よりも先に、彼女に告白する」

 聞き間違いではなかったし、完全に予想外の答えだった。早瀬は返すべき言葉が見つからず、口を開けて固まっている。

「そんなに驚くことか? 遅かれ早かれ、彼女と付き合うためにお前は告白をすることになるんだ。それが今に前倒しになっただけだ」

「いやいや、そんなに軽いことじゃないですよ。たしかに、いつかは告白するでしょうけど、それが今なんて勝算なさすぎるでしょ」

 まくしたてる様に言葉を並べる早瀬に、山岡はため息を吐く。

「言いたいことは分かる。だが、お前は勝算が無ければ告白しないのか」

 痛いところを突かれ、口の動きが鈍る。

「自分が好きな相手に気持ちを伝えるのに、そんな勝算だとか理屈を並べて逃げようとするやつに、彼女は救えない。違うか」

「それとこれとは話が別で」

 しどろもどろになりながら、早瀬は言い訳を探す。だが山岡はその隙を与えなかった。

「それに、ここで大事なのは彼女に動揺を与えることだ。お前の告白はあくまで百田の企みを阻むための手段でしかない。それに、うまくいけば彼女がいい返事をくれるかもしれないぞ」

 そう言いながら早瀬の肩を叩く。だが、早瀬は不安そうな顔で山岡に問う。

「でも、フラれたら」

 その言葉に山岡は頭を掻きながら「そのときは、そのときだ」と笑った。


 彼女について早瀬はほとんど知らない。サークルの新歓で彼女を知ってから、気が付けば目で追っていること多くなったが、話しかけることなかった。

 それでも、いつか撮る自分の映画に彼女は欠かせない存在だと考えるようになり、気が付けば作品の構想や絵コンテを書き溜めるようになった。そんな矢先、サークルを抜けた。

 辞めたことに後悔はなかったが、彼女に対する未練は心の片隅に残っていた。

 そして映画館でバイトを始め、お金を貯めて人を集めて映画を撮ろうと意気込んだ。けれど、人を集めることも必要な機材を揃えることもできず、だんだんと考えるのをやめていった。

 映画館、という場所にいることで映画と自分が繋がっている、諦めたわけじゃないと自分に言い聞かせてきた。でも、それが言い訳であることを理解していた。

 いつか撮る、なんて都合のいい言葉で誤魔化して、自分にウソをつき続けた。けれど、彼女を見て沸々と湧き上がる感情があった。それが何なのか、早瀬は気づき始めている。


「どうやって告白するか決まってるのか」

 休憩室を出る前に、山岡は早瀬に問いかける。それに対して、首を横に振って答える。

「おいおい、大丈夫かよ。こういう場合、なにかしら決めておいたほうがいいんじゃないか」

「かもしれないですけど、僕が彼女に抱いている気持ちが恋愛感情なのかは定かではないですし」

 山岡は大きな溜息を吐いて、早瀬の胸を指さす。

「いいか、お前の気持ちが何なのかはどうでもいい。大事なのは後悔しないことだ」

「後悔、ですか」

「確かに、今のお前は彼女のことが気になるだけなのかもしれない。だが、この先その気持ちが何だったのかを知ったときに手遅れになっていたとしたら、必ず後悔する」

 声のトーンを落とし、真剣な顔で山岡は言う。

「今回は彼女が百田の手に落ちないようにすることが目的なんだ。だから、そう重く考えるな。お前は思っていることを言えばいい」

 早瀬の肩に手を置く。その言葉が早瀬の心を軽くする。

「僕の言葉ですか」

「そう、お前の言葉だ。誰でも言える言葉なんざ、つまらないからな。映画だってそうだろう?」

 片方の口の端を吊り上げて山岡は笑う。それを見て、早瀬は「やってみます」と言葉を返し、再びフードカウンターに向かう。

 すでに彼の頭の中では、物語が作られ始めていた。何を最初に映し、何を語るべきなのか。そして、彼女に伝るべき言葉と行きつく結末の先を。

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