「エピローグ」

『人の寿命なんて見えない、普通の女の子の話』

 年越しそばと餅を食べてから、満腹を抱えて私たちはマンションを出る。初詣に行くのだ。例年に比べると気温が高いらしいが、念のためマフラーを巻いておく。神社に着くと、予想はしていたもののかなりの人出だ。大晦日から新年にかけて混みあうのは慣例だが、ここまで混むのは初めてかもしれない。

 境内の中は、見渡す限りの人の波。逸れないようにするのが最優先事項と考え、彼の袴の袖口を、必死で握り締める私がいた。


「やっぱり正月だよな。人の数が半端ないよ」と京は、視線を左右に巡らしてから、後ろにいる私に声をかけた。「人、多いけど、大丈夫か? 具合悪くない?」


 人の多い場所を私は苦手としていたので、心配して声を掛けてくれたのだろう。

 他人の寿命が見える、という特殊な能力を持つ私にとって、人がひしめく場所は鬼門だった。視界に飛び込んでくる情報量の多さに圧倒されて、体調不良をうったえることが度々あったのだから。

 けど、それもすでに過去の話。

 先輩を庇って重症を負い、運命を変えたあの日以降、私の能力は次第に失われ始めた。高校卒業から二年以上経過した今となっては、もう、他人の寿命なんてまったく見えない。

 正直、最初は取り乱した。ある日突然、出会う人全ての寿命が薄れて見えていたのだから。そんなはずはない。こんなに多くの人が一斉に死期を迎えるはずがない、と頭では理解つつも、やはり心中穏やかではないわけで。

 だが、寿命一年の人のみならず、全ての人の寿命が薄れて見えていた事から、『ああ、ようやく、この忌まわしい能力から解放されるんだ』と把握した。

 未練が無いのか、と問われるならば、慣れ親しんだ能力がなくなることへの寂しさはある。でも、それはきっと、本来あるべき人の姿。


 かつて和也さんが言っていたように、寿命が見えるという能力は思春期特有の特異体質だったのか。それとも、愛する人が出来たことで、配慮して無くなってくれたのか。消えた理由は今でも分からない。

 後者であったら良いのにな、と私は思う。大切な人の寿命の変化に怯えながら生活するのは、もう真っ平御免だ。余計な事に気回しなどせず、ゆっくりと愛を育んでいきたいじゃないか。


 こうして――『人の寿命が見える私と、来年までに死ぬ彼の話』は幕を下ろした。

 ここから先の物語は、『人の寿命なんて見えない、ごく普通の女の子の話』


「平気ですよ、京。それから、手、繋いでもいいですか?」

「ああそっか。ごめん、気が利かなくて」


 照れくさそうに左手で頬をかき、もう一方の手を、袴の袖口を掴んでいた私の手としっかり絡めた彼。繋いだ手のひらから体温が伝わって、人の多さに圧倒されていた心がストンと落ち着く。

 男の子にしては繊細だけど、私よりちょっとだけ大きい手のひら。彼に手を引かれて、私は人混みの中を進んでいく。一月の冷え切った外気が気にならない程、熱を帯び始めた顔を俯かせながら。


 石畳の境内を暫く歩き、拝殿の前まで辿り着いた。

 入口で一礼した後に、二人で顔を見合わせ苦笑い。緊張した面持ちの紋付袴の彼と、赤い振袖をぎこちなく着こなす私。


「なんだか、場違いみたいだね」


 恥ずかしいな、と思いながらえへへと笑う。手水舎てみずしゃで手と口を清めると、拝殿の中央に進んで鈴を鳴らした。二人でお賽銭を投げ入れて、二礼二拍一礼、心中で願い事を呟いた。


『京の小説が、売れますように』


 高校卒業後、家の工場で働きながら、彼は幾度となく公募に作品を出し続けた。二次選考や三次選考で落とされた事など数知れず。それでも尚、彼の筆が折れることは決してなかった。

 地道な努力は長い年月を経て結実し、一昨年の夏ようやく文学賞で特別賞を受賞する。そこからはとんとん拍子で話が進み、昨年の秋、遂に念願の書籍化が実現。ペンネームは用いずに、本名でデビューを果たした。

 彼が高二の秋、文化祭で公開したあと何度も何度も推敲を重ねたその作品は、時効成立した犯人を、熱心に追い詰めていく敏腕刑事を主人公にした大衆小説。殺人事件の被害者が刑事の恋人だったというベタな展開ながら、少しずつトリックが解明されていく過程が面白い。まさに彼の真骨頂といえる作品だった。

 早速私も書店に行って、三冊購入した。布教用と保存用と、あと……なんだっけ? まあ、それはなんでもいいけど。

 まだまだ世間での認知度は低いけれど、そのうち日の当たる時が必ずやってくるだろう。私はそう、信じている。


 参拝を済ませると、元来た道を二人で戻り始める。


「咲夜、次はいつ頃、地元に帰って来れそう?」

「そうですねぇ……大学の冬休みって、案外短いんですよ。正月が終わったら、千葉にとんぼ返りです。次に来られるのは、うーん、三月になっちゃうかもしれません」

「そっか」


 彼はがっくりと、肩を落とした。


「また暫く俺一人か。寂しくなるなぁ」


 私は高校卒業後、管理栄養士の資格を取る為、千葉にある四年制の女子大学に進学していた。何かと食生活が乱れがちな物書きの人を支えるには、悪くない選択肢だと考えたのが主たる動機。


 支える、なんて、流石に自意識過剰すぎるという自覚もあるけれど。


 大学生なんて、適当に講義に出て単位を取っておけば比較的時間は自由になる。そう甘く見積もっていた私は、早々に音を上げることになる。

 講義、レポートの提出、試験、ゼミ、サークル活動、コンビニのアルバイト……すぐ思いつくだけでもスケジュールは盛りだくさんで、更に今年の春以降は、先々の就職活動に向けての準備も始まる。今以上に時間が取れなくなるのは明々白々であり、やりたいことを躊躇したり、先延ばしにしている余裕なんて全くなかった。


「連絡くれよ? 毎日二回」


 どこか拗ねたような口調で彼が言う。


「バカなんですか? 流石に多すぎます……。私はこう見えて忙しいんですよ? 連絡は一日一回で我慢しなさい」

「えー、心配なんだよ」


 頬を膨らませた彼の子供っぽい反応に、いよいよ、ふっと笑みが零れた。ほんと、この人にはまいっちゃう。吐いた息が白いのを見ると、今日はかなり冷え込んでいるのだろう。

 唯一気懸かりな点と言えば、遠距離恋愛になったことで、長い休暇でもなければ逢えなくなったことだろうか。私は彼に『悪い虫』が付かないか、と気が気じゃなかったが、そんな心配事は割と早い段階で吹き飛んだ。

 高校在学時、私は彼の事を朴念仁だと評価していた。けど、それはどうやら見当違いだったようで、彼は重度のヤキモチ焼きだ。

 顔を合わせるたび、彼は私に甘えてくる。正直悪い気がしない私も、「しょうがないですね」なんて言いながら、結局は彼に甘えてしまう。


「今日は家に泊まっていきますよね?」

 と私が尋ねると、

「当然じゃん、深夜だよ? まさか、泊めないつもりだったの?」

 さも当たり前、といった体で彼が言う。

「いえいえ、まさか」


 だって照れくさいじゃないですか。こんな話題、女の子の方からさせないで下さい。

 それから「んー」と呟いて、京が星空を見上げる。釣られて上げた視線の先には、オリオン座とおおいぬ座の姿が並んで見えた。


「そうだ。咲夜がこっちにいるうちに、パーティーしようぜ」


 なんの脈絡もなく、彼がそんなことを言う。吐き出された白い息が、澄んだ空気と混じり合って消える。

 というかまた始まった。精巧なプロットを組み上げて物語を書くひととは思えないほど、突飛な発言をする所は相変わらずだ。

 思えば高二の夏、八景島シーパラダイスに行こうよ、と彼が言いだしたのも突然だった。ずっとそんな話は持ちあがらなかったので、てっきり立ち消えになったもんだと考えていた矢先のこと。卒業していた部長も呼んで、一泊二日のリベンジ旅行だ。

 明日香ちゃんが散々私に勧めた紫のビキニ……は流石に勇気がでなくて、薄紫色のワンピースの水着を着て屋内プールにも行った。

『夢乃。お前、本当に胸デカいのな』

 と色めきたった京の足を、思いきり踏んづけたのはいい思い出。

 未来さんだってスタイルいいし、私の胸が一番小振りだったのは事実なんだけどさ。


 私が怒ってるとでも思ったのだろうか。

「あ、ごめん」

 どこか決まり悪げに手を差し伸べてくる彼。

「パーティーいいじゃないですか。別に怒ってませんよ」

「そう? 振袖もよく似合ってる」


 なんて、こちらの顔色を伺いながら付け加えてくるもんだから、なんだかんだ言って私は彼のことを笑って許してしまう。


「今ごろ、気付いたんですか?」


 口調に皮肉をこめてみせると、彼は「へへ」と笑いながら、私の手をしっかり握った。


「ところで、いったい何処でやるつもりなんです?」

「咲夜の家」

「え、私の家ですか?」


 一応驚いておくけど概ね想定内。また始まった、と口汚い言葉が喉元まで出掛かったけど、正月早々、それは勘弁してあげます。


「う~ん……まあ、家の親も緩い人達ですし、たぶん大丈夫でしょう。でも、人数はそんなに入りませんよ?」

「そんなに呼ぶ予定はないよ。俺から佐藤兄妹きょうだいと未来には声を掛けておく。咲夜。梓さんと芳香さんの連絡先わかる?」

「知ってますけど二人とも地元居ませんよ? ああ、でも正月ならいるかな? 後で打診しておきます」

「宜しく頼む。おっと、それから夢乃もな。俺も連絡先は知っているけれど、たぶん、咲夜から連絡を入れたほうが、アイツも喜ぶと思うから」

「……分かりました。もちろん、声をかけておきますよ」

「敬語、抜けねえなあ……」


 呆れ顔で、しんみりと彼が呟いた。


「文芸部の二年間で染み付いてますからね。深層心理にあるものですし、もう、敬語の方が自然なのかなと。恋人として、寂しいですか?」

「別にそんな風には思わない。それに……一見丁寧な口調だけど、その実言葉が強いから慇懃無礼な感じなんだよな」

「それも含めて、私の魅力でしょう?」


 嘆息した彼を横目に、眼鏡の真ん中を指で持ち上げる。赤縁の、オーバルタイプの眼鏡。結局、彼の好みを尊重して、同じタイプの物を掛け続けていた。


「違いない」


 彼の声に釣られて、二人でひとしきり笑った。

 明日香ちゃんの父親が開業した飲食店も、ようやく営業が軌道に乗って、順調に売り上げが伸びているようだ。

 高校卒業後、地元の銀行に就職した彼女は、日々忙しく働く傍ら、休日は父親の店を手伝っているらしい。千葉と神奈川。住んでいる場所が遠く離れてしまったこと。お互い多忙になったことから、最近は数ヶ月に一度しか連絡を取り合っていない。

 それでも――私は彼女の事を一日たりとも忘れたことはない。忘れるはずがない。茜色の夕日射し込む病室で。懐かしい課題曲を二人で奏でた音楽室で。私達は永遠の友情を誓い合ったのだから。


『ずっと、ずっと、親友だからね』


 明日香ちゃんから受けた報告で一番印象的だったのは、彼女に『恋人』ができたことだろうか。

 相手は同じ職場に勤務している二つ年上の男性。そう、男性だ。きっと彼女の中で、何かが変わったんだろう。

 その事実を私は嬉しいと思う反面、心の何処かで寂しいとも感じてしまう。けれど、

『結婚が決まったら、友人代表の挨拶は咲夜に頼むからね』

 親友の弾んだ電話口の声を聞いてたら、まだ早いでしょ、と内心苦笑いしつつも全てが吹っ飛んだ。負けられない。私も頑張ろう、とあらためて誓うことができた。

 早く会いたい。

 また、彼女の声が聞きたい。

 強くそう――思った。


 その時突然、京が立ち止まった。考え事をしながら歩いていた私は、彼の背中に鼻からぶつかってしまう。


「ちょっと、急に立ち止まらないで下さいよ」


 抗議の声を上げると、彼は振り返って私の名前を呼んだ。


「咲夜」


 いつになく真剣な声音に、思わず背筋が伸びてしまう。


「はい……」


 緊張した面持ちを維持したまま彼は袴の懐に手を入れると、濃い青色のジュエリーケースを取り出した。そのまま真っすぐ、私の方に差し出してくる。


「あの……これは?」

「あんまり高価な物は買えなかったんだけど、成人のお祝いと言うか……」


 通り過ぎる人達が、チラチラと視線を注いでくるなか、歯切れ悪く彼が答えた。


「開けてみても、良いですか?」

「もちろん」


 ジュエリーケースを受け取った私の手のひらは、自分でも滑稽だと思えるほど汗ばんでいる。緊張から震える指先でケースを開くと、中から出てきたのは澄んだ緑色の石が嵌った高そうなリング。


「指輪、ですか?」

「咲夜の誕生日って五月でしょ。だから誕生石のエメラルドのリング。エメラルドの石言葉は、幸福、幸運、安定、希望。だから――」


 彼はそこで一度言葉を切ると、私の手をしっかりと握った。強い力で握りしめてくる彼の手は、先程よりも大きくて、凄く温かく感じられる。


「俺の小説が売れて、生活が『安定』してきたら、君のことを『幸せ』にしたいんだ。まだもう少し、時間は掛かると思うけれど、その時が来たら。俺が、君を支えることが出来ると『希望』を持てる日が来たら――」


 アーモンド型の瞳が、真っすぐ私の姿をとらえた。


「――俺と、結婚してください」


 瞬きを繰り返す私の瞳と、強い意志の光を放つ彼の瞳がぶつかった。突然視界が強く滲んで、許容範囲を超えた雫が静かに頬を伝い落ちる。


 どうしてあなたは、いつもそんなに不躾ぶしつけなんですか?


 どうしてあなたは、いつも私の予想を遥かに飛び越えた行動ばかりするんですか?


 いつも心の準備が出来ていないから、私は驚いてしまって、胸が苦しくなってしまって、こんなにも視界がぼやけてしまって……

 こんなにも、嬉しくてしょうがない。

 もう――酷いです。なんにも見えないじゃないですか――


「本当に……こんな私で……良いんでしょうか?」


 震える声音で、たどたどしく言葉を紡いだ。私の両手を強くしっかりと握りしめ、決して視線を逸らそうとしない彼に、相変わらず自信のない私は伏し目がちに伺いを立てた。


「もちろんだよ。ずっと咲夜のことだけを愛し続ける」

「京。私も、愛しています。それと――」


 冷え切った外気にあてられたせいか。それとももっと違う理由か。すっかり紅潮しているであろう顔を隠すように、俯いたままそう言った。


「これからも、宜しくお願いします」


 ……私は上手く、笑えただろうか? でも、ドキドキしながら上げた視界の先見えた彼の顔は、満面の笑みだったので良しとしましょうか。


 その時、また一つ、心の中に架け橋が増えた。

 二人は手を繋ぎ、弾んだ心を隠すこともなく架け橋を渡って行く。辿り着いたその場所は、今はまだ不完全な空間ではあったけれども、あと少しだけ待っていれば幸せな光が降り注ぎ、二人の愛とその結晶で満たされていく事でしょう。


 そうだ。架け橋に、何か名前をつけましょうか?

 そうですね。『少年と少女を繋いだ、一本の架け橋』なんてどうでしょう?


 こうして私達は、この世界を歩き始めた。もう、誰の寿命も気にすることなく。


 運命とは、自分達の力で切り開いていくものなのだから。




~ 咲夜。人の寿命が見える私と、来年までに死ぬ彼の話。 了 ~

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