Part.28『光射す場所①』
私の自宅マンションは、駅から徒歩で約十分の場所にある。
扉の鍵を開けて、家の中に入る。お邪魔します、と控えめに告げた今泉先輩は、やたらと緊張した面持ちだ。
玄関から順番に照明を灯していくと、ひと気のない無機質な空間に、命の火が灯されていくようだった。
暖かい光に
「それで頭を拭いてください。風邪ひきますよ」
続いてクローゼットを開け放つと、中の洋服に目を配って思案する。
「う~ん……私のティーシャツじゃ、着れるわけないですよね?」
「加護は華奢だからね。どう考えてもサイズが合わない。良いよ、学校のジャージに着替えるから」
彼は手元の鞄を探ってジャージを取り出すと、早速ズボンのベルトに手を掛ける。
「ま、待って下さい!」
「ん、どうした?」
「どうしたじゃないですよ、バカなんですか。なんで私の目の前で脱ごうとするんですか!」
「俺は恥ずかしくないけど」
「私が恥ずかしいんです……」
くそ、こんな反撃をされるとは予想外だった。しかも、どうして下から脱ごうとするんですか。
私が女だという事を忘れてるんじゃなかろうか。それとも私が女だからこそ、なんだろうか。そこまで考えたところで頭を抱えた。これではまるで、自分の方から率先して疚しい事を考えているみたいだ。
「じゃあ悪いけど、席外してくれる?」
言われなくても外しますよ。適当に答えて立ち上がる。
「シャワー浴びられるように準備してきますので、その間に着替え済ませちゃってください」
「わかった」
朗らかな顔で告げた先輩を残して部屋を出る。思いもよらない反撃と展開に、心臓側から怒涛のクレームが押し寄せていた。加速し続ける鼓動を宥めて浴室に入ると、給湯器の電源を入れて洗い場を掃除した。バスタオルを準備した後で、自室へと舞い戻る。
ジャージに着替え終えた彼は、絨毯の上に胡坐をかいて座っていた。
「殺風景な部屋だな」
部屋中をぐるりと見まわして、彼は正直すぎる感想を口にする。
「……悪かったですね」
確かに女の子らしくない部屋だという、自覚はある。
「でも、普通そこは、嘘でもいいから可愛い部屋だね、と褒めておく所じゃないんですか?」
「無理だよ……。だって、本当に何もないじゃん」
赤い絨毯が敷かれ白い壁で覆われた私の部屋。置かれている物といえば、質素なデザインのベッドが一つ。白いキャビネットと鏡台。他には、デスクトップ型のパソコンを置いたデスクと、書棚くらいか。絨毯以外の全てがモノトーンな色調なので、如何にも味気なく目に映る。
可愛らしいぬいぐるみの一つでもあれば、印象も変わるんでしょうけど。
まさか、先輩を家に招くとは予想してなかったですしね。そのうちに、可愛らしい家具を幾つか揃えましょうか。
二人でリビングまで移動すると、「先にシャワー浴びてきて良いですよ。私は後で構いませんから」と彼に促した。先輩は「すまん」と素直に従うと、着替えを持って脱衣室の中に入って行った。
扉の閉まる音がパタンと響き、続いてザーザーから始まり、ぽつぽつ、ぱたぱたと音を変えながら、水の滴る音が聞こえてくる。
壁を一枚隔てているとはいえ、推定数メートル先の空間で先輩が裸になっていることを意識すると、居た堪れなくなって窓際に移動した。
シャワーヘッドから流れ落ちたお湯が、彼の長めの髪の毛を濡らしていく。毛先から滴る雫が、思いの外逞しい胸元を、腹部を伝い──でも、男の子の裸を見たことが無い私は、ここから先を上手くイメージできなかった──という所で、妄想捗る自分に苦笑い。
頭を左右に振ると、脳裏に浮かんだ映像を追い出した。
平常心、平常心……。
頬の辺りが、ほんのりと熱を帯びている。甘い展開を期待している自分と、いや、告白なんてまだ早いと怖がる自分。収まりのつかない感情で頭の中はもうぐちゃぐちゃで。なんだろうこれは。今更のように、私は怖気づいているんだろうか?
まさか、そんなはずはないでしょ、と自問しながら、カサカサに乾いている唇に指を触れた。
このままずっと──雨が止まなければいいのに。
外からは変わることなく、地面を叩く雨音が聞こえていた。
「ふー気持ちよかった。もう、いいよ」
彼がすっきりとした顔で浴室から出てくると、畳んで用意しておいた衣類を取って入れ違いに浴室に向かう。濡れた制服もブラウスも全て脱ぎ捨て、曖昧な意識に熱いお湯を浴びせていく。肌に染み入る温かさに身を委ねながら、瞼を閉じて顔を揉んだ。そうするうちに、次第に心が落ち着いてくるようだった。
蛇口を締めて、バスタオルで体の水気を拭き取った。ティーシャツとホットパンツに着替えて浴室を出ると、カップに入れたミルクティーをリビングで二つ準備した後で自室に戻る。
先輩は強張った表情で部屋の真ん中に正座して、私のベッドに目を向けていた。私が戻ったのに気が付くと、驚いたように背筋が伸びる。悪事を働いていた子供のように、落ち着き無く視線を泳がせジャージの袖口を折り返した。
「何をそんなに驚いてるんですか?」
笑いながら彼の傍らにしゃがむと、ティーカップを差し出した。
「インスタントの紅茶ですがどうぞ。温まりますよ」
ありがとう、と言って彼は受け取ると、一口啜ってから、ふう、と息を吐きだした。
「濡れた制服を貸して下さい。ハンガーにかけて干しておけば、少しは乾くでしょう」
彼の制服をハンガーに通し壁際のフックに掛けた後、パソコンの電源を入れる。
私の部屋にはテレビが無いので、沈黙を紛らわす目的で、ブックマークの中から適当な配信動画を見繕って音楽を流しておいた。
クラシックの静かな音楽が流れ始める中、私は緊張気味に先輩の隣に移動する。だがそこは、曖昧な関係でしかない二人の事。並んで座るときの距離感が今ひとつ掴めない。暫し考えた末に、二〇センチ程離れて膝を折った。
心臓の音が、やたらと耳に五月蝿い。
話題を探して視線を泳がせつつ、ミルクティーを一口啜る。カップを置いた音すら響き渡る静寂に、緊張と気まずさは既に臨界点。落ち着きなくティーシャツの裾を引っ張ってお
「雨、止まないね」
「そうですね……。でも、雨脚は落ち着いてきましたよ」
発言して即座に後悔した。これじゃまるで、帰る為の口実を与えているみたい。慌てふためいた私の口からは、言い訳めいた台詞が矢継ぎ早に紡がれる。
「電車の時間、まだ大丈夫ですよね? 雨、完全に止むまで、ゆっくりしていけばいいですよ。そ、それに、こ、こうして待っていれば、濡れたシャツと制服も乾くでしょうし」
「うん。電車ならまだ平気。そうだな、もう少しだけ休んでいくよ」
「は、はい。そうするべきです」
そして再び訪れる沈黙。うう……加速度的に自己主張を強める心臓が、今にも口から飛び出しそう。
再びティーシャツの裾に手を伸ばした時、先輩が前後の脈絡なく言った。
「これから、何しようか?」
「そうですね――」
え、ナニをする?
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