咲夜。人の寿命が見える私と、来年までに死ぬ彼の話。

木立 花音@書籍発売中

序章

Part.1『記憶』

 空が青い──。そんな、よく晴れた日だった。


 場所は、昼下がりの横浜市中心街。高いビルが左右に立ち並んでいる。

 私は歩道の上に立ち尽くし、一棟のビルとその真下とを代わる代わる見ていた。

 路面から伝わってくる熱は苛烈で、今日が真夏日であることを痛烈に物語る。降り注いでいる日差しは強く、瞼の裏に一瞬焼きつくほどだ。視界が白くぼやけている。街全体が、陽炎かげろうの中に沈んでいる。

 辺りは喧騒に包まれていた。

 街角でよく聞かれるものとは一味違う。

 それは、強い恐怖と混乱を湛えた喧騒だった。喧騒というよりは、騒然とした緊張感漂う空気、とでも表現するのが適切だろうか。

 赤色灯の明かりと共に、甲高いサイレンの音が響いてくる。ようやく救急車が到着したようだ。

 だが──けたたましいはずのその音は、殆ど私の耳に届かない。まるで水底に沈んだように、くぐもってしか聞こえない。

 どんどん増えていく人波。呆然と立ち尽くして、ひしめき合う人の背の隙間から、動かなくなったをじっと見ていた。

 ビルの真下に横たわっているのは、木綿の白いブラウスを着た女性。白かったその生地が、次第に真っ赤になっていく。アスファルトの上にも、じわじわと赤黒い血溜まりが広がっていく。

 ブラウス姿の女性とは、三十分ほど前にこの近くのビル街ですれ違った。

 私は知っていた。彼女の頭上に浮かんでいた数字は『一』。

 私は知っていた。その数字が、彼女の『寿命』を示しているであろうことを。

 私は知っていた。そう遠くない未来、彼女が死ぬであろうことを。


 このビルの屋上から飛び降りて、命を絶ってしまうことを。


 いや──流石にそれは、買いかぶりというものだ。

 死の間際の情報を、詳細に知りうる力は、私にはないのだから。

 でも、それでも、と自問自答を繰り返した。自分のことを責め続けた。もし、この日声掛けをしていれば、彼女の未来を変えられただろうか? 未来が変わらなかったとしても、せめて、飛び降りる決断を数日でも遅らせられただろうかと。

 この日を境に、頭上に見える数字が示しているものが、その人の寿命なんだとに至る。

 しかしまだ小学生だった自分には、いささか刺激の強い事件だった。


「そんな……」


 胸から鳩尾みぞおちにかけて強い痛みが走り抜けると、たまらず両手で心臓の辺りを掻きむしった。

 視界が滲む。

 息が詰まる。

 呼吸をすることすらままならなくなると、震えの治まらない唇から漏れだすものは、酷い嗚咽と吐き気だけ。うずくまったまま、私は立ち上がることができなくなった。


 夢の中の自分に、もし、意見することができるのならこう伝えたい。

 次、救える可能性のある人物と出会った時は、決して目を背けちゃダメだと。

 絶対に、逃げちゃダメだと。

 あの日私が背負った罪の十字架が下りる日がくるとしたら、それは、この忌々しい能力で誰かの運命を変えられた日、なのだろうか。

 この考え方は、偽善かそれとも贖罪か。

 答えは今もまだ、見つからぬまま。


* * *


 直後──鳥の囀りで目を覚ました。

 心臓は強く脈打ち、背中にはぐっしょりと寝汗をかいていた。

 悪夢を見る日々は終わらない。自分が犯した罪と向き合い、そして、あがなうその日まで。

 陰惨な夢の光景を、かぶりを左右に振って追い払うとベッドから這い出した。姿見に映った自分の姿をじっと見つめる。


 加護咲夜かごさくや。十五歳。


 重たく見える、黒髪のショートボブ。青っちろい肌。そこそこ整った容姿を持ちながら、目立った特長もない私。それでもたった一つ、明らかに他人と違うところがあるとすれば、それは──。


 他人の寿命が年数で見えること。

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