第7話 新たな日常の始まり

7話 新たな日常の始まり



 そして、今に至る。


「私が髪を長くしていた理由、ですか。……そんなの、あなたを驚かすために決まってるじゃないですか。ビビりさん」


「太一ですっ! ビビりを別称みたいに使うのやめてくださいよ!」


「なら、子犬ちゃんなんてどうですか? プルプルと怯えて身震いする姿は、まさにそれなので」


「絶対嫌ですッッ!!!」


 面と向かって繰り返される、くだらないやり取り。その一つ一つが幽霊にとっては初めての経験であり、至高の時間であった。


 自らの姿に不安を抱き、したくて堪らなかった人間とのコミュニケーションをずっと我慢して、一人で時を過ごして。その寂しかった思い出が少しずつ、少しずつ……会話を重ねるたびに、溶けていく。その感覚を、幽霊は確かに実感する。


「あなたは面白い人ですね、太一さん。仕方ないのでこれからも────」


 一緒に……と言葉をつづけようとしたその時、太一が慌てた様子でそれを遮る。


「ゆ、幽霊さん!? 今、俺の名前ッ!!」


「え? あっ……」


 そう、今までは呼んでいなかった太一のその名を、つい無意識のうちに呼んでしまうほどに、気が緩んでいたのである。


 思いもよらない言葉を発してしまったせいで幽霊は恥ずかしさのあまり咄嗟に顔を背けそうになったが、そんなことをしてしまえばその感情は一瞬にして太一にバレてしまう。


 そのため一瞬、ほんの一瞬だけ目を閉じ、その恥ずかしさを押し殺して。平成を装いながら、幽霊は話を続けた。


「ま、まぁこれから話す時に名前で呼べないと不便ですからね。……ただ、それだけですから」


「じゃあ俺にも、幽霊さんの名前を────!!」


「それは内緒です。いつか、気が向いたら教えてあげますよ」


 ふふっ、とからかい混じりに笑う幽霊の顔が、見事に太一をノックアウトした。このいたずらな笑みは太一の心臓を見事に鷲掴みにし、反撃の言葉を脳内から掻っ攫う。


「これからも、よろしくお願いしますね。一応、同居人として」


「っ!! は、はぃっ!!」


 ドキンッ、と胸に何かを打ち付けられたかのような感触と共に動悸が速くなっていく太一は、カチカチになってしまいながらも元気いっぱいの返事で応える。


 堂々と部屋に住む人間と、見つからないようにひっそりと暮らす幽霊。二人の関係は今確かに変わり、共に日々を過ごす本当の同居人へと昇華したのだ。


(これからは幽霊さんと、あんなことやそんなことを……っ!!)


(これからは太一さんと、いっぱいお話しできる……っ!!)


 互いに胸の内から溢れ出る高揚感で顔を赤らめながら、少し目線を外して。ふと時計を見た太一が、先に動いた。


「あ、せっかくこんな時間に起きれたんですし、ゴミ捨て行ってきますね。そういえばさっき、幽霊さんも何か捨ててたみたいですし」


 ちなみに何を捨てたんだろう、なんて事を考えながら、ゴミ箱の中に幽霊の手によって入れられた謎のビニール袋を、太一はそっと持ち上げる。


「ちょ、ちょっと太一さん。それ、あんまり触らないで……」


「え?」


 上で綺麗に結ばれた持ち手部分を解き、中身に視線をやる。すると中身は真っ黒な大量の細い線が入り混じる塊……即ち、幽霊がお風呂場で切り落とした、髪の毛の数々であった。


「……これ、家宝にしていいですか?」


「やめてください! ああもう、なんか嫌な予感がしたからコッソリ捨てたのに!! 悪い意味で期待を裏切りませんねド変態!!!」


「ド変態!? 失礼な! 俺は幽霊さんの髪の毛をそんなエッチな目的には使いませんよ! これはちゃんと綺麗にまとめて、神棚に────」


「どちらにせよ嫌なんですが!? 自分の切り落とした髪の毛が綺麗にされて住んでる部屋の神棚に備えられる私の気持ち、考えてくれません!?」


「でも俺には、幽霊さんの髪を捨てるなんて恐れ多いこと、とても……」


「捨ててきてください早くッ!!!」



 賑やかな朝。一人ぼっちではない、誰かと言葉を交わし合える朝。これからはこの日々が、続いていく。

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