第四章(最終章)
すべてはながれる(1)
盛夏八月。
薔薇園[執政府]と同時に行われていた、
騒音を防ぐために、
数学の証明を行っていた公女に、サレが北州公[ロナーテ・ハアリウ]からの書状を手渡すと、「ありがとう」と返事が戻って来た。
サレが驚いて、「あなたさまに、ありがとうと言われたのは初めてです」と言うと、「そう」とだけ公女はつぶやいた。
公女が筆を走らせる音だけが室内に響き続けた果てに、彼女が口を開いた。
「私はまちがっていたのだろうか」
問われたのでサレは次のように応じた。
「それはもちろん正しくはなかったですよ。しかし、生きている者のほとんどは正しくない存在です。そこで悩んでも仕方がない問題です。……あなたさまがいまの境遇をわるくないと思っておられるのならば、それで満足すべきではないでしょうか。得られるだけの知識を蓄えて死んで行く。それがあなたさまの生きる道なのでしょう。その知識を万民のために役立てることを考えていただければ、あなたさまには興味のない世俗的な価値の範囲ですが、あなたさまという存在に意義が生まれるようにわたくしは思います」
サレの言のあとも、長い沈黙が流れた。そして、それから、机に向かったまま、公女が再度口を開いた。
「子供がかわいくないのだ。会えと言われるが会いたくない」
「あなたさまが会いたくないと思われるのならば、会う必要はないと、ノルセンは思います」
「……それで子供たちは幸せになれるのだろうか。母親なしで。私が無理をするべきなのだろうか」
「それはご自身で考えていただく問題ですが、ただ、幸せの形などというものは人それぞれですから、母親がいても幸せでない場合もあるでしょうし、母親がいなくても幸せになれる場合もあるでしょう。……ただ、あなたさまと長く接して来たわたくしから見た場合、冷たい言い方ですが、あなたさまはいない方がよいように個人的には思います」
サレの言葉に机へ向かったままの公女は何も答えなかった。
長い時間が過ぎたので、サレは、「ハランシスク・スラザーラ、お元気で。さようなら」と言った。それからサレは歩き出して、書斎の扉を開けた。
サレは、公女の猫背をしばらく見つめたのち、部屋から出て行った。
※1 サレには感慨深いものがあった
廃墟となった
※2 贈り物だけを近習に渡した
ハランシスクはエレーナの助言で異国の書物を読み込み、「
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