エレーニ・ゴレアーナ(七)

 公女[ハランシスク・スラザーラ]が指示を出し、庭に造らせたコステラの模型は、新しい水路の流れも決まり、ほぼほぼ完成していた。

 都を南北に分けている運河は地表から姿を消し、その水は地下を流れる予定であった。

 一個の都市となるコステラは整然としており、それは公女の知性を表しているように思えた。公女から感想を求められ、サレが最大限の賛辞を贈ると、彼女は満足そうに笑みを浮かべた。他の者には、口端をゆがめているようにしか見えなかっただろうが。


「ノルセン・サレ。この世でいちばん貴重なものは何だ?」

 模型を子細に検分している東州公[エレーニ・ゴレアーナ]から問いかけられたサレは、答えを知っている質問が出たので、内心安ないしんあんしつつ、「時間でございましたな」と応じた。

 東州公は大きくうなづいたのち、模型の周りを巡りはじめた。

「その時間を結晶化したものが金銭だ。だから、私は金儲けが好きだ。金儲けに集中したいのだ……。愚か者たちはわかっていないが、領土を得ることが金になるとは限らない。ノルセン・サレ、おまえは、ばくは好きか?」

「いいえ。たしなみません」

「それは気が合うな。私は、博打が嫌いだ。つまり、いくさは嫌いということだ。いいか、ノルセン・サレ、領土は広さではない、質だ。東部州には未開の土地が多くある。少なくとも、他人の土地に踏み込むのは、自分の土地を耕し終わってからでいい。それがわかっていない者が多すぎる。多すぎた……。大公[ムゲリ・スラザーラ]をはじめとしてな。愚かなことだとは思わんか?」

 「まことに」とサレが心から同意すると、東州公は満足そうに微笑をうかべた。その表情は、公女に似ていなくともなかった。

「おまえとは気が合いそうだ……。私はな、ノルセン・サレ。東南州の領土に興味はない。東南州の綿めん、塩、果実、魚、菜種、酒などを、自分のもとに抱え込みたいとは考えていない。それらが、東部州の庶民へ適切な値で流れてくれば、それで十分だ。穀類、石材、銅、砂糖、葡萄酒、火縄銃、それに東方諸国との交易品。それらが邪魔をされずに東部州から都へ届き、妥当な値で売れればそれでよいのだ」

 サレは何が言いたいのだろうかと思いつつ、「なるほど」と相槌あいづちを打った。

「東南州を支配下に置き、西南州と近北州から挟まれるのは得策ではない。東南州はタリストン・グブリエラが好きにすればいい。西南州はスザレ・マウロを輿こしに乗せて、それを才ある者たちが担げばよい」

「その先に考えておられるのが、勢力の均衡きんこうによる七州の安定であるのならば、それは、近北公[ハエルヌン・ブランクーレ]が話されていたことです」

「あの男とは昔から気が合うところがある。私には、あの男とやり合う気はないよ」

 東州公がふと足を止め、模型の水路を指さした。

「あそこだけ、掘りの形が不自然だな。水の流れがわるいだろう」

 サレが見てみると、そこは、彼が公女に忠告した箇所であった。

「守るにはあの形のままがよいと、わたくしが公女にお話しした堀でございます」

 サレが説明すると、東州公の斜視と目が合った。

「コステラは、そもそもの地形が、守りにくく攻めやすい盆地なのだ。そのようなことに気を使っても仕方あるまい。あきないの邪魔なだけだ。何事も割り切りが大事だと私は思うがな」

「……ハランシスクさまに伝えておきます」

 「そうしておけ」と言うと、東州公は薄汚れた鹿しゅうかんを一瞥した。

「しかし、私がスザレ・マウロに渡した大砲のおかげで、ハランシスクも少しだけスラザーラ家の当主らしいことをしたが、そのまま目を覚ますという形にはならなかったな」

 東州公の言に、「そこまで見通したうえで……」とサレが驚くと、彼女は鼻で笑ったのち、「本当に冗談の通じぬ男だな。ハランシスクが鳥籠[宮廷]に乗り込むなど、想像できるわけがないだろう。それは人外の行いだよ。私は人間だ」と応じた。

「しかし、まあ、おまえが、ハランシスクの扱い方をわかっていないのは確かだな」

「公はお分かりで?」

「多少はわかるさ。祖父母を同じくするものだからな」

「他人を草や木と思っている公女が、ゆいいつ気に留めておられるのがあなたさまだと、わたくしは考えておりますが、それは、血のなせるものなのでしょうか?」

 サレから問いかけられた東州公は「知らんよ」と言ったのち、しばらく考え込んだ。

「それにしても、人の形をした化け物同士から、どのような子供が生まれるのだろうな……。まあ、私にはあずかり知らぬことだ」

「おふたりの婚儀にご不満が?」

 サレが突っ込んだ問いかけをしたところ、東州公は鹿集館へ向けて歩を進めながら、次のように言った。

「とくにないよ。私に、ふたりの幸せを願う義理はないが、不幸の少ないことは望んでいる。ハランシスクのお従姉ねえさまとしてな」

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