エレーニ・ゴレアーナ(五)

 東州公[エレーニ・ゴレアーナ]の冷めた声が室内に響いた。

「スラザーラ家当主としての役目を果たす能力もなければ意思もない。そのような者を当主の坐に置いたままにするのは得策とは思えない。合理的でない」

 東州公の言に口を挟もうとしたサレを、彼女はその斜視で制した。

「別に私は、とう州州しゅうしゅうぎょ使として何らかの思惑があり、それに基づいて言っているわけではない。ムゲリの姉の子として、父を挟んで叔父上からゴレアーナの家督を引き継いだ者として言っている……。ボルーヌの娘は父親の操り人形に過ぎん。そのボルーヌは、娘を家長にしたいだけで、それ以外の野心を持たぬ無能だ。しかし、だからこそ、安心できる。ノルセン・サレ、なぜだかわかるか?」

 問われたサレは、ひとつ息を吐いてから端的に答えた。

「だれも、彼らの言うことを聞かぬからです」

 サレの言に東州公はうなづいた。

「そうだ。そこが、ハランシスクとはちがうところだ。たとえば、ボルーヌの娘が叫んだところで兵はひとりも集まらぬ。しかし、ハランシスクが一言つぶやけば……」

 東州公が口を閉ざすと、ふたたび、部屋の中は公女[ハランシスク・スラザーラ]の泣き声に支配された。

 その重苦しい雰囲気を振り払うように、サレは「しかし」と反論を試みたが、また、東州公に邪魔された。

「しかしも案山子かかしもないよ。私はな、ノルセン・サレ。今日の事態を招いた、いちばんの元凶はおまえだと思っている。スラザーラ家に生まれ落ちてしまったことについて、ハランシスクを責めることはできない。生まれる家は選べないからな。だからこそ、主に問題がある場合に備えて、家宰や従者がいるのではないのか。……おまえは理解していない。ハランシスクはおまえの言うことしか聞かないから、おまえをハランシスクの側に置くしかない。そうなると、ハランシスクとボルーヌの娘のどちらかを選ぶということは、ボルーヌ・スラザーラとノルセン・サレのどちらかを選ぶということでもある、ということをな」

 東州公の言に対して、自身の名誉を傷つけられたと考えたサレは、怒りや憤りを抑えつつ、口を開いた。

「東州公、お言葉を返すようですが、わたくしが公女の件につき、そのような責任を負う義務はないと考えております。わたくしは、ハランシスクさまのきょうだいに過ぎません。わたくしが、公女を育てたわけではない。公女が今のようにお育ちになられたのは、大公[ムゲリ・スラザーラ]さまのご意志です」

 サレの言に対して、「何が言いたいのだ」と東州公が低い声で応じた。

「大公さまの横死後、公女の側にはべるようになったわたくしにできることは限られていたということです。これは揺るぎのない事実です」

「要は、おまえが鹿しゅうかんに戻って来たときには、ハランシスク・スラザーラは手の施しようがない愚か者になっていたということか?」

 そのように即答した東州公へ、「そのようなことは申しておりません」とサレは怒気を込めて言葉を返した。

「東州公、あなたさまはまちがっておられる」

「ほう。この私の言葉にまちがいがあったと言うのか。おもしろい。言ってみろ。ただし、吐いた言辞の責任は取れよ」

 東州公の物言いがサレの胃を直撃したが、それに耐えながら、彼は言葉をつむいだ。

「そもそもの話として、大公さまの血を引いておらぬボルーヌの娘ごときの風下にハランシスクさまを立たせることがまちがっております。この事実を持って、これまでの話は無意味とわたくしは考えます」

「たしかに、ハランシスクの忠臣であるおまえの中ではそうなのだろう。また、ゴレアーナ家の家長である私も同意する部分がないとは言わない。だがな、当の本人であるハランシスクと……、ハエルヌン[・ブランクーレ]はちがう考えを持っているのではないか?」

 頭の回転がよほど速いのであろう。東州公は間髪を入れずにサレを問いただした。対して、サレはさほど賢くはないので、「近北公[ハエルヌン・ブランクーレ]……」と言ったきり、黙り込んでしまった。

 サレが言葉を返してこないので、東州公が口を開いた。

「あの男が、ハランシスクがスラザーラ家の家長でなければならないと思い込んでいると、ひどいやけどを負うことになるかもしれんぞ。あの男は、一事が万事、近北州を統治することしか考えていない。その観点から言えば、自分に権威権力が集まり過ぎるのは良しとしないだろうよ。らぬ敵と責任を負うことになりかねないからな。……ハエルヌンを知らぬわけでもないおまえなら、わかる話だろう?」

 サレの沈黙を同意と受け取った東州公が話をつづけた。

「試しに、あの男へきょうの話を伝えてみろ。けっして、即座に否定はしないはずだ。そうだな……、おそらく、ハランシスクの意向をおまえにたずねるはずだ」

 返答のしようがなく、サレが黙っていると、「いつまで泣いているのだ」と東州公は公女へ視線を向けた。涙で化粧の落ちた公女の顔は見るに忍びないものであった。

「結局のところ、おまえがどうしたいかがすべてだ。ボルーヌが娘をおまえに取って替えたいと思い、それにハエルヌンや私が同意しようとも、おまえが当主でありたいと意思を示せば、だれも何も言えなくなる……。おまえはどうしたいのだ、ハランシスク?」

 東州公の問いかけから大分時間を要したのちに、公女は泣き止むと、立ち上がって次のように叫んだ。

「せっかく、久しぶりにお会いできるのを楽しみにしておりましたのに。こんなにわたくしをいじめなくてもよいではありませんか、従姉あねうえ。ひどい仕打ちです」

 言い終わると、公女は机の上の黒い首輪を取り、怒りに任せて引きちぎろうとしたが、非力な彼女ではそれは適わなかった。諦めた公女は首輪を床に叩きつけると、部屋から出て行った。


「やれやれ、どうしようもないな。子供のままで……。どういう教育をしたら、あのようになるのだ」

 東州公は立ち上がりながらつぶやくと、床に落ちた首輪の赤い宝石をサレに見せた。

「さすがは、世界でいちばん硬いとされている石だ。傷ひとつ付いていない」

 首輪を箱の中へ戻すと、東州公がサレに「庭へ出よう」と告げた。「ここは空気がわるい」と言い添えて。

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