再生(八)

 酒が進むうちに、公女[ハランシスク・スラザーラ]が言い当てた部分日食に話が移った。

 四人とも、「天象要諦」を公女から献本されており、[タリストン・]グブリエラと学者どの[イアンデルレブ・ルモサ]は読んでいた。

 グブリエラは十分に理解できなかったらしいが、学者どのは長々と賛美の言葉を口にした。

 まったく本を読まないサレは、主の暇つぶしの価値を、学者どのに聞かされてようやく理解した。

 対して、近北公[ハエルヌン・ブランクーレ]も、すなおに感心したうえで、「よくわからないが、すごいことなのだろうな」と、サレと同じような感想を口にした。

 余談だが、公は法学の本を好んだだけでなく、すこし俗なところがあり、酒の相手をする者がいないときは、平民のように小説を読みながら、酒を飲む癖があったそうだ。これは、ラシウ[・ホランク]から聞いた話である。


「しかし、太陽や月の動きの計算方法を改め、より正確な太陰暦をつくったところで、何かいいことがあるのか?」

 なぜか、公がサレに問うたので、「さあ、旧教徒は別の暦で生活しておりますので関係ありませんが(※1)、新教徒は助かるのではないでしょうか」と答えておいた。

 サレの回答に、「宗門にかかわることには、手を出したくはないな」と、公が渋い顔をつくった。

 そのふたりのやりとりに対して、口を挟んだのは、学者どのだった。

「聞いた話によりますと、百姓どもは、農事や祭事について、太陰暦を用いているとの由にございます。より正確な暦があれば、彼らのわずらわしさが減るかもしれません」

 滔々とうとうとしゃべる学者どのに、グブリエラが厳しい視線を送っているのを、サレは見逃さなかった。余計な仕事が増えるかもしれない発言は慎めと言いたかったのだろうが、それはサレも同じ心情であった。

 公はもう一度、「天象要諦」の内容について、学者どのにたずねた。学者どのはなるべく嚙み砕いて話したのだろうが、公は険しい表情を崩さなかった。もちろん、サレなどには、聞いていると眠たくなるだけの呪文として耳に届いていた。


 学者どのが説明を終えると、公は深く頷いてから、次のように言った。

「まだ、よくわからんが、百姓のためになるのならば、すぐに改暦を進めるべきだろう。わるいが先生、いまから、鳥籠[宮廷]への建白書の奏案を書いていただけるか。公女どのはお書きにならないだろうから……。改暦の趣旨について、なるべくわかりやすくまとめたうえで、結論は百姓のためになるということを全面に出していただきたい。それならば、鳥籠も強いことは言えますまい。奏案ができましたら、サレに清書させて、鳥籠へ届けさせます」

 公の即決に、学者どのがあたふたとするさまを、グブリエラが冷めた様子でながめていた。

 また、ひとつ、めんどうな仕事が増えたサレは、やけ酒をあおった。


「暦。とくに月がかかわる太陰暦を、鳥籠の許可なく勝手に使うわけにはいかないからな。筋は通さないと。なあ、東南公[グブリエラ]」

と近北公から声をかけたグブリエラは、一度、軽く頭を下げたのち、口を開いた。

「しかし、改暦は、鳥籠の権威の、その根幹にかかわる事柄。いくら、そちらのほうが正確だからと言って、太陽を信奉する旧教徒の取りまとめ役である公女さまがおつくりになった暦を、そうやすやすと受け入れますかな……。受け入れぬ場合、近北公としては、いかがなさるおつもりですか?」

 グブリエラのもっともな質問に、公は杯を空にし、ラシウに酒杯を注がせながら、「よりよいものになるのだ。鳥籠も受け入れざるを得まい。東南公は心配性だな」と笑った。

 嫌な予感しかしなかったサレが、学者どのの顔を見ると、すっかりと青ざめていた。


 酒席は終わらず、民のためになることができると上機嫌の公が、サレに公女の近況をたずねてきたので、彼は居ずまいを正した。

「さいきんは、執政官[トオドジエ・コルネイア]の依頼で、都に新しく引く運河の設計に関わられています。毎日、飽きずに図面をながめておいでです」

 そうサレが答えると、笑みを絶やさぬまま、公が口を開いた。

「公女にはきんの件でも世話になった。おかげで、金の取れる量が増えた……。今度は土木か。私としては、米や麦の研究をしていただけると助かるのだがな。寒い土地でも実のよくなる穀物が育てられるようになれば、近北州の民が助かる」

 公の言に、「木綿の研究でも構わないぞ」と、グブリエラが口を挟んだ。それは、本当にそれを望んでいるのではなく、無言のままでいるのが公に対して失礼と考えたための合いの手として、サレの耳には響いた。

「さあ、どうでしょうか。公女は草や花には興味を持たれないお方ですし、気が向かないことは前の大公[ムゲリ・スラザーラ]さまのごさしにも従われませんでした。なかなかに……」

 グブリエラに対して言葉をにごすサレに対して、「わかっている。わかっている」と公が応じられた。

「しかし、公女というのは不思議なお方だ。まつりごとに関心がないのに、ときおり、七州をよい方向へお導きなされる。おまえたちの教育がまちがっていなければ、今頃、大公さまの後継者として、私や東南公を差配なされていたかもしれんな」

 めずらしく大笑する公に向けて、サレは目を伏せながら、「お戯れを」と口にした。

 専制者というのは、機嫌がよいときも厄介な存在であった(※2)。



※1 旧教徒は別の暦で生活しておりますので関係ありませんが

 新暦のこと。デウアルト太陰暦と同じく、ダイアネ・デウアルト一世によって制定された太陽暦。公文書は、新暦を用いて記録するならわしであった。


※2 専制者というのは、機嫌がよいときも厄介な存在であった

 サレは、ブランクーレの独裁に対して不安をおぼえた、最初期の人物であった。彼はそれを正そうとはせず、逆に加担した立場であり、その点をもって、後世から非難されている。しかしながら、それではサレに何ができたのかと言えば暗殺ぐらいであり、独裁者ブランクーレの誕生について、彼に責を負わせるのは酷のように考える。

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