再生(二)

 前の国主[ダイアネ・デウアルト五十五世]の葬儀については、その日取りでひと悶着があった。

 鳥籠[宮廷]内の反摂政[ジヴァ・デウアルト]派が、摂政の反対を押し切る形で(※1)、葬儀を盛冬二月九日と決めた。

 後の結果を見れば、摂政の判断は正しかったのだが、彼に止める力はなかった。

 この時期、摂政には、東州公[エレーニ・ゴレアーナ]からかなりの金が入っていたが(※2)、前の大公[ムゲリ・スラザーラ]につづき、前の国主まで亡くなってしまった影響は甚大で、反摂政派の動きを止められずにいた。

 ちなみに、東州公へ対抗するために、近北公[ハエルヌン・ブランクーレ]が反摂政派に金を渡していたとされているが、その額は微々たるものであった。

 その金は、反摂政派の無心に対して、すげなく断るのも体面上問題があると判断した、ウベラ・ガスムンの思わくで出されたものにすぎなかったという話を、サレは近北公から直接聞いた。

 近北公は、無能な味方はいらないとばかりに、反摂政派へ無関心でありつづけたが、それもまた、正しい判断であった。

 東州公が摂政を通じて、鳥籠の権威を利用しようとしていたのに対して、この頃から近北公は、鳥籠の存在と権威を否定こそしないが、その無力化を志向しはじめていた。


 反摂政派が二月九日にこだわった理由は、デウアルト太陰暦(※3)によると、その日に部分日食が起こる推算となっており、新教徒を取りまとめるデウアルト家の家長の手向けにふさわしい日取りである、というものであった。

 前の大公の死後、落ちるばかりの宮廷の権威を高めるために、反摂政派としては、無い知恵を絞って考え出した妙案、もしくは軽い気持ちから出た思いつきであったのだろうが、これほど裏目に出た話もなかった。


 しかし、鳥籠の中で安楽な生活が保障されているのに、なぜ、反摂政派はわざわざ、しゃしゃり出て来たのだろうか。

 泥水を啜らなければ生きていけなかったサレには、想像のつかない話であった。彼にとっては近づきなくもなかった権威権力も、貴族さまにしてみれば、遊具のひとつに過ぎなかったのかもしれない。



※1 摂政の反対を押し切る形で

 異説あり。事後の推移を予測したうえで、ジヴァが反摂政派の好きにさせたとするものだが、どうであろうか。その後、宮廷へ与えた影響を考えれば、可能性は低いと考えられる。


※2 東州公[エレーニ・ゴレアーナ]からかなりの金が入っていたが

 当時のサレは、ブランクーレの命により、ゴレアーナの動静を探っていた。そのため、彼が近北州へ移るまでの、本回顧録におけるゴレアーナに関する記述には、他の史料には見られない話が多い。


※3 デウアルト太陰暦

 ダイアネ・デウアルト一世が定めた暦。幾たびかの修正を経て使用されていたが、新暦九世紀には、日月食の推算に大きな狂いが生じていた。

 その点を宮廷の天文学者から聞かされていたはずだが、反摂政派は気に留めずに、五十五世の葬儀の日取りを決めてしまったと思われる。

 その判断は結果的に、国主の権威を損ね、また、ブランクーレの宮廷への介入を許すことになったが、そのような大事になると事前に予測するのは難しかっただろう。

 しかし、反摂政派の実力者の中に、ひとりでも天文学に精通している者がいれば、何かしらの理由をつけて、二月九日は避けたにちがいない。その点、彼らの行動全般にも言えることだが、間が悪いというか、運のない者たちであった。

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