執政官殺し(三)

「まるで私が立たせているようじゃないか。坐れ」

 そう近北公に言われたサレは、円卓の椅子に腰を下ろした。

 つづいて、サレの真正面に坐っている公が、ラシウ[・ホランク]の名を呼ぶと、彼女は慣れた手つきで、酒の用意をはじめた。

 「まあ、飲め」と公に促されたサレは、酒でも飲まなければやっていられない気分だったので、近北州のきつい酒を一気に飲み干した。その様を見て破顔する公は、実に憎々しい存在として、サレに映った。

 ラシウから酒のつまみに出されたのは、干し肉だけであった(※1)


「私から言いたいことはもうない。聞きたいことがあるなら、話せ」

 あれだけ他人をののしれば、言いたいことなどは確かにないだろうとサレは思ったが、そのようなことはおくびにも出さずに、確認しておかなければならない事柄を、公にたずねた。

「公の入京はいつ頃になるのでしょうか?」

 答えを考えているのか、それとも、ただ、飲みかけで杯を円卓に戻したくなかっただけなのかはわからなかったが、サレの問いに対して、公はしばらく沈黙をつづけた。

「……みな、お待ち申し上げておりますが?」

「それはちがうのではないか? 早く私に都へ入ってもらわないと、おまえの立場が危ういから、たずねているのだろう?」

 ようやく口を開いた公に対して、「それもありますが」とサレが答えると、また、奇妙な静寂が場を包んだ。

「……そもそも、私が入京する必要はあるのか?」

 公の思わぬ発言に、「無論です。それこそ、わたくしはたいへん困ります」とサレは即応した。

 それに対して、公は天井を向き、右手で顎髭あごひげを触りながら、また、黙り込んでしまった。

 公というのはふしぎな方で、どういう理屈かはわからぬが、周りの音を吸い取って、場を奇妙な沈黙に包ませ、他人を言い知れぬ不安に陥らせる力をもっていた。その不可思議な感覚をサレは、公に会ったことのない者に言葉で伝えるのだが、うまく行った試しがない。

「[南衛なんえい]かん。私はな、西南州の政治に深入りするつもりはないのだ。他州の政治に口を出せば、他州から近北州のそれに口を出されることになりかねんからな。……おまえもわかっているだろうが、私は、近北州とかかわりのないことについては、一切、興味がないのだ。西南州で何が行われようと、それが近北州に関係のないことならば、好きにやってくれればいいのだ」

 サレはラシウの注いだ二杯目の酒を飲み干してから、「承知しております」と答えた。

「そうか。……ところで、府監は西南人にしては、飲みっぷりがいい。私のもとで出世するには、酒が強くないと話にならないからな。いいことだ」

 機嫌よく言い終えると、公はラシウに、サレの杯を満たすようにうながした。


 公は、酒を飲ませるのが好きで、飲みが足りないと途端に不機嫌になる(※2)。

 上の話をウベラ・ガスムンから聞いていたサレは、酒の飲み方が気に入らないという理由で、こちらの聞きたいことを公にたずねる前に、席を立たれるわけにはいかなかった。そのため、この会談が終わった後で倒れることになっても、慣れない近北州の酒を飲み続ける覚悟を決めていた。


「私の能力では、近北州の民草を、飢え死にさせぬだけで精いっぱいなのだ……。それは他州の州馭使も同じように見えるがな。私は、私を受け入れてくれている、近北州の民草を養うことだけを考えていたいのだ。他州のことなどは、どうでもいい。そういう私の行動原理を読みまちがえるなよ、ノルセン・サレ」

 サレが「はい」と力強く答えると、公はひとつうなづいた。

「まあ、先ほどの、おまえの質問に答えるのならば……、だれだったか? 前の執政官で、いま、近西州にいる」

「トオドジエ・コルネイアどのです」

「そう。そのコルネイアを先に入京されようと思う。その後、私は都に入り、鳥籠[宮廷]に戦勝を報告したのち、最低限、必要な処置をすませて、早々に近北州へ戻るつもりだ。収穫期までには、兵を田畑へ帰してやりたい」

「なるほど。ところで、今の大公……、スザレ・マウロは、いかがなされるおつもりですか?」

「今のままさ。兵がなければ、もはや、無害な老人だからな。だが、彼の権威にはまだ利用価値がある……。私としては、西南州の権威権力を分散させて、互いの監視下に置き、身動きが取れないようにしたいのだ。そのために、その一角を担う者として、あの老人は必要だ」

「ということは、バージェ候[ガーグ・オンデルサン]も?」

「いろいろと気に食わない動きを見せたが、いちおう、不問にする。いまのところ、いちおう、な」

 公の返答に、酒のせいで脳の巡りがわるくなってきたのを自覚しつつ、「おとがめはなしということで」と、サレは念押しした。

「貯め込んでいたバージェの糧秣を吐き出して、近北州へ戻るまで、私の兵を飢えさせないでくれるというのだから、まあ、前のことは忘れてやるさ」

 微笑する公に対して、「なるほど……」とサレが応じると、「信じていないな」と言いながら、公はさらに、口端の位置を上げた。

 しばらくの間、慌てて弁解するサレの様子を公は楽しんでいたが、それが一段落すると、真顔に戻り、次のように抑揚なく言った。

「近西州の動きは良かったな」

 サレは何事かを感じつつも、素直に「はい、[ロアナルデ・]バアニどのは実にお見事な采配でした」

「そう。見事だった。見事すぎた。あれらも、考えようによっては危険な存在だとは思わないか? 西南州の平穏にとって」

「……そのための、バージェ候ですか?」

 「そうだ」と言いながら、公は、サレの杯が空になっているのを目ざとく見つけ、ラシウに酒を注ぐように手で指示を出した。

 このようなことをするために、近北公の元へいるのではないと言いたげに、口をすぼめながら、ラシウはサレの杯を満たした。

 公がサレを見据えているので、彼は飲まないわけにはいかなかったが、一口飲んで、思わず、ラシウの方を見た。

 その様子を見ていた公が、「どうした」と言うので、サレは、「いや、飲みなれてくると、近北州の酒もなかなかいけますな。西南州のものほどではありませんが」と、つくろった。

 少し酔いはじめていた公は、「そうか」とすなおに喜んだが、ラシウがサレに注いでくれたのは酒ではなく、水であった。

 サレはこの時はじめて、ラシウが妹弟子でよかったと思った。



※1 ラシウから酒のつまみに出されたのは、干し肉だけであった

 ブランクーレにとって、酒席とは、とにかく酒を飲む場であったので、どのような席でも、このようなものしか出て来なかったとのこと。

 ブランクーレの酒宴に出席したコルネイアが、その食事の貧しさと、近北州の酒のまずさに辟易した旨を、日記に残している。


※2 飲みが足りないと途端に不機嫌になる

 ブランクーレは、側近を集めて朝方まで宴会を催すのを好んだ。とくに、部下が酔態すいたいをさらす姿を見るのが好きで、いちばんの標的はクルロサ・ルイセであった。

 その参加者が酒席に出て来ないと、ブランクーレはひどく機嫌を損ねた。

 ただ、最側近であるウベラ・ガスムンは、仕事を理由に頻繁に欠席したが、不問とされていた。

 また、ルウラ・ハアルクンも、ブランクーレと話が合わないうえに、いくら飲んでも酔わなかったので、軍務で欠席しても問題にされなかった。というよりも、その不参加を聞くとブランクーレは喜んだ。

 なお、ブランクーレの飲酒については、近北州内でも問題になっていたが、諫言かんげんする者はひとりもいなかった。

 その理由としては、ガスムンがサレに宛てた書状の中に、次の一文がある。

「酒を飲んでいないと、西左(ザケ・ラミ)以外が敵に見えてくるらしいので、わたくしとしては、飲んでいてもらわないと困るのです」

 冗談として書かれたものだが、事実の一端がかい間見まみえる文章である。

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