雪、とけて(十一)

 今の大公[スザレ・マウロ]の攻撃は巧緻と緩急を極めたもので、サレがコステラ=デイラの中央に置いていた遊兵は、東西南北に揺さぶられた。

 攻める時間もよく計算されており、サレ側の緊張感の緩む頃合いを見計らって、昼も夜もなく攻め立ててきた。

 しかし、これにサレ側もよく応じ、青年[マウロ]派の兵を一歩たりとも、コステラ=デイラの中には入れていなかった。


 長期戦が予想されたが、サレは火縄[銃]の玉を惜しまず使わせた。明日のことを考えて、今日の命を失うわけにはいかなかったからだ。

 火薬が尽きたらどうするつもりだったのかと問われれば、緑衣党に公女[ハランシスク・スラザーラ]を守らせつつ、ラウザドへ逃げる予定であった。

 サレには、青年派がコステラ=デイラの中に侵入を果たしたのちまで、戦い抜く意思はなかった(※1)。


 いくさが膠着状態となり、このまま単純な持久戦が続くかと思われた八月二十日、サレのいちばんの急所を狙った奇策に、今の大公が打って出て来た。


 その日の深夜、鹿しゅうかんでサレが寝ていたところ、爆音で起こされた。

 最初は雷かと思ったがそうではなく、それがラウザドのオルベルタ[・ローレイル]から聞いていた大砲の音であることを、サレは悟った。

 大砲への対応を協議している最中に、タレセ・サレを通じて、公女の呼び出しがあった。サレの生涯で最も嫌な予感がした瞬間であった。


「一体全体、どういうことなのだ。何だ、あの音は。本が読めないではないか。どうしてくれるのだ」

 戦地であるコステラ=デイラで、相も変わらず、浮世離れした生活を送っていた公女が、慢性的な寝不足のサレにまくし立てた。

 サレが返答しようとすると、公女はそれを制して、タレセに作らせた耳栓(※2)を耳から抜くと、サレに話をうながした。

「不浄不快な音をお聞かせして申し訳ありません。どうやら、大砲と呼ばれるものの音のようです。被害については早急に調べて、対応いたします」

 説明を終えて、頭を下げたサレに対して、「そんなことはどうでもいい。いますぐ、この音を何とかしろ」と、大砲の音が聞こえてくる書斎の一面を、公女が指さした。

「承知いたしました。早急に対応いたしますので、きょうのところはご辛抱願います」


 サレが公女の私室を退室すると、ゼヨジ・ボエヌが待機していた。

「大砲の砲撃による被害はありません。音に慌てた忽者こつものが幾人か軽傷を負ったぐらいです」

「……砲撃による被害がないとはどういうことだ?」

 報告にサレが疑問を呈すと、ボエヌが仮説を述べはじめた。

「撃っているのは空砲のようです。おそらく、今の大公の狙いは、防壁の破壊ではなく、公女様のお耳でありましょう」

 サレは数瞬思案したのち、「やられたな」と、独り言のようにつぶやいた。

「前にローレイルどのから聞いた話では、異国から持ち込まれてくる大砲は壊れやすく、直せる者も七州にはほとんどおりませんので、実戦には向かないと聞いておりましたが、こういう使い方をしてくるとは……」

「その場に私もいたよ。大砲を緑衣党に導入しようとしたが、オルベルタの話を聞いて取りやめたのだ。……しかし、弾を込めずに、轟音を鳴り響かせるためだけに使って来るとはな。空砲を撃つだけならば、長持ちするものなのか?」

「さあ? しかし、さすがは大公さまと言ったところですかな」

と他人事のようにボエヌが感想を述べたが、それをたしなめる気力すら、サレにはなかった。

「大砲が今の大公のもとにあるということは、ラウザドが青年たちについたということかな?」

 そうサレに問われると、ボエヌは首を横に振った。

「ローレイルは良識[トオドジエ・コルネイア]派に近づきすぎました。いまさら、鞍替えはできないでしょう」

「あちらもこちらの心配をしているだろうが、オルベルタは生きているのだろうか?」

 サレの中で、疑心と悲観が入り混じり、考えれば考えるほど、わるい想像ばかりが浮かんだ。

 主のそのような様子を見て、ボエヌはサレを励ました。

「現状から推測しますに、おそらく、お館さま[サレ]の後押しがなくなり、ラウザド内の反ローレイル派が息を吹き返した。……いや、あのお方が後ろから手を回したのではないでしょうか?」

「あの方? だれのことを言っている。私はいま、頭が回らぬのだ。はっきり言ってくれ」

「……東州公[エレーニ・ゴレアーナ]ですよ」

「……なるほどな。おまえの話だと、大砲がコステラ=デイラの前に並んだ経緯に、合点がいく(※3)」

「我々の考えまちがいで、日が明けてから実弾が撃ち込まれて、早々に大砲が壊れてくれると助かるのですが」

 ボエヌの願望を打ち消すように、サレはひとつ背伸びをしてから、「そうはならんだろうな」とおおきなあくびをした。

「公女さまには何とお答えになられたので?」

 公女とのやり取りを確認して来たボエヌに対して、サレは右手を振り、「聞くな、聞くな」と言いながら、歩きはじめた。

 さらに、「どこへ?」と問うボエヌに対して、「どうにもならん時には寝るに限るよ。眠れるならな」と、サレは鹿集館に置かれていた自室へ戻った。



※1 戦い抜く意思はなかった

 市街戦に巻き込まれる、みやこびとの被害を考えていたわけではないことに留意。


※2 タレセに作らせた耳栓

 あべまきの樹皮で出来ていた。その作り方と効果について、ハランシスクは文章を残している。


※3 大砲がコステラ=デイラの前で並んでいるのも合点がいく

 ボエヌの一連の推測は正鵠を射ていた。

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