雪、とけて(十二)
異国製の大砲五門は、コステラ=デイラ外から、
一門ずつ発射される空砲により、間断なく轟音が、公女[ハランシスク・スラザーラ]に浴びせられつづけた(※1)。
この見事の一言に尽きる、公女の習性を考慮した策は、彼女の肉体を傷つけることなく、良識[トオドジエ・コルネイア]派を追い詰めた。
とくにサレの精神上の大きな負担となり、彼を軽い神経症にまで追い込んだ。
サレに出来ることと言えば、公女の身柄を鹿集館から移すことぐらいであったが、それは彼女の身の安全上、できない話であった。
すでにサレは、コステラ=デイラの放棄を念頭に置いていたが、その際に、公女の身に何かあり、家名が傷つけられることを恐れた。
そのために公女には、青年[スザレ・マウロ]派がコステラ=デイラ内になだれ込んだときに、鹿集館へ居てもらわなければならなかった。
よその場所に身柄を隠しておいて、別人とまちがえられて殺されるようなことは、万が一にもあってはならないことだったからだ。
サレが公女に対して、スラザーラ家に代々伝わる紅玉の首飾りを、常に身につけておくように指示を出していたのも、このためであった(※2)。
コステラ=デイラに四つある大門をめぐる、良識派と青年派の攻防が激しさを増す中で、そのようなことは関係ないとばかりに、昼夜を問わず、公女はサレを鹿集館へ呼びつけた。
サレにはどうしようもないことに対して、日に日に機嫌が悪くなっていくばかりの公女の叱責は激しくなるばかりであった。異国の言葉にも精通していた彼女による罵詈雑言は、語彙が豊富で、辞書が一冊できるほどだった。
その中で、公女がしばしば口にしたのは、従姉の東州公[エレーニ・ゴレアーナ]のことであった。
「お従姉さまは私をいじめて楽しいのだろうか?」と公女に問われるたびに、サレは、「公にそのようなおつもりはなかったと思われますが(※3)」と答えた。
このように、崖っぷちへ立たされていたサレを、さらに追い詰める策略を、今の大公が披露したのは、晩夏九月一日のことだった。
※1 公女[ハランシスク・スラザーラ]に浴びせられつづけた
マウロの指示は徹底しており、いくさ中、実弾は一発も撃たれなかったもよう。
※2 このためであった
コステラ=デイラの籠城戦がはじまると、サレはモウリシア・カストに対して、常に紅玉の首飾りをハランシクにつけさせ、鹿集館から動かさないことを約束する血判状を送っている。籠城側が敗れた際の、ハランシスクの確実な保護を求めたものであった。
これに対してカストは、万全を期す旨の返書を与えている。
なお、このやりとりが、ゆいいつ、サレとカストの間で、書状の交換がなされた事例となった。
※3 公にそのようなおつもりはなかったと思われますが
空砲を撃ち続けることで、ハランシクおよびサレを精神的に追いつめる策を考えついたのは、マウロおよびその配下ではなく、マウロに大砲を売り渡したゴレアーナであったとする史家もいる。
ハランシクの身の安全を確保したうえで、早期にいくさを終わらせたかったマウロが、ゴレアーナの策に乗った、というものである。
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