第22話「Broken Texture」

 それはあまりにも、無残で無慈悲だった。

 僕は、自分の脳が初めて現実を否定する気分を味わった。マシーンだったらありえない、ある種のバグのような感情が電流となって全身を走る。

 カインは、機銃掃射によって切り裂かれた。

 死で縫い上げられた彼から、鮮血が吹き出る。


「カインッ! 待ってたまえ、今行く!」


 僕はタブレットを投げ捨て、すぐに"ケルベロス"から飛び降りた。

 そんなことをすれば、次は自分が餌食えじきになる。

 そういう思考が行動のあとを追いかけてきた。

 だが、その時にはもう……僕はずたぼろになったカインを抱き上げていた。

 今、僕を突き動かしているのはなんだ?

 どうして肉体が、頭脳から発するシグナルに先回りしている?

 しかも、論理的に考える脳からの命令に、先走って逆らっている!


「カイン、しっかりしろ! 普通なら即死だ、でもお前は!」

「う、ああ……ナナオ? 俺、どうして」

「バカ、それは僕の台詞せりふだ。お前はどうして無茶を」

「父、さん、は……俺に、みんなに……なにを」

「それを今、調べてるところじゃないか! なのに、お前は」


 妙だ。

 息も絶え絶えという感じだが、明らかにおかしい。

 カインは胴体に複数の銃弾を浴びて、大量に出血している。

 ――出血?

 いや、違う。

 この周囲に満ちた液体は、真っ赤に広がっているが、違った。

 血液にしか見えないのは、そういうのを人間が好むからだ。


「カイン、お前は……なんてことだ。どうして? 何故なぜだ」

「ナナオ……? なにが……」


 不思議と"ケルベロス"は襲ってこなかった。

 なにが起こったのか、僕にも見当がつかない。

 ただ、視界の隅でルカがタブレットを拾うのが見えた。

 彼女はこっちに歩み寄ると、"ケルベロス"を警戒しつつ呟いた。


「やはり、ロボット……

「やはり、とは……ルカ、お前は知っていたのか!?」

「普通なら即死よ? でも、彼は生きてる。まだ、機能している」

「それは! そう、だが」


 僕の胸の中で、カインは確かに意識を保っていた。

 そして、疑念が確信に変わる。

 先程、彼はありえない勇気で自ら銃弾の前におどり出た。

 カインは僕が落としたタブレットを拾ってくれた。

 そのあとの行動は、人間には不可能なものに思えた。

 そのことをはっきりと、ルカは告げてくる。


「暴れる戦車の上にいる女の子に、不安定な体勢から全力でタブレットを投げて届ける。普通の人間に、それも、ただの高校生にできると思う?」

「……難しいとは、思う。けど」

「ナナオちゃん、あとは大人に任せて。さ、カイン君。君は……どこまで知ってるの?」


 ルカは油断なくタブレットへと指を走らせる。

 停止していた"ケルベロス"のハッチが開いた。

 これでもう、半ばほとんど無力化されたに等しい。

 そして、恐るべき多脚戦車が停止したことにも考えが及ぶ。僕は、恐ろしい可能性を考えてしまった。今、"ケルベロス"は与えられた命令を実行完了したから、止まったのだ。

 そう、この兵器はもしかしたら……カインを殺すためにここに眠っていたのかもしれない。

 だが、僕の口をついて出るのは、カインの生命に対しての呼びかけだった。


「カイン、お前は! ……知らなかったんだな? 自分がアンドロイドに入れ替わってることも」

「う、あ……俺が? アンド、ドイド……どう、して。父さんは、俺に、なにを」

「それも調べてやる! ヨシュアがどうしてこんなことをしたか、お前に謝らせてやる!」

「なん、だか……とても、暗い。寒いんだ……」

「しっかりしろ、カイン!」


 僕は初めて、全身で命の重みを感じた。

 ネフェリムとして数多あまたの人間を虐殺してきた、その瞬間はあっという間だった。

 それなのに、たった一つの命が消えゆく時間は、永遠にも感じられた。

 命ですらない、カインの人格と記憶をコピーしたアンドロイド、それが彼だった。

 そして、その理由と意味が暗闇の中から姿を現す。

 消えゆく声音が突然、背後から僕を襲った。


「やあ、ルカ……久しぶりじゃないか。それと、ナナちゃんかい? いやあ、大きくなったなあ。……おかしいな、ナナちゃんは今は記憶と人格を預かってるはずだが」


 振り返ると、そこにはカインが立っていた。

 火花と共に点滅する壊れたライトの下で、カインが薄い笑みを浮かべていた。

 そして、声こそ若々しいが、妙に老獪ろうかいな響きが伝わってくる。

 僕は迷わず、考えうる中でもっとも可能性の高い名を発した。


「……ヨシュア、だな。何故だ……どうして、お前がカインの中にいるっ!」

「おや? 妙だ。君、誰だい? 君こそ、何処の誰で、どうしてナナちゃんの中に」

「質問に質問を返すんじゃないっ! 僕は今、怒ってるんだ!」


 そう、間違いなかった。

 なにかの間違いであってほしかったが、疑う余地が見い出せない。

 激情に全身が熱いのに、僕の脳は急激に冷静さを取り戻していった。

 カインだと思っていた人物は、実はアンドロイドだった。では、本物のカインは? その肉体は、どこへ? その答えはもう、目の前にあった。

 そして、そこにはすでに死んだ筈の男、実の父親が入っているのではないだろうか。その証拠に、奴はルカを知っていたし、僕のこの肉体についても事情を熟知していた。

 やれやれと肩をすくめて、生身の方のカインがわざわざ丁寧に説明を始めた。


「やっぱりなあ。アンドロイド一体の電子頭脳に再現できる人間としての行動パターンには、限界がある。圧倒的に容量が足りないんだ」

「なにを、言っているんだ」

「人間同士なら、同じ脳味噌のうみその容量を持ってるから問題ないがね」

「だから、なにを言ってると聞いている! くっ、お前はあ!」


 既にもう、僕が抱き上げるカインは一言も発しなかった。

 その目にはもう、光はない。

 そして、血液に似せた体内の潤滑液じゅんかつえきの奥から、マシーンとしての構造が見え隠れしていた。やはり、本当に彼は自分を人間だと思い込まされたロボットだったのだ。

 そのアンサーに辿り着く一方で、僕の怒りは沸点を超えて荒れ狂う。

 親が子にしていい仕打ちじゃない。

 そういう論理すらもう、僕のいきどおりの埒外らちがいだった。

 ルカは拳銃を抜くなり、目元険しくカインを……カインの身体に収まったヨシュアを睨む。


「ヨシュア先輩、お久しぶりです。一緒に来てもらえますね?」

「いやあ、参ったなあ。かわいい後輩にそう言われると断れないよ。でも」

「でも、じゃないです! 先輩のせいで、沢山の人が……カイン君だって!」

「ジェザドは一緒じゃないのかい?」

「すぐに来ます! でもっ、その前に……デミウルゴスは軍が回収させてもらいます!」

「そりゃ困るよ。あれは、僕たちの……いや、僕の夢の結晶だ。あんなことになってしまっても、僕には大切な希望なんだ」


 すっ、とヨシュアは片手を上げた。

 呼応するように、身震いして"ケルベロス"が再起動する。

 その砲口が、俯角ふかくを取って僕たちに向いた。

 戦車同士でドンパチするための、大口径のレールガンだ。この距離で撃たれたら、僕たちは死体も残らず消し飛んでしまう。なるほど、証拠隠滅としては雑に上手いやりかただ。

 けど、その可能性は実現しなかった。

 こんな時でも、どこまでも呑気のんきでとぼけた声色が響く。


「よぉ、ヨシュア。ちょっと見ない間に変わったなあ? なんだね、きみ……そういう趣味があったのかい?」


 ジェザドの声だ。

 だが、姿は見えない。

 "ケルベロス"だけが、砲塔のセンサーを明滅させながら周囲に気を配る。機銃がモーター音と共に四方を向くが、ジェザドの姿はとらえられなかった。

 しかし、向こうからは全員が見えているらしい。


「ヨシュア、君は……人の道は踏み外しても、親の道はと思っていたヨ」

「はは、照れるな。こういうことをやってるんだ、むしろ光栄だね」

「……端的に聞くけど、デミウルゴスは……ナナの記憶はどこだい?」

「ここさ。この先にある。けど、渡せないね。まだ、やり直しがきくんだ……僕はねえ、ジェザド!」


 その時だった。

 天井のパネルが落下して、その中からジェザドが現れた。

 ひとつ上のフロアから床下に入って、整備坑かなにかを使ったのだろう。

 そして、その手には巨大な武器が握られていた。

 それを見た瞬間、僕はさらなる謎を叩きつけられる。

 謎というよりは、物的証拠そのものだった。


「ジェザド、それは!」

「ナナオちゃん、ルカちゃんを守ってねぇん? さて……やりすぎだよ、お前、さ。ったく、どうしちまったんだか!」


 ジェザドは、自分の身長程もある巨大なランチャーを両手で構えた。

 歩兵が携行するバズーカ砲にしても、デカい。

 それは、加速器からビームを打ち出す武器だ。

 ネフェリムだって倒せる、条約違反モノの重粒子砲フォトン・カノンなのだった。

 あっという間に光が"ケルベロス"を貫く。

 同時に、ヨシュアは忌々いまいましげに顔を歪めて走り出した。

 逃げ出す彼の顔は、確かにもう少年のものではなかった。


「くっ、デミウルゴスは渡さない! ジェザド、娘の記憶が欲しいなら協力しろ!」

「やだねえ、やだやだ。御免ごめんこうむるヨ」

「少しは考えたらどうだ! 返事は急いでいない!」

「考える程のことかねえ。悪いけどさあ、ヨシュア。私たちは間違った、あやまちを犯したんだよ。過ちから生まれたものは、誰も幸福にすることはできないのさ」

「科学者の言葉とは思えんセリフだ! まったく、お前という奴は!」


 闇の奥へとヨシュアが遠ざかる。

 同時に、地響きが僕たちを包み込んだ。

 だけど、僕は……酷く疲れた表情で立ち上がるジェザドから、目が離せずにいた。

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