第16話「ESCORT TIME」

 僕は猛然と走った。

 その前に、学生たちの人混みが待ち受ける。

 誰もが皆、普段と変わらぬランチタイムに浮かれていた。

 ただ一人、カインを除いた全員がだ。


「なっ……やめてください! 誰ですか、あなたたち!」


 軍人二人組みを振り払って、カインもまた走り始めた。

 いいぞ、上手く逃げてくれ給え。

 同じに僕は、さらなる加速を肉体に命じる。

 最近、この人間の身体……ナナの使い方に慣れてきたところだ。僕は居並ぶ生徒たちの間を縫うように走る。スピードは決して緩めず、駆け抜ける。

 全く苦にならない。

 周囲の人の流れが、手に取るようにわかった。


「人間の脳なら、こうはいかないだろうね。さて……兵隊諸君、任務御苦労だ!」


 そのまま僕は、跳躍と同時に飛び膝蹴りをお見舞いする。

 手加減というか、ネフェリムのような殺人的なパワーは出せない。

 今は、まだね。

 それでも、完全な不意打ちだったので効果は抜群だ。ゴツい男の片方が「ぐっ!?」と悲鳴をくぐもらせて、そして崩れ落ちる。

 その時にはもう、僕はカインを追って走っていた。

 ようやく周囲で、悲鳴が上がる。


「騒がせたね、学生諸君! ああくそっ、いい匂いだな。このお肉はどんな料理だろうか」


 無数の出店や露店から漂う、料理の匂いが後ろ髪を引いた。

 けど、今はそれどころじゃない。

 消えてしまったデミウルゴスへの手がかりを、軍から守らなければならない。

 トップスピードに乗った僕は、あっという間にカインの横に並ぶ。


「やあ、はじめましてだね。カイン・レスベル、君を拘束……いや、保護するよ?」

「きっ、君は誰!? 女の子だって? ど、どうして」

「理由や意味は知らなくていい。ただ、死にたくはないだろう?」


 耳元をなにかが掠めた。

 銃弾だ。

 ちらりと背後を振り返れば、拳銃を手に憲兵が追いかけてくる。

 こんな町中、それも子供たちが密集した中で銃を?

 なりふり構っていられないようだね。


「ちょっとごめんよ、カイン君」

「えっ、な、なにっ!?」

「君の脚は遅過ぎる。なに、気にすることはないよ? 僕は普通の14歳じゃないからね」


 すぐ横を走るカインを、身をぶつけるようにして抱き上げる。

 これはそう、いわゆる『お米様だっこ』だ。米俵っていうのは確か、東洋の日本で大昔に考えられた米の保存方法である。そうそう、こうして両手で……あれ? ああ、間違った。これは『お姫様だっこ』だった。

 さあ、カイン姫……とりあえずは生きてもらうからね!


「飛ぶぞ、カイン君」

「えっ? な、なにを……っていうか、恥ずかしいんですけど!?」

「喋ると舌を噛むよ、そおれ!」


 僕は翔んだ。

 なにを馬鹿なと思うかい?

 けど、ゆうゆうと僕はカインを抱えたまま、海沿いの家々を超えてジャンプを繰り返す。勿論、これが普段の筋トレの成果だ。

 と、言いたいところだけど……真実は違う。

 種明かしはとりあえず、今は保留だ。


「す、凄い……空を飛んでる」

「違うぞ、カイン君。正確には今、自由落下している。僕たちは鳥じゃないから、飛べはしないさ」

「……そうか。翼を持つ者には腕がない、って言うものね」

「なんだいそれは?」

「い、いや、なんでもないよ。それより」

「うん、続きはあとで聞く。降りるぞっ!」


 眼下に小さな小屋が見えた。割と大きな屋敷の庭で、納屋かなにかだろう。

 その屋根に僕は、しゅたっ! と華麗に降り立った。

 少し、両膝が熱い。

 やはり、常に全力全開というのは無理なんだとわかった。

 僕はそこでようやく、カインを降ろしてやる。


「やあ、怪我はないね? なに、礼はいいさ、どういたしまして」

「え? いや、どういたしましてって」

「ありがとうには、どういたしまして、だ。違うかい?」

「だって今、礼はいいって……ま、まあ、ありがとう?」

「むむ、どうして疑問形なのだ」


 改めて間近で、カインを見上げる。

 背は高くて、顔立ちも端正だ。目鼻立ちが整ってて、いわゆる美形だろう。金髪を短く切りそろえてて、清潔感もある。これが小太りなヨシュアの息子だって? うーん、遺伝子って気まぐれなのだな。もしくは、母親の遺伝子の勝利だ。


「落ち着いて聞いてほしい、カイン君。君は狙われている」

「さっき、軍人さんが突然」

「そうだ。だから僕たちにおとなしく捕まってほしい」

「……え、それって」

「早速、質問だ。お前はデミウルゴスの所在を知ってるな? YESかNOで答えろ」


 カインは、真っ青になって立ち尽くした。

 よし、もう一押しだ。

 尋問して駄目なら、拷問という手もある。

 そう思った瞬間……不意に足元の感覚が消失する。

 バリバリと突然、小屋の屋根が割れて真下へ僕たちは落下した。

 咄嗟にカインを庇って、僕はその下敷きになる。


「イチチ……重い、どいてくれカイン君」

「ご、ごめん! また、守られた?」

「気にしないでくれ給え。任務みたいなものだから」


 下は、やっぱり物置小屋だった。

 僕たちは、積み上げられた藁束の上に落下した。

 そのおかげで、致命的なダメージはないみたいだけど。でも、なんだ? カインの体温が急激に高まっている。発熱を確認、これは異常事態か?


「とっ、ととと、とりあえず、うん! 離れたよ、離れた! なにもしてない!」

「わかっている。僕にも致命的なダメージはない」

「……えと、あのさ。君、味方? 助けてくれたけど」

「僕が敵か味方かは、お前の出方次第だ」

「そ、そう。それと……君って、アンドロイド?」


 まあ、そう思われても当然だな。

 普通の14歳の少女には、同世代の少年を抱えてのあの動きは無理だ。僕はでも、二階建ての家屋を何度も飛び越え、軍の追手を巻いたのだ。


「安心しろ、この肉体は間違いなく普通の人間だ。中身はスペシャルだがな」

「いや、だって……さっきのジャンプ」

「脳が人間ではないからこそ、できた。人間は常に肉体の全力を出さずに暮らしている。ようするにリミッターが掛かった状態で生きているのさ」


 そう、極めて初歩的なことだ。

 人間の脳では、肉体が持つ全ての力を任意に使うことはできない。稀に命の危機を感じた時等、特別な場合に限ってフルパワーが出せるが、それは火事場の馬鹿力というものだ。

 僕の脳なら、この肉体を完全に使いこなすことができる。

 一瞬だが、限界まで使いこなすことができるのだ。

 今はその反動で、ちょっと身体の節々が痛いけどね。

 まったく、人間は難儀な身体を持って生きてるものだ。


「とにかく、ここを出るぞ。ジェザドに合流する」

「ジェザド……ジェザドおじさん? え、待って! 君は」

「僕の名は、ナナオ。この肉体、ナナの管理人さんだ」


 僕はカインが立つのを待って、出口に向かう。

 小屋の戸を開けた瞬間、僕は息を飲んだ。

 衝撃が身を襲って、あっという間に吹き飛ばされる。何度も地面にバウンドして止まった時、ようやく僕は攻撃を受けたと知った。

 人間の肉体は、あまりにも防御力が弱い。

 そして、今の一撃は回避不能なものだった。

 見えてはいたけど、今の疲れた肉体が反応してくれなかった。


「ぐっ、く……完全に巻いたと思ったけど」


 軍服姿の男が、今しがた奮った拳を引っ込めた。

 女の子を殴るなんて酷いや、でも僕も人のことはいえない。

 今までずっと、女子供の別なく、無差別に虐殺してきた過去がある。

 そして、無表情でカインに近付く男は、先程飛び膝蹴りを食らわした憲兵だ。それなりに力を込めた一撃だったので、あれで昏倒しないなんて信じられない。

 けど、すぐに僕は男の正体を見破った。


「そうか、アンドロイド兵だな……条約締結前の型か」


 そう、男はアンドロイドの兵士だった。

 その存在は、数年前に締結された条約によって否定されている。アンドロイドは既に人類社会の中で市民権を得ており、人間と同じく従軍していた。だが、アンドロイドは全てにおいて人間に勝る。特に、戦闘に関しては比べようもなかった。

 そういう訳で、アンドロイドの戦闘目的での従軍が制限されたのだ。

 だが、その条約以前に従軍したアンドロイドは、そのまま組織に残されたのである。


「カイン、逃げ給え! ここは僕が!」


 叫んだけど、無駄だった。

 アンドロイドの兵士は、黙ってカインへと近付いてゆく。

 迂闊だった……アンドロイドとわかっていれば、膝蹴りを叩き込んだ時点でわかった筈だ。インパクトの瞬間、肌で触れた感触で知れた筈……そこでもう一撃叩き込めば、こんなことにはならなかった。

 けど、今の僕は必死で立ち上がることしかできなかったんだ。

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