Act.02 鳥よ、鳥よ!

第7話「娘の記憶を求めて」

 僕の旅が始まった。

 あいも変わらず、状況がよくわからないままだ。

 ジェザドが用意した車両は、どうやらメルセデスの特殊仕様らしい。カーゴ部分は居住スペースになっており、運転席と助手席の間に扉がある。僕はそっちのベッドで寝てるけど、ジェザドはソファだったり運転席だったりと落ち着かない。

 それでも僕たちは、順調に追手から逃げ続けた。


「ふああ、ふう……おはよう、ジェザド」


 僕が起きると、もう車は走っていた。

 一路北へ……バイパスに車の影はまばらで、朝日も遠く弱々しい。

 それでも、今日も一日快晴らしい。

 作戦行動時の天候は晴れに限る。

 僕は以前は精密機械のかたまりだったから、とかく雨や雪が嫌だった。嫌なだけで苦手じゃない、ネフェリムは全領域対応のスペシャルな兵器だけどね。

 でも、それも今は昔の話だ。


「おはよう、ナナオちゃん。どぉ? 眠れた?」

「……八時間睡眠を消化したが、眠い。せない話だ」

「そりゃ、なんでまた」

「機械だった身としては、満タンに充電した直後でもパフォーマンスが鈍いというのは解せない」

「寝れば寝るほど、起き抜けは眠いよん? それが人間、それもまた人類だヨ」


 ジェザドは煙草たばこをくゆらしながら、笑ってハンドルを握る。

 その格好は、ジーンズに革ジャンという胡散臭いものだった。白衣は目立つからと着替えたのだが、どう見ても怪しさが三割増しという風体だ。

 似合ってると思ってるのがまた、痛々しい。

 そう、『痛い』という感覚は時として、物理的な電気信号がなくても発生する。

 いい歳したオッサンが、背伸びして若作りした印象にも適応される感情なのだ。


「ナナオちゃん、起き抜けついでにコーヒーでもどう?」

「ああ、カフェインの錠剤か。すぐ用意しよう」

「……あの、できればカフェオレでお願いしたいんだけどお?」

「僕を朝からお茶くみに使うのか? まあ、いいけど」


 僕はのそのそとキャビンに戻る。

 基本的にワンルームで、バスルームとトイレ、キッチンは別。そのどれもが後付で、本来はがらんとしたコンテナだったのだろう。

 僕はテレビをつけてから、ポットでお湯を沸かし始める。

 早速ニュースキャスターが、今日の世界を僕へと伝達してきた。


『さて、またしてもテロのニュースです。今朝早く、マキシア・インダストリーの本社ビルが何者かによって爆破され――』


 マキシア・インダストリーというのは、地球でも有数の軍産複合体だ。この間の世界大戦では、さぞ儲けたことだろう。ボロ儲けだ。なにせ、数多の新商品を片っ端から僕たちが破壊してやったからだ。

 軍需産業が一番儲かるのは、定期的に消耗品を納品することだ。

 そのためには、古い消耗品から失われていかなければいけない。

 世界中の企業は、戦争という大規模消費でかなり利益をあげたはずだけど……その分、恨みも買ってるんじゃないかな?

 ま、僕には関係ない。

 コーヒーの粉をマグカップにドサドサ入れて、熱湯を注いで戻る。


「できたぞ、ジェザド」

「おおう、ありがとう。いいねえ、愛娘まなむすめ……の身体が淹れてくれたモーニングコーシー!」

「気持ち悪い、よしたまえよ。僕はお前の娘はやらないと言った筈だ」

「はいはい、まったくもぉ……ブッ! ゲファア! ちょ、ちょっと、ナナオちゃん!?」


 ジェザドは不意に咳き込んだ。

 派手にむせたらしく、ハンドリングが怪しくなる。


「なにこれ、どゆこと!?」

「コーヒーだ」

「うん、だから、その」

「粉末を入れて湯を注ぐ。完璧だ」

「インスタントなら合格点だね。でもこれ、豆だから。

「と、いうと」

「布とかでさないと駄目なの! 豆自体は飲まないのよ……トホホ」


 どうやら僕は失敗したらしい。

 けど、ジェザドはやっぱりニコニコと笑う。

 こういう場合の正しい感情表現は『怒り』だが。


「もう少し進んだら、少し休憩しよう。私がお手本を見せてあげるから」

「それは助かる」

「コーヒーと、簡単にサンドイッチかなにかで朝食だね。もうすぐ次の街につくし」

「で、その……大学の友人とやらはどんな人物なんだ?」


 僕はしぶしぶ、コーヒーの豆汁を受け取り処分することにした。朝から生ゴミを作ってしまったことになる。残念だ。

 だが、この芳醇ほうじゅんな香りは悪くない。

 カフェインはよく、随伴する歩兵が頻繁に摂取していたのを思い出すが……血走る目の兵士たちとは全くかけ離れた、こうばしくて美味しそうな匂いだった。

 惜しいと思いつつも、僕も一口飲んでみる。


「ぇう……不味まずい。不快な信号を味覚でキャッチした。これは、駄目だな」


 手早く処理して戻ると、助手席に収まりシートベルトを装着する。

 その頃にはもう、これから向かう街が見え始めていた。


「古い古い友人さ。戦前からのね。ナナオちゃんがそうして上手くやれてるのも、彼の研究があったからなんだよん?」

「と、いうと」

「彼の専門は遺伝子工学だけどネ。電気信号の配列を操作して、そのパターンの組み合わせで意図的に感情や反射行動を発生させる研究をしていたんだ」

「ああ、なるほど。それで僕は不慣れな人間の身体でも適応しやすかったのか」

「そゆこと。ネフェリムだった時に躯体くたいを動かしていた思考や判断、動作に直結していた電気信号を全部コンバートしてね、人間の神経に走らせてるって訳」


 極論を言えば、人間のあらゆる全ては電気信号の羅列だ。

 反射神経や反応速度もそうだし、感情の喜怒哀楽きどあいらくも同様である。ただし、その電気信号の解析は長らく未知の分野だった。どのような波長のもので、どういった周波数なのか。

 ことによると、量子コンピューターが必要ではと思われてきたのだ。

 ジェザドの友人は、その神秘をある程度解き明かしたことになる。

 それがどうやら、ジェザドには少し誇らしいようだ。

 鼻の下を指でこすりつつ笑う彼が、酷く幼く見えた。


「今では、彼の作ったフォーマットはあらゆる分野に活かされている。義手義足からサイボーグの躯体、重機や航空機の操縦技術なんかにね」

「わかった。だが、それとナナの記憶とどういう関係が?」

「……彼なら知っているかもしれないんだなあ、これが。いや、


 あきれた話だが、どうやらナナの記憶を保存した媒体は行方不明らしい。

 僕は非難の意思を最大限に込めた視線でジェザドを串刺しにしてやった。そんな曖昧あいまいな話とは知らなかったし、長引けば僕はこの不自由な身体で暮らし続けなければいけない。

 酷く不満だったし、同じくらい不安になった。

 そんな僕をよそ見運転で見下ろし、ジェザドは頭を撫でてきた。


「私はずっと、ナナのことを見ていなかった。父親失格なんだよねえ」

「それは知ってるし、もう聞いた話だ」

「人間の持つ人格と記憶をデータ化すると、どれくらいの容量になると思う? 14歳の女の子の全てをだよ、全部だ」

「……とても、沢山? 凄く、大きい、感じか」

「そう、その通り」


 僕は漠然ばくぜんとだが、気付いていた。

 このナナの肉体にインストールされてから、普段との違いにとても戸惑とまどった。

 具体的になにが違うかというと、人間の肉体はあまりにも多様で雑多な機能が多い。もともとがネフェリムという、破壊と殺人のみに限定された用途のロボットだった僕だ。人間というのは、ただ息をして鼓動を繰り返してるだけで、やることが多過ぎるのだ。

 もっと正確な言葉を使えば、やってることが多岐にわたる。

 触れる全てが、周囲の全部が情報として入力され、自然にリアクションが出力されているのだ。そして僕は、まだ出力すべき物もその方法も不慣れで、だから不安なのだ。


「ナナの持つ全てを保存するうつわは、限られているのヨ。だから」

「非常に厳しい条件のデバイスを使ったのだな?」

「そう。一般に流通しているものでは駄目だったねえ。でもほら、私は軍ともかなり関係が深かったから……そこはあまり苦労しなかった。ただ」

「ただ?」

「誤算が二つ生じた」


 ジェザドの誤算、一つは戦争の集結だ。

 僕だって、予想すらしてなかった。こんなにもあっけなく、簡単に戦争をやめてしまうなんて。つくづく人間というものがわからない。なんで停戦も終戦も手際よくできるのに、今までやらなかったのか。

 そして、終わらせるのが簡単なら、そもそも始めないという選択肢はなかったのか。


「そしてもう一つ……その終戦のドサクサで、ナナを保存したデバイスが行方不明になったんだ」

「フン、わかったぞ。デバイスを探す間、ナナの肉体からジェザドは離れて活動することになる。しかし、ナナの肉体自体が優秀かつ聡明そうめいなアシスタントとしてついてくるなら、一石二鳥だと考えたのだな」

「優秀かつ聡明ねえ……自分で言っちゃうかな、ナナオちゃん」

「自分を正確に評価できないのも人間の弱点だな」

「美点ってゆーのよ、謙遜とか遠慮とかさあ」


 そうこうしていると、車は市街地へと入ってゆく。

 どうやら朝という時間帯は、人間たちの行動が活発になるらしい。

 通勤中の大人や、学校へ向かう子供が沢山歩いていた。

 皆、無防備で時間を気にしている。

 あっという間に、平和の中で日常を取り戻したようだった。


「平凡だな……だが、平和な光景というのは酷く心地よい。なんだろう、モッとする」

「ホッとする、ね」

「そう、それだ」


 ふと見れば、鳥が飛んでいた。

 渡り鳥だろうか、くちばしの赤い、モノクロのツートンカラーだ。シュっとしてる? そう、シュっとしてる感じな雰囲気の鳥である。

 その鳥は僕たちのメルセデスを一瞥して、雲ひとつない青空に飛び去っていったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る