三章 慨世 4

 葦澤友星あしざわゆうせい

 過去


 子供の頃から、友星ゆうせいは兄と仲が良かった。

 二人兄弟の弟として育てられたが、両親は兄弟だからと何かをどちらかに贔屓ひいきすることはせず、あくまで平等に扱って育てた。

 そのおかげか、友星は兄を妬むことなどせず、それは互いにそうだったようで、どちらも相手を尊重する人格が子供の頃から形成されていた。

 だから友星には聡臣さとおみが自慢の兄だったし、聡臣には友星が自慢の弟だった。父と母との関係も良好で、友星が育った家庭は世間一般で言う「仲の良い幸せな家庭」だった。何不自由なく暮らせて、不満も何一つ存在しない。友星は実際に幸せだと感じていた。

 高校生になって間もないある日に、友人の姉が亡くなるという不幸があった。それは友星も子供の頃から仲の良かった人であり、現代医療でも治療の難しい難病だったと後から聞いた。

 身近な人間の死が友星にとってはこれが初めてのことで、今まで感じたことのない衝撃を受けた。あんなに優しかったお姉さんだったのに、もう二度と会えないなんて。何と世界は残酷なのだろうか。友星は友人と共に彼女の死をいたんだ。

 しかし、友人は数日後には笑顔を取り戻していた。聞けば、姉はカクリヨ社のサービス、YOMIヨミに誓約をしており、黄泉人よみびととして仮想現実に覚醒する事が出来たのだという。友星もニュースなどでその存在を伝え聞いてはいたが、実際に使用している人から話を聞くのは初めてだった。亡くなった人との再会、それがどれほど人の悲しみを癒やすのか、友星はそれを友人の様子から学んだ。

 そして友星自身もYOMIヨミそのものに強く魅了されていった。その素晴らしさを実感するには、リンクスインプラントを施すしか無い。家族に事情を話すと、聡臣はそれを強く反対した。理由は詳しく話してくれずよく分からなかったが、兄はあまりYOMIヨミのシステム自体が好きではないようだった。「自然の摂理が」とか「倫理的に」だとか言っていたのを覚えている。だが両親は賛成してくれた。

 結果として、インプラントを施した後に亡くなった友人の姉との再開を果たした時の感動は、受け止めきれない程のものだった。かつて生きていた頃と変わらない笑顔、周りは現実と変わらない仮想世界、楽しかったあの頃を再び取り戻したのだ。この黄泉の国での体験は、この先生きていても巡り会えないであろう程に友星にとってとても強烈で、魅力的な体験だった。


 大人になってから友星がカクリヨ社で働き始めたのはある意味必然と言えるだろう。そうする事は初めてダイブをしたあの日からもう既に決めていた。

 上司や同期などにも恵まれ、徐々にだが重要な仕事も任されていくうちに、自分が次世代のYOMIヨミを担っていく存在になっていくのだと自覚していた。

 事故に遭ったのは、何もかもが上手くいっていたその矢先だった。

 兄は仕事でいなかったのだが、久しぶりの家族旅行に出掛けた時、オートドライブの判断によって両親共々命を落とすことになってしまった。

 死の瞬間は今でも鮮明に思い出せる。気付いた時には既に水中にいた。事故の衝撃でシートベルトが破損したのか、身体を微塵も動かせなかった。母は既に意識を失っているようで、父は友星の方へ必死に手を伸ばしたが、やがて動かなくなっていくのが見えた。

 妙に冷静な気分だった。シートベルトをゆっくり手繰り寄せてたるませ、出来た隙間から身体を上手いこと抜かせる。助手席側の窓は閉まっていたため、アシストグリップを両手で強く握りしめて、力の限り両足で窓を思い切り蹴った。衝撃が鈍い音になって水中で響いたが、水の抵抗により威力は地上よりも弱かった。それでも何度も何度も蹴ったが、一向に割れない。

 呼吸を止めてから何分何秒経ったのか、肺に残された空気はもう無い。今すぐに呼吸しなければもう助からない。そもそも車からの脱出が叶ったとしても、両親を二人とも引き上げることなど出来ない。

 もう次の動作が限界だった。それ以上は意識を保てる気がしない。脳に酸素が供給されないのがこれほど苦しいとは思わなかった。薄れていく意識の中で友星はポケットに入れていたスマートフォンを強く握り、その角を窓に何度も叩きつけた。衝撃力をなるべく面積の小さな箇所へ限定すれば、ガラスの破壊確率は上がると何かで読んだことがあったからだ。

 僅かな希望を抱きながら、もう視界の霞む中で幾度目かの殴打の時、手応えがあった。遂に割れたのだ。肺に残っていた最後の空気を思わず吐き出し、一気に窓に向かって泳いだ。が、身体は車体から出ない。未だ車体側に残った窓ガラスに服が引っかかってしまっていたのだ。

 社内を振り返ると、もう両親は後部座席でピクリとも動かなかった。もう、駄目だ。自分も出れない。もう家には帰れない。

 先程までは僅かにあった生存の希望は打ち砕かれた。そして気力も体力も無くなっていくのがはっきり感じられた。ただただ苦しい。死にたくない。帰りたい。ただそれだけを思って、遠くなっていく水面を見上げて、それで最後だった。


 覚醒した時、始めに見たのは全て白の世界。どこが端なのか、若しくは端など無いのか、とにかく広大という言葉では足りないほど全てが真っ白で、凹凸も何もない世界に居た。

 何回か振り返っていると、いつの間にか白の世界に部屋が現れた。ベッド、椅子とテーブル、

 その上にあるモニター。そのモニターに、見知った顔が映っていたのを認めた。

かなめさん……?」

 原崎要という、カクリヨ社でお世話になっていた先輩だった。先輩はいつものように表情を変えず、「やっと起きたか」とだけ言った。

 覚醒だ。自分が黄泉人になったのだと気付くのにそう時間は掛からなかった。

 本来YOMIヨミを利用するために必要な誓約というものは、利用者がカクリヨ社への申請を経て初めて承認されるものなのだが、意識をデータへと変換しコピーする装置と人物さえ揃えば、誓約がなくても覚醒は可能だ。

 要は割と社内でも重役に近いポストに居たためその辺りの勝手を知っていたので、「特権だ」と言い張って自宅に隔離されたYOMIヨミの仮想現実サーバーを持っていた。そこで友星も可愛がって貰うついで、ご飯を奢る延長線上のような感覚で、何かあった時のためにとデータの抽出を終えていたのであった。

 案外、黄泉人よみびととなった感覚は悪くはなかった。する必要は無いのだが、睡眠や食事もプログラムを適用すれば現実と同じ感覚で楽しめる。要に頼んでデータさえ用意してもらえば、様々な場所へ訪れることが可能だし、現実に存在する場所や物体ならどこでもなんでも用意出来た。

 何よりも、もうあんな悲惨な事故に遭わないし、あんな苦しい思いをしなくて済む。それだけでも、全人類が仮想現実へ移住してもいいとすら思えた。要伝いで両親も兄の手により黄泉人化していると聞き、安心した。


 それからしばらく経った後、そして、要がある日にプレイバックと呼ばれる新たな機能を追加する装置を持ってきた時、全ての認識は変わった。

 黄泉人が死ぬという事実も、要は共に持ってきてしまった。

 最近世間を騒がせていたバカバカしい幽霊騒動、その元凶はYOMIヨミからだという。何がどうなってそうなるというのか、要はその時に全てを話そうとはしなかったが、後に、噂になっている幽霊の姿の特徴がある人物に酷似しているという事だけは聞いた。後に要がプレイバックを用いて直に目撃して確信したそれの正体は、YOMIヨミの創設者とも言える人物、天城あまぎ沙也加さやかだった。

 数年前に自殺し、もうこの世にはいない人物が、YOMIヨミという仮想現実へ現れている。それだけ聞けば確かに幽霊と言われても仕方がないと言えるだろう。

 どちらにせよこの事件は、「黄泉人は死ぬ」という事実を世間に知られないよう隠蔽されることとなり、要はこれの早期解決を上層部から託されたのであった。

 そして数回の調査を行い、何者かが外部からYOMIヨミのシステムを書き換えていることが判明した。管理AIイザナミの目を掻い潜り、ロックされていた自死行動を解禁し、さらに自死した人物の意識データを中枢サーバーから削除までしてしまうという代物だった。

 友星は怯えた。もう一度あの苦痛、絶望を味わってしまう可能性があるのかと。要によればこの隔離サーバーは秘匿されており、イザナミの恩恵も受けないが逆に今回の事件の影響も受けずに済むとのことだったが、それでも安心は出来ない。

 友星は一刻も早く原因を特定しなければいけないと思い、要と共にこの件を調査することを願い出た。誰もあんな苦しい思いに晒されるべきではないから、と。

 そうして、まず聡臣の動向を知るべく彼のリンクスへ遠隔ハッキングを行い、少しばかり記憶を垣間見た結果、一連の騒動に巻き込まれていることが判明し、彼を伝って関口あゆみの死を知った。

 要はこれを利用し、この騒動の元凶の特定を行おうとしたのだが、その前にやはりこの事情は関わった者たちが知っておくべきだと要に提言し、まず聡臣と接触することになったのであった。

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