あの頃のぼくらは若かった

KaoLi

第1話 佐名の秘密

「私、部活辞めるから。」


 高校二年生の夏、軽音部部室。

 不意に飛んできた言霊の威力に、

 部室にいたバンドメンバーは、全員、

 まるで鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして私を見た。


「これ、退部届。渡したから、期日内に受理しておいてね」


 それじゃあ、と、私はさも何事も無かったかのような飄々ひょうひょうとした表情をして、軽音部の部室を出た。


 そう。

 これでいい。これでいいのだ。

 私はもうみんなとはいられない。

 だから、これが最善。

 これが模範解答だ。


 だから、私、

 お願いだから泣かないで。


 私、織原おりはら佐名さなは校舎の廊下を早歩きで進みながら、涙ぐんだ目元を強く手の甲で拭った。


 * * *


 私には、バンドメンバーに言えない秘密がある。


 家族にも、言えない秘密がある。


 いまさら言おうとも思っていないし、

 言ったところで何かいい解決策が出るのなら、是非とも教えてもらいたいものだと思っている。

 けれど、きっと無いので、言わない。


「――佐名!」


 私を呼ぶ声が廊下に木霊する。

 その声に、肩が恐怖の色を持って震えた。

 廊下の途中、階段へ差し掛かる場所で、私は呼び止められた。


「……夏生なつきくん……」


 私を呼び止めた彼は、雨達あまたつ夏生なつきという。

 私と同じ、軽音部のバンドメンバーの一人であり、そして、でもある。


「急に部活辞めるって、なんだよ」


 その言葉には怒気がこもっていた。

 けれど、一度決めたことを曲げたくない性格の持ち主である私は、彼の怒気に屈することはなかった。


「なんだよって、別に。前から考えてたことだから。……なんで夏生くんが怒ってるの」


「少しくらい俺に相談してくれたっていいだろ」


「これは私が決めなきゃいけないことだったから、相談、しなかった」


 相談、の部分の声色が少しだけ歪む。


 これで愛想を尽かされて、恋人を解消されるのもよしかな。


 なんて、私はそんなことを考えた。

 私はそれほど、覚悟を持ってこの場にいた。


 私の気持ちなど図ることのできない夏生くんは、私の言い草に怒りを滲ませた。

 ぎゅぅ、と強く、鞄の持ち手を握る。


「だとしても、相談くらい、してくれたっていいじゃんか」


 夏生くんは少し申し訳なさそうな表情をした。

 ごめんね、夏生くん。

 君に、そんな顔、させたくはなかったよ。

 謝ろうと口を開こうとした時、急に気分が悪くなった。

 貧血にも似た症状に、立っていられなくなった。


「佐名?」


 壁に背中を預け、ずるずるとしゃがみ込んでいく。

 どうした、佐名? と、遠くで夏生くんの焦った声が聞こえた。

 早く、大丈夫だから、と言いたいのに、口から零れるのは空気のみ。

 立っていられなくなって夏生くんに支えられる形で体勢を保つ。

 その反動で、鞄が床に落ちた。


 あ、と思った。

 鞄のチャックが開いていたのが運の尽きか。

 私の”秘密”の一端が、彼に見つかってしまったのである。


「――”母子手帳”……?」


 もう、言い逃れは出来ない。


 私は悔しくて、

 情けなくて、

 どうしようもない気持ちに駆られて、

 ぐちゃぐちゃな感情が渦巻いた末に、意識を手放した。

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