Special content“深愛”

桜蓮

第一話 Special content“深愛”1

◇◇◇◇◇


そのお誘いは突然だった。

夕食を食べている真っ最中

「なぁ、美桜」

蓮さんが不意に口を開いた。


「なに? 蓮さん……あっ、もしかしてお醤油? はい、どうぞ」

私は蓮さんがお醤油を取って欲しいんだと思い、醤油差しを手に取り蓮さんに差し出した。


それを受け取った蓮さんは、「ありがとう」お礼を言ってくれたけど、すぐに「……違ぇ」そう付け加えた。

「えっ? お醤油じゃなかったの?」

「いや、醤油は使うんだけど」

「そうだよね。やっぱりサンマには大根おろしにお醤油を垂らしてカボスがいちばんだよね」

「そうだな」

「綾さんがたくさんおすそ分けしてくれたから、おかわりしてたくさん食べてね」

「おかわり? サンマを?」

「うん、もう焼くだけに準備できてるから、焼き立てを食べれるよ」

「そうか。綾さんがくれたのか?」

「そう。お昼ぐらいに綾さんから連絡があって、その後マサトさんが届けてくれたの」

「マサトが?」

「そうだよ。その時にマサトさんが大根とカボスも買って来てくれたんだよね」

「へぇ~、だからウチに大根とカボスがあったんだな」

納得した様子の蓮さんを見て、私は不審に感じた。

「マサトさんが今日、ウチに来たってこと蓮さんは知ってたんだよね?」

「いや、今初めて聞いた」

「えっ!? そうなの!?」

「あぁ……てか、なんでそんなにビックリしてるんだ?」

「いや、てっきり蓮さんも知ってるんだと思ってたから」

「マサトがサンマを届けてくれたことか?」

「うん、そう」

「残念だけど、今日はマサトと一日中別行動で顏を合わせてないから、あいつの行動も把握してねぇし、ここに来たって言う報告も聞いてない」

「えっ!? 蓮さんとマサトさんが別行動の時とかあるの!?」

私は蓮さんからもたされたその情報にビックリしてしまった。

だって蓮さんとマサトさんっていつも一緒に行動しているっていうイメージを私は勝手に持っていて、仕事中はずっと一緒にいるものだと思っていたから。


私はビックリしてしまったけど

「……はっ!? そんなの普通にあるけど? てか、一日中ずっと一緒ってことの方が珍しいし」

蓮さんは至って冷静だった。


「そ……そうなんだ。知らなかった」

私が愕然としていると、蓮さんは苦笑していた。


……っていうか、私が知らないのはそれだけじゃない。

そもそも私は蓮さんの仕事の内容を詳しく知らない。

蓮さんがどんな内容の仕事をしているのか未だに理解できていないのだ。

私は蓮さんと付き合い始めてから、結構経つけど蓮さんの仕事の内容を具体的に説明することができなかったりする。

蓮さんが私の前では仕事の話をあんまりしないっていうのもあるけど、私の方もどこまで蓮さんの仕事のことを突っ込んで聞いていいのか分からないっていうのもあるし。

それに詳しく聞いてみたところで私がそれを理解できる自信もないから最初から聞こうと思わないっていうのもある。


蓮さんが言わないってことは私には必要ではない情報だからだろうし、極道っていうちょっと特殊な職業だからあまり部外者に仕事の内容を話せないのかもしれない。

蓮さんは私に必要な情報は、わざわざ私が聞かなくてもちゃんと教えてくれる。

でも逆に必要のないって判断した情報はペラペラしゃべったりしない。

それが分かっているから、私は自ら深く詮索しないっていうのもある。

だから私にとって蓮さんの仕事は未知の領域って感じで謎が多い。

……っていうか、蓮さんの仕事に関しては謎しかない。

そのせいか、私は今みたいに驚かされることが多々あり、それは決して珍しいことじゃない。


ビックリして唖然としている私を見て、蓮さんは笑いを押し殺している。

どうやら私の表情が、蓮さんの笑いのツボにはまってしまったらしい。

「てか、美桜」

「……なに?」

「さっきの話の続きなんだけど」

「さっきの話の続き? それってマサトさんと別行動することが多いって話?」

「いや、そうじゃなくて」

「えっ? 違うの? ……じゃあ、なんの話?」

「さっき『明日の昼、一緒にランチでも食いに行かないか?』って聞こうとしてたんだ」

「はっ? ランチの話とかしてたっけ?」

「いや、その話をしようとしてたら、美桜が醤油を取ってくれて、そのままサンマの話になったんだけどな」

「……ってことは、蓮さんはお醤油を私にとって欲しかったんじゃなくて、ランチのお誘いの話をしようとしてたってこと?」

「まぁ、簡単にまとめたらそういうことになるな」

「そうだったんだ。ごめん、ちゃんと最後まで話を聞くべきだった」

私は自分の言動を反省した。


すると、

「別に気にしなくていい。てか、俺も醤油が欲しいと思ってたんだっから美桜は別に何も間違ったりしてねぇし。それにしても、俺が醤油を欲しいって思ってるってよく分かったな」

蓮さんはそう言ってくれた。


蓮さんはとても優しい。

私が今みたいに失敗してしまっても、絶対に責めたりしない。

それどころか、数少ない良いところを探して褒めてくれる。

それって簡単そうに見えて、結構難しいことだって私は知っている。


……蓮さんがお醤油を取って欲しいんじゃないかと思ったのは、蓮さんが前に言ってたから」

「俺がなんて言ってたんだ?」

「前にサンマを食べてた時に『やっぱりサンマは新鮮なうちに焼いて、カボスと大根おろしと醤油で食うのがいちばん美味いな』って」

そう、私がさっき言った言葉は蓮さんが以前行っていた言葉なのだ。


私は蓮さんと知り合うまで、焼いたサンマにカボスを絞って垂らし、大根おろしに醤油をかけてそれを添えて食べるってことを知らなかった。

てか、そもそも『この魚がサンマなんだ』って認識しながら食べたのだって蓮さんと知り合って、一緒に食べたのが最初だった。

それまでも魚を食べたことはもちろんあるけど、それがなんていう魚なのかってことも気にしたことはなかったし、興味もなかった。


蓮さんと知り合う前の私の食生活は人に言えるようなものじゃなかった。


私のお母さんは手料理なんて作ってくれるような人じゃなかった。

お母さんと一緒に暮らしている時に食べたもので記憶に残っているのは、カップラーメンやパンが多かった。

たまにお弁当ってこともあったけど、お母さんが食べた後の残りのものを食べるって感じだった。

でもそのお弁当はあの頃の私にしてみれば、豪華なごちそうだった。

何度かファミレスに連れて行ってもらったことも何となく覚えている。

その時自分がなにを食べたのかは覚えてないけど、お母さんがオムライスを嬉しそうに食べていたのは覚えている。


お母さんの元を離れて施設に入ってから、私の食生活は一変した。

それまで不規則だった食事が、毎日三食きちんと食べられるようになった。

施設で出される食事は、栄養のバランスや量もちゃんと計算されていたし、季節ごとに旬の食材を使った料理が提供された。

それまであたたかい出来立ての料理なんて、ほとんど食べたことがない私は、施設に入ってしばらくの間は食事の度に困惑することがたくさんあった。

施設の食事は、それまでの私の食生活に比べたら雲泥の差だった。


だけどあの頃の私は、なにを食べても美味しいとは思えなかった。

食べることに興味もなかったし、食べるのはあくまでも空腹を満たすものでしかなかった。

食べるということに喜びや楽しさを感じたことはなく、私にしてみればただただ面倒なことでしかなく煩わしさしかなかった。


そんな私が今みたいに、なにかを食べて美味しいと思えたり、食べること自体を楽しいと思えるようになったのは全て蓮さんのお蔭。

食べることの大切さ。

食べることの喜び。

食べることの楽しみ方。

そして、食べれることへの感謝の気持ち。

それらを私に教えてくれたのは蓮さんだから。


「そういえば、そんなことを言ったな。俺が言っていたこと覚えてくれていたんだな」

「うん。蓮さんが好きなものはちゃんと覚えておきたいから」

「そうか。ありがとうな、美桜」

蓮さんはそう言って私の頭を優しく撫でてくれた。


蓮さんに頭を撫でて貰えて嬉しくないわけがない。

話をちゃんと聞かなかったことを反省して落ち込んでいたけど、蓮さんが頭が撫でてくれたお蔭で私のテンションは一気に急上昇した。

自分でも単純だとは思うけど、嬉しいものは嬉しいんだから仕方がない。


蓮さんのお蔭で気分が落ち着いた私は

「でも明日って、蓮さんはお仕事じゃないの?」

ようやく本題に話題を戻すことができた。

「ん?」

「ランチに誘ってくれるのは嬉しいんだけど、お仕事は大丈夫なのかなって思って」

「明日は、午前中に一つ人と会う約束が入ってるから事務所に顔を出さないといけねぇんだけど、それも1時間弱で終わる予定だし、それさえ終わらせれば午後は休みだ」

「そうなの?」

「あぁ、だから美桜と一緒にランチをしたいと思ったんだ。明日も学校は休みだろ?」

「うん、わたしは4連休だから」

「それなら明日の午後はデートしようぜ」

「本当!? 嬉しい」

私が素直な気持ちを伝えると、蓮さんは嬉しそうに笑ってくれた。


「明日っていつもと同じ時間に事務所に行くの?」

「いや、10時過ぎに事務所にいけばいいんだ」

「そうなんだ。結構ゆっくりでいいんだね」

「まぁな、てか本当は休む予定だったんだけどな」

蓮さんがサラリと言った言葉を

「……はい?」

私は聞き流すことができなかった。


「どうした?」

「今、なんか『休む予定だった』って聞こえたような気がしたんだけど」

「聞こえたような……じゃなくて、俺はそう言ったんだから聞こえたんだろ」

蓮さんは怪訝そうに私を見つめたいた。


Special content“深愛”1【完結】



※この作品は電子書籍版をホームページで販売しています。

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