第24話 十八歳 心に空いた穴
アルガスが学園からいなくなって数日後。わたしは予定通りお兄様の申し出を受け入れ学園を退学した。
お兄様の秘書となりサポートするためだ。
慣れない仕事を覚えるために、目まぐるしく時間は過ぎてゆき、気が付けばわたしも十八歳になっていた。
そんな日々の中、アルガスとは友達として手紙の交流を続けていた。お互いに近況を報告する取りとめのない内容のやり取りだったけれど、手紙が届くたび嬉しかった。
けれど……数か月続いた手紙のやりとりは、ぱったりとアルガスからの返信がこなくなって終わった。
最初のうちは、返事が来なくともわたしの近況だけ送り続けていたのだけれど、だんだん一方的に手紙を送りつけるのは迷惑かもしれないと思い始めて……。
「手紙のやり取りは続けようって、ずっと友達でいようって約束したのに……」
わたしは夜、一人でこっそり泣く日が増えた。
お兄様に心配を掛けないため、お風呂の時にこっそりと。
長風呂でのぼせ飲み物を貰いに厨房に行くと、新入りの料理見習いの男性と出くわしたことがある。
泣き腫らした赤いわたしの目を見て少し驚いた顔をすると、彼は冷たいタオルとフルーツを用意してわたしに渡してくれた。
寡黙で、でも優しくて、なんだか初恋のダンさんを思い出す。そんな印象の人だった。
それからちょくちょく、わたしは料理見習いの彼と話すようになった。
でも……一ヶ月もしないで、彼は仕事を辞めていなくなった。
理由も聞けず、挨拶も出来ず、突然に。
やっぱり、わたしと親しくしてくれた人たちは、みんなわたしを置いていなくなってしまう。
わたしがなにをしたっていうの? 寂しい。悲しい。
最近夜になると特に、虚しさに襲われ息苦しい気持ちになる。どうしちゃったんだろう、わたし。
そんなわたしの心のうちなど、お兄様は知らないはずだけど。眠れない夜は、いつも傍にいれくれる。
わたしが眠るまで頭を撫で、枕元にいてくれる。一人じゃないよと、わたしが欲しい言葉をくれる。
その一時の間だけがわたしに安らぎをあたえ眠りにつけるの。
けれどわたしの心に本物の平穏は訪れない。
お兄様もいずれわたしを置いてどこかへ行ってしまうに違いないもの。
お兄様がいなくなったら、わたしは、わたしは、本当に独りぼっち。
「フローラ、なにを考えているの?」
ベッドに横たわるわたしの隣に腰を掛け、今日も優しく頭を撫でてくれるお兄様をわたしはぼんやりと見上げていた。
「なんでもないわ、おやすみなさい。お兄様」
「ああ。おやすみ」
わたしは考えていたことを口には出さず目を瞑る。
(どうしたらお兄様の傍にずっといられるのかしら。どうしたら、お兄様だけは失わずに済むのかしら)
そんな方法があるなら、わたしはなんだってしてしまいそう……
「ずっと一緒だよ、フローラ」
夢の中で、お兄様のそんな囁きを聞けた気がした。
「ブライアン、変わりなくやっているかい?」
「はい、これも全て伯爵のお力添えのおかげです」
今日は昔からお世話になっている伯爵が視察もかねてこちらにやって来る日だった。
「お前の仕事ぶりには期待している。なにか困ったことがあったなら、いつでも言いなさい」
伯爵様は、お兄様の働きぶりを買ってくださっていて、我が家が大変な時も見捨てず気遣ってくださった。
「そうそう、クラリス様との婚約の話は、どうなっているんだ。いいかげん、話を進めなくては」
伯爵からの言葉に、お兄様は笑みを浮かべ頷いている。
公爵家からの話を無下に出来るわけもなく、また伯爵様の反応をみるに外堀も埋められているようだ。
お兄様としても、ここまでお世話になっている伯爵様を困らせたくはないだろう。だから、彼女との結婚は時間の問題なんだと思う。
でも……お兄様にとっては、とても良い話のはずなのに、わたしの胸はチクリと痛む。
だって、わたしの心にぽっかりと空いた穴を埋めてくれるのは、今はもうお兄様との一時だけ。
お兄様を失ってしまったら、わたしは……寂しさに呑み込まれ死んでしまいそうだわ。
わたしはいつから、こんなにも弱虫で自分本意な人間になってしまったのだろう。
「ーーラ? フローラ!」
「っ!」
二人で伯爵様をお見送りした後、執務室に戻ってこれからの予定をお兄様に伝えようとしていたわたしは、いつの間にかぼうっとしてしまっていたようだ。
「どうしたの?」
「な、なんでもないの。ごめんなさい」
まるで心の中を見透かそうとするかのような眼差しから逃れるように、わたしは、手持ちの手帳に視線を移しそこに書かれている文字を読み上げた。
心の奥にあるドロドロとした思いを悟られないように。
けれど、そんなわたしからお兄様は手帳を取り上げた。
「なにをするの、お兄様!」
「午後からはたいした予定もないだろう。ランチにでも出掛けて、少し息抜きしようか」
私が疲れているのだと気遣ってくれたようだったけれど、その時。
「クラリス様、お待ちください!!」
廊下から執事長の声が聞こえてきた。
騒がしい原因は、またアポなしで突然来たクラリス様のようだ。
彼女は最近、こうして我が家を訪れる。
「ブライアン、いるのでしょう?」
言いながらクラリス様が執務室の前までやってくる気配がする。
仕方ない。今日のランチはお預けね、とお兄様の顔を見上げると、ドアの方に冷たい視線を送っていたお兄様が突然わたしの手を掴み引き寄せてきた。
「っ!」
「ブライアン! 今日は昼食を一緒にっ……あら?」
しんと静まり返った部屋をクラリス様が見渡している気配を感じる。
わたしはと言えば、突然引き寄せてきたお兄様と一緒に大きなワーキングデスクの下にいた。
戸惑いの視線を送るわたしへ、お兄様は悪戯っ子のような笑みを浮かべ「しーっ」と、人差し指を唇にあてるジェスチャーをする。
「ちょっと、ブライアンはどこ!」
「執務室にいらっしゃらなければ、私には分かりかねます」
「この私が、わざわざ会いに来てさし上げたのよ。今すぐ彼を呼んできて」
この状況でお兄様と机の下に隠れている事を知られでもしたら、大変なことになりそうだ。
わたしは物音をたてないようにと、緊張して身体を強張らせた。それなのに。
「っ!?」
急にお兄様が手を握ってきた。戸惑っているうちに、その指先がわたしの指の間をなぞり、掌をスーッと滑ってゆく。
ただそれだけの事なのに、ゾワゾワとした感覚が背筋をはしり、わたしは声が出ないよう下唇を噛み締める。
(こんな状況で、なにを考えているのっ)
「どうせまた義理の妹と出掛けたんだわ!!」
「クラリス様、どうか落ち着いてください」
クラリス様の金切り声が聞こえる中で、お兄様は涼しい顔をしてわたしに意地悪を続けた。
「っ」
こんなところ、見られたらっ。気が気じゃないわたしは、早くこの時間が終わるよう固く目を閉じ願う。
「ブライアンが戻ってくるまで待たせてもらうから!!」
「かしこまりました」
執事長は、お茶の準備をしますのでと、クラリス様を応接室へ連れ出してくれて、ようやく二人は部屋を出ていった。
静寂に包まれた執務室で、トンとお兄様の肩を叩いて押し退けるとすんなり解放された。
「もうっ、お兄様ったらなにを考えているの!?」
机の下から出て怒るわたしの真っ赤な顔を見て、悪びれることもなくお兄様は笑っていた。
スリリングで楽しかったね、と。
優しかったお兄様は、最近こんな心臓に悪いイタズラをたまにして、わたしを困らせる。
そのたびに、わたしは翻弄されてしまうの。そして、そんな自分が少し怖い。
お兄様の知らなかった一面を見せられるたび、お兄様が知らない男性のように思えてきて、わたしの中でお兄様への気持ちが、家族という形から逸脱してゆく気がして……。
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