第21話 十七歳 公爵令嬢との対面
「お兄様?」
「目を離した隙に、フローラが誰かに攫われるんじゃないかって……気が気じゃないよ。いっそのこと、人目に触れないようどこかに閉じ込めてしまいたい」
「お兄様ったら。わたし、もう子供じゃないのよ。攫われたりしないわ」
さすがに知らない人に着いて行って攫われる程、無知な子供じゃない。
けれど心配性なお兄様にクスクスと笑ったわたしを見てお兄様は、真顔のまま「子供じゃないから心配なんだ」と呟いた。
「……明日から、オレは仕事でしばらく家を空けるけど、どうか寄り道しないで真っ直ぐ帰って来て」
「え、でも……お友達と少しの寄り道をするのもだめ?」
「ダメだ」
きっぱりとそう言うお兄様の瞳に仄暗いモノを感じ、そこまで心配させてしまっていたのかと反省したわたしは素直に頷いた。
アルガスには悪いけれど、当分放課後の寄り道はお預けのようだ。お兄様を悲しませるわけにはいかないもの。
そこでようやくお兄様は、安心してくれたみたい。
ほっと肩を撫でおろしわたしをぎゅうぎゅうと抱きしめてくる。
いつまでたってもわたしのこと小さな子供だと思っているんだから。
そんなお兄様にちょっぴり呆れながらも、その腕の中はとても居心地が良くってわたしはいつもそれを受け入れてしまうの。
けれど、このままでいいのかな。いいわけがない。だって、お兄様は公爵令嬢と結婚するのかもしれない。
そうしたら、この心地の良い居場所はわたしのものじゃなくなるんだ。
でもお兄様は、そんな大事な話をわたしに教えてくれないまま……。わたしはされるがままに抱きしめられながらモヤモヤとした感情を隠した。
けれど次の日の昼休み、タイミングが良いのか悪いのか、わたしは噂の公爵令嬢様とばったり出くわしてしまった。
今日も天気が良いので中庭に行こうと近道の渡り廊下を歩いていると、向かいから数人の取り巻きを引き連れた綺麗な令嬢が歩いてくる。
取り巻きの一人にヒソヒソと耳打ちされこちらを一瞥した彼女は、僅かに眉を顰めるとわたしの目の前までやってきて足を止めた。
「御機嫌よう」
「……ご、御機嫌よう」
誰だろうと思いながらも無視をするわけにはいかないので、わたしも足を止め会釈を返す。
「私、クラリスと申します。貴女とは一度お話しておきたいと思ってましたの」
その名前を聞いてわたしは彼女が誰なのか理解した。
この人がお兄様の奥さんになるかもしれない公爵令嬢なのだと。
「えっと……」
兄がお世話になっていますでいいのだろうかと言葉を選んでいるうちに、クラリス様が次の言葉を言い放った。
「もちろん今の屋敷からは出て行ってくださるんでしょう? 私とブライアンが結婚する前に」
「え……」
予想外のそれも突然の言葉にわたしは言葉を詰まらせてしまった。
「殺人者の娘と一つ屋根の下で暮らすなんで考えただけでゾッとしますもの。私、耐えられませんわ」
クラリス様は、わたしに軽蔑の眼差しを向けていた。あの悲しい出来事が起きてから、こういう扱いを受けるのは初めてじゃない。いつものことだとわたしは平静を装う。
「えっと……お二人の結婚後にわたしがどうするかは、お兄様とも相談してみないと」
優しいお兄様のことだ。わたしを追い出すようなことはしないと思う。
けど、いつまでもその優しさに甘えるわけにはいかないというのも分かっている。
「貴女が家を出て行くと一言ブライアンに言えば済む事でしょう。まったく、ブライアンが可哀相。義理の母に実の父を刺され、血の繋がらない妹のお守りまで……。彼の妻になる身として言わせていただきます。いい加減、彼を解放してあげてください」
「っ……」
悲しみや怒りや罪悪感。様々な感情が溢れそうになった。
でも、なにも言い返せない。
わたしにとってお兄様は、血の繋がりなんて関係ない大切な家族だけれど……お兄様が同じ気持ちでいてくれているかは、分からないのだ。
今さらそんなことに気付いて、わたしは指先が冷えてゆく。
端から見ればわたしは、何の役にも立てていないのに、家族だからと甘えて施しを受けている御荷物に過ぎないのかもしれない。
お兄様にとっても?
「貴女たちのせいで、ブライアンにどれだけの負担が掛かっているか理解出来てますの? 私はこれから彼を支える所存ですけど、他人である貴女の面倒までみるつもりはありませんから」
「おい、そんな言い方ないんじゃねーの」
クラリス様の言葉を遮ったのは、いつの間にかわたしの隣に立っていたアルガスの声だった。
「フローラが今後どうするのかは、コイツとコイツの家族であるブライアン様とで決める事だ。アンタこそ、まだ結婚どころか正式に婚約すらしてない赤の他人のくせに。婚約者面してんじゃねーよ」
「なっ、なんですって!?」
「なんだよ」
アルガスが低い声で凄むと、クラリス様は「野蛮な人たちの相手なんてしてられませんわ」と言い残し、冷たい目でこちらを見てくる取り巻き達を引き連れこの場から立ち去って行ったのだった。
「気にすんな、あんなの。お前は誰かに非難されるようなこと、なにもしてないんだから」
二人きりになりしんと静まり返った廊下で、アルガスは毅然とそう言ってくれた。
「……ありがとう」
わたしは泣きそうな気持ちをぐっと堪え笑って見せたつもりだったけれど、その笑みは少し歪んでしまっていたかもしれない。
「……どうしたらいいのかしら。お兄様に見捨てられたら、わたし一人ぼっちになっちゃう」
情けなく声が震える。
お姉様はもう新し家族と幸せに暮らしているようだし、お母様もずっと精神が不安定で養所がら出られない状態だからと会えないままだ。
行く当てがない。心細い。まるで世界で独りぼっちになってしまったような気持ち。
けれど、わたしのそんな弱音を笑うでもなく、どう宥めるか戸惑うでもなく、アルガスは力強く震えるわたしの手を握ってくれた。
「俺が……いるから」
「え?」
「もしなにかあっても俺が傍にいてやる。まあ、金はねーから苦労するだろうけど……独りぼっちにはさせねーよ」
「ありがとう。そうね、アルガスがいてくれるなら、わたし独りぼっちじゃないね」
わたしはなんて良い友人を持ったのだろう。
二カッと白い歯を見せてくれたアルガスの笑顔に救われたのは、これで何度目だろう。
「おう。お前がいいなら、いつでも……俺のところに来いよ」
アルガスはなぜか微かに赤らめた頬を掻きながらそう呟いた。
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