第12話 十六歳 蚊帳の外の家族会議
一時的に意識を失ったわたしは、いつの間にか自室に運ばれていたようだ。目覚めてすぐお兄様が用意してくださったハーブティーを飲むと、ようやく頭が冴えてきた。
とりあえずイーノック様にべたべたと触られた身体が気持ち悪いので湯浴みをして、ほっと一息つき窓の外を見ると、すっかり日が暮れていた。
家族は今シッティングルームで話し合いをしているらしい。内容はもちろん今日のことだから他人事じゃない。
でも、ストールを肩に掛け部屋を出ようとしたところをメイドのアルマに見つかり止められた。
「お嬢様、お体に障ります。今日はもうおやすみください」
「心配性なんだから。わたしは大丈夫よ。それよりお姉様たちの様子が気になるの」
そう訴えたのだけど、いつもわたしに甘いアルマなのに、今日は頷いてくれない。
「ならば私がお嬢様の代わりにお話を聞いておきます。だからお嬢様は部屋でお休みになってください」
「えぇ!?」
よほどわたしの事が心配なのかアルマは涙目で、けれど強引にわたしを部屋へ押し戻したのだった。
それからしばらくは大人しくいう事を聞いて部屋にいたのだけど、家族会議は長引いているようだった。アルマも戻ってこない。
今ごろ何が話し合われているのだろう。
イーノック様があんな理性なく襲い掛かってくるような人だとは思わなかった。わたしでも衝撃的な出来事だったのだ。お姉様はもちろん、両親もショックを受けているかもしれない。
やっぱりここは気丈に振る舞い、皆を安心させるべきだと思ったわたしは、今度こそ部屋を出てシッティングルームの前まで行ったのだけど……。
「こんな事が起きたんですもの。イーノック様との婚約破棄は仕方ありませんわ。わたくしは大丈夫、受け入れます」
ドア越しにお姉様が涙声ながらそう言っているのが聞こえてきて胸が痛む。
「そんなことより、見合いを控えているというのに、フローラが傷物だなんて噂が流れては、問題だ」
お父様は頭を抱えているようだ。
「まあ、それでアナタの立場が悪くなったら大変。この件はやはり、あちらのお家と相談して、内密に解決を」
お母様の困った声も聞こえてくる。
「しかし、原因を伏せたまま婚約破棄をすれば、今度はミラベルに勝手な憶測から悪評がたつ恐れも」
部屋の中の張りつめた雰囲気を察し、わたしはドアを開ける事を躊躇っていたが。
「かまいませんわ。たとえ、それで結婚が出来なくなったとしても」
「まあ、ミラベル」
「せっかくの侯爵様とのお見合いが破談になったら、フローラが可哀相だもの」
(お、お姉様! わたしのために、そこまで考えて)
「ああ、けれどこれで……わたくしは一生お嫁にはいけないかもしれませんわね……うぅ」
「……これは、提案なのだが――――」
なにやらお父様たちの会話は続いていたけれど、庇ってくださったお姉様の言葉に感動したわたしは、勢いそのままに部屋に飛び込んだ。
「わたし、傷物だって言われても平気です!!」
お姉様がなにか言い掛けていた言葉と被ってしまったけれど、感極まっていたわたしはそれに気付けずそのまま言葉を続けた。
「だからお姉様っ、わたしを庇おうとして犠牲になんてならないで」
「フ、フローラ!?」
ぎゅーっとお姉様に抱きついて決意をすると、わたしはお父様へ向きなおる。
「お姉様はなにも悪くないんですもの。それなのに、お姉様に不名誉な噂が立つのは我慢なりません。わたしはなにを言われても平気です。だから、お父様っ」
「な、なにを言うのフローラ!! だって、それじゃっ……そう、貴女はお見合いを控えているんですもの。わたくしが犠牲になればそれで」
「……父上、一つ提案があるのですが」
ずっと黙っていたお兄様が口を開く。
「なんだ、ブライアン。言ってみろ」
「イーノックは嫌がるフローラを無理やり強姦しようとした。未遂に終わったとはいえ、これは紛れもない犯罪です。訴えるべきだと」
「しかし、フローラも彼に好意を寄せていたんだろう。誘ってきたのはフローラの方だと彼は主張していた」
え、そんなことを言われていたの!? わたしは、身に覚えのない事態に驚愕した。
「フローラ、キミはイーノックに好意を寄せ、誘惑したのかい?」
お兄様に問われ、わたしは思いっきり首を横に振って答える。
「事実無根です!! わたし、突然あの人に押し倒されて……好意なんて寄せていません!!」
「もしフローラが本当に彼に好意を持っているなら、彼に責任を取らせ結婚できるこの好機を逃すはずがない。嘘を吐いているのは向こうの方だ」
「それが事実だとして、オマエはなにを考えている。ブライアン」
「それは……フローラ、まだ顔色が悪いようだね」
「え? わたしは、全然っ」
「可哀相に、ショックが癒えていないんだ。彼女を部屋で休ませてあげて」
「え、え?」
お兄様の言葉にアルマがそっとわたしの身体を支え部屋へ連れて行ってくれようとするけれど、わたしはどこも体調なんて悪くない。でも……
「大丈夫、後はオレに任せて。ね?」
「……分かったわ」
なぜか有無を言わせぬ雰囲気のお兄様に逆らえず、わたしはせめてアルマに「わたしの代わりに話し合いを見届けて?」と頼んで一人部屋へ戻ったのだった。
言われた通り部屋で大人しくしていると、しばらくしてお兄様が夕食を持ってきてくれた。どうやら家族会議は終わったようだ。
「フローラ、気分はどうだい?」
「そんなに心配しなくても大丈夫」
笑ってみせると、お兄様も少しはほっとしてくれたようだった。
確かに豹変したイーノック様には驚いたけど、わたし自身には怪我一つないのだ。
それから……不思議なのだけどイーノック様に襲われた辺りの記憶は、ぼんやりしていて曖昧だった。
「お兄様、ありがとう。あの時、お兄様が助けにきてくれたおかげでわたしは無事だったのよ」
「フローラ……キミになにかあったら、オレはっ」
わたしを抱きしめるお兄様の手は、僅かに震えているようだった。
「……思い出すのは辛いだろうけど、どうしてあんな男と二人きりだったのか、教えてくれるかい?」
「それは……」
わたしは少し言うのを躊躇する。
お姉様と二人だけの秘密だと約束していたから。
「どうしたの? オレには言えない?」
わたしの沈黙をどう受け取ったのか、お兄様は悲しそうにわたしの顔を覗き込んできた。
「……お姉様に頼まれたんです」
「詳しく聞かせてくれる?」
もう隠しておく必要もないかと思い、お姉様にイーノック様へのサプライズプレゼントを買いに行きたいと言われたこと。それまでの時間稼ぎとして、わたしがイーノック様の話し相手をするようにお願いされたことを伝えた。
「……やっぱりね」
「お兄様?」
「給仕は最初からいなかった?」
「いいえ、ネラがいたはずなのだけど。そういえば、いつの間にかいなくなっていて」
「そう……」
一瞬、お兄様の目つきが鋭くなった気がした。
けれどそれを問う間もなく、すぐにいつもの穏やかな笑顔でわたしの頭を撫でてくれたので、やっぱり気のせいだったのかもしれない。
部屋で食事を済ませた後、お兄様はわたしがいなくなった後に話し合われた家族会議の内容を教えてくれた。
イーノック様がしたことは向こうの家へ抗議するとの事。その後の対応は相手の誠意次第だとお父様はおっしゃっているらしい。
それより一番驚いたのは、わたしがするはずだった侯爵様とのお見合いをお姉様がすることになったという話だった。
「ミラベルも喜んでいたよ。あの子は最初から侯爵様を気に入って、フローラが羨ましいと言っていたぐらいだからね」
と、お兄様は笑顔で言っていた。
わたしとしても侯爵様とのお見合いは乗り気じゃなかったし、イーノック様との婚約がなくなり傷ついているんじゃないかと心配だったお姉様が望んでいるなら喜んでお譲りするけれど。
「もう大丈夫だよ、フローラ」
心配しなくてもいいと、わたしを安心させるようにお兄様がいつものホットミルクを差し出してくれた。
「お姉様が悲しんでいないならよかった」
蜂蜜入りの甘いミルクを飲んでほっと一息つく。お兄様が入れてくれたホットミルクを飲むと、いつもぐっすり眠れる。
今日もそうして一晩寝て、気持ちをリセットしたら、明日からまた頑張ろうと前向きな気持ちになってきた。
「いつもより少し早いけど、今日はもうおやすみ」
お兄様が眠気で重たくなってきたわたしの瞼にそっと口付ける。
するとわたしは、まるで魔法にかかったかのように、こてんとそのまま眠りについてしまった。
「……きっと朝までぐっすり眠れるよ」
お兄様がなにか言っていたけれど……唇に優しくなにかが触れた気がしたけれど……泥の様に眠るわたしの意識はもうそこにはなかった。
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