ヒーロー
今では逞しく生きている私も、小さい頃は、近所の男の子たちによくいじめられていた。
一人で遊んでいると、男の子たちがやってきて砂や小石を投げてくる。バカだのブスだのと言いながら、逃げる私をしつこく追い掛けてきた。
そんな時、どこからともなく一人の男の子が駆けて来て、いつも私を助けてくれたのだ。年は、私と同じか少し上くらい。木の棒を振り回しながらいじめっ子たちに立ち向かい、一生懸命私を守ってくれた。
「ありがとう」
私がお礼を言うと、男の子は、傷だらけの顔で無愛想に言う。
「別に……」
そして男の子は、すぐにそこから立ち去ってしまうのだ。
ちゃんと話をしたこともないし、名前を聞いたこともない。髪の色は金色で、瞳の色も金色だったということしか覚えていない。
でも、その男の子は、私にとってヒーローだった。その男の子に会いたくて、私はいじめられると分かっていながら外で遊んでいたのだ。
少し大きくなると、私もいじめられることはなくなった。そして私は、ヒーローと会うこともなくなってしまったのだった。
「僕はフレディ。僕は、ずっと君を探していたんだ」
「フレディ……」
私は、初めてヒーローの名前を知った。
「子供の頃は、恥ずかしくてろくに話もできなかったけど、本当は、君と話がしてみたかった」
思い掛けない言葉に、顔が熱くなっていく。
「だからね、もう一度君と会えたらって、ずっと思っていたんだよ」
きれいな顔がまた笑う。
私の心臓が、またトクンと音を立てた。
「だけど、今は用事の途中なんだ。残念だけど、今日はこれで失礼する」
「えっ、そうなの?」
運命の再会は、あっという間に終わってしまった。
肩を落として私がうつむく。そんな私に、フレディが言った。
「今度は、ちゃんと時間を作って来るよ。そうしたら、僕と話をしてくれるかな?」
「もちろん!」
私の心は、落胆から喜びへと急上昇。
嬉しさを隠すことのできない私を見て、フレディがにこりと笑った。
「じゃあまた」
軽く手を上げて、フレディが出口へと向かう。
その足が、ふと止まった。
「そうだ、大切なことを言い忘れてた」
私を振り向いて、フレディが言った。
「レナ。君は、とてもきれいになったね」
私が目を丸くする。
体温が一気に上昇していく。
「じゃあ」
キラキラの残像を残して、今度こそフレディは店を出て行った。
胸を押さえて私は立ち尽くす。
ドキドキが収まらない。頭がフワフワしている。
これは、ちょっとまずいかも
とりあえず、私は深呼吸をしてみた。あんまり効果がなかったので、今度は水を飲んでみた。そうしたら、だいぶ落ち着いた。
ちょうどそこに、またもや人がやってきた。
「さっきの冒険者、背中が丸焦げでフラフラ歩いていたが、あの後何かあったのか?」
目付きの悪い男が、珍しく心配そうな顔で言う。
その顔をじっと見つめ、ため息をついてから、私が言った。
「アーロン」
「な、なんだ?」
名を呼ばれた男、アーロンが、狼狽え気味に私を見る。
「私さっき、ショバ代を払ったわよね?」
「そう、だな」
怯えたようにアーロンが答えた。
私の声は、ヤクザ殿をもビビらせるくらい冷たかったらしい。
その声のままで、私は言ってやった。
「役立たず」
私と同じ金色の瞳が思いっ切り広がる。
「それと、前から思ってたんだけど」
ついでだから、もう一つ言ってやった。
「あんたの髪の色、変なのよ」
見る度に色の違う、奇妙な髪をビシッと指した。
顔を赤くしたり青くしたりしていたアーロンが、肩を落とす。
「いろいろ、すまない」
そう言うと、うなだれたまま向きを変え、トボトボと店を出て行った。
哀愁漂うその背中を見て、私はちょっとだけ罪悪感を感じた。
それから数日後、フレディが店にやってきた。商売の邪魔はしたくないと気遣う彼が、閉店後に会いたいと言ってくれたので、その日の夜に会う約束をする。手ぶらで来たお詫びにと、店の商品もいくつか買っていってくれた。
私のヒーローは、子供の頃より間違いなく男を上げていた。
その日私は、早めに店を閉めて、普段はしない化粧をし、滅多に着ることのないよそ行きの服を着て夜の町へと出掛けて行った。
待ち合わせの場所は、町の中心地にあるレストラン。入ったことはないけれど、流行に鈍感な私でも名前を知ってるくらいの人気店だ。
時間よりだいぶ早く着いてしまった私は、店の前で髪の毛を気にしながらフレディを待った。
通りすがりの男たちが時折私を見ていくが、誰も声を掛けてこない。店の外ではいつもこんな感じだ。あの両親の娘だと気付かれない限り、私はどこにでもいる平凡な女子なのだ。
「ま、その方が助かるんだけど」
小さくつぶやいたその時。
「ごめん、待たせちゃったかな?」
フレディがやってきた。
「全然! 私もちょうど今来たところ」
本当は結構待ったんだけど、そんなことは何も気にならない。
私の目の前に立ったフレディが、にこりと笑う。
「レナ。君は、本当にきれいになったね」
またもや不意打ち!
顔が一気に熱くなる。
「じゃあ入ろうか」
顔を伏せる私に構わず、フレディは店の扉を開けた。
扉を押さえて待つフレディを見ることができずに、私はうつむいたまま店に入っていった。
「ここ、よく来るの?」
「いや、あんまり来ないかな」
爽やかにフレディが笑う。
あまり来ないと言いながら、フレディの身のこなしはとてもスマートだった。ちゃんと予約もしてあったし、注文もスムーズ。食事をする姿も様になっている。
あんまりどころか、こういう店にまったく来たことのない私は、ひたすら緊張していた。それでも、どうにか食事を終えてお茶を飲む頃には、私もちょっとリラックスしてきた。
「フレディは、いつこの町に来たの?」
「半年くらい前かな。ずっと冒険者をやってたんだけど、そろそろ決まった仕事に付きたいと思ってこの町に来たんだ。で、どうにかメルム商会っていう会社に入社できて、今じゃあ安定の会社員さ」
「メルム商会に入ったの? 凄いじゃない!」
メルム商会は、この町でも一、二を争う大きな会社だ。経営のトップは会長と呼ばれていて、町の顔役もやっていると聞いたことがある。
「レナが村から引っ越したのは、たしか十才の頃だよね。その時からこの町にいるの?」
「ここに来たのは、一年くらい前よ。それまでは、あっちこっちを転々としていたわ」
「そう言えば、ご両親は有名な冒険者だったっけ」
若い頃からダンジョンを求めて旅をしていた両親は、私を授かったことが分かると、郊外にある小さな村に家を買ってそこで暮らし始めた。でも、もともと定住は考えていなかったに違いない。私が十才になって長旅ができるようになると、家を売り払って再びダンジョン攻略の旅に出た。
両親がダンジョンに潜っている間、私は宿屋で留守番をしていた。子供だったということもあるが、そもそも私は、ダンジョン探索というものにまるで興味が湧かなかったのだ。
私が興味を持ったのは、薬に関すること。生まれた村に住んでいた、優しい薬師のおばあちゃんの影響だった。
そんな私のためなのか、それとも体力低下を感じたからなのかは分からないけれど、ある時、両親は冒険者をやめた。そして、この町で空き店舗を借りて小さな薬屋を開いた。それが今の店だ。
「でも、たしかご両親は……」
「ええ。この町に来てすぐに亡くなったわ」
遠慮がちに聞くフレディに、私は笑って答えた。
この町のすぐそばに、”悪魔の巣”と呼ばれるダンジョンがある。そこは、入り口を入ってすぐから強力な魔物が出てくる最上級ダンジョンだった。
制覇した者は一人もおらず、無数の死傷者を出し続ける。そのあまりの過酷さゆえに、町と冒険者ギルドが入り口に頑丈な扉を設置して誰も入れないようにしていた。ところが、今から一年ほど前、その扉を破って中に侵入する者たちがいた。
そのダンジョンには、誰も手にしたことのない素晴らしい秘宝が眠っているという噂がある。その秘宝を狙って、愚か者がダンジョンに潜ったのだ。
だが、それは失敗に終わった。大量の魔物に追われて逃げてきた愚か者たちは、入り口から飛び出してきたところで全滅した。
溢れ出てきた魔物たちに衛兵や冒険者が立ち向かうが、とても防ぎ切れない。魔物の勢いは留まるところを知らず、そのまま町は魔物に飲み込まれてしまうかと思われた。
その危機を救ったのが、私の両親だった。
魔物の群れを切り裂いて二人が突進する。そして、魔物の中心で母が大魔法を発動した。
魔物は全滅した。両親は、自ら放った魔法で死んでしまった。
「ご両親はお気の毒だったね」
「町を救うためだったんだもの。仕方がなかったって思っているわ」
あれからもう一年が経つ。さすがに涙も涸れ果てた。
そう思っていたのに、気が付くと、私は泣いていた。
「大丈夫?」
フレディが、心配そうに私を覗き込む。
私は、慌ててハンカチを取り出して目に当てた。
「ごめん、ちょっと思い出しちゃって」
そう言って、無理矢理笑ってみせる。
「でも、今日は嬉しかった」
「どうしてだい?」
首を傾げるフレディに、私が言った。
「あなたは、私にとってヒーローだったのよ」
「ヒーロー?」
「そう。いじめっ子たちから私を守ってくれたヒーロー。また会うことができて、本当に嬉しかった」
私は、心からの笑顔をフレディに向けた。
その後、私たちはいろいろな話をした。生まれた村のこと、この町の事や私の店のこと、フレディの冒険談。
フレディとの話は楽しかった。両親を亡くして以来、間違いなく一番の楽しい時間だった。
だけど、そんな時間にも終わりはやってくる。
「明日も店を開けるんだろう? そろそろ帰ろうか」
「そうね」
本当はもっと話をしていたかったけれど、たしかにそれなりの時刻だ。
会計を済ませて、私たちは店を出た。
「本当にご馳走になっちゃっていいの?」
「もちろん。僕から誘ったんだし」
「ありがとう」
最後までフレディは紳士だった。
「また会ってくれるかな?」
「ええ、いつでも」
「本当に? よかった!」
嬉しそうなフレディを見て、私も嬉しくなる。
「送っていくよ」
「ありがとう」
並んで歩きながら、私はフレディをちらりと見た。
街灯の明かりに髪が輝く。
前を向く瞳が美しく光る。
私は、自分の右手を左手で押さえ込んだ。
私の感情が、彼に触れたいと言っていた。
私の理性が、彼はダメだと訴えていた。
私の葛藤に気付くはずのないフレディが、私に向かって、また微笑んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます