ルーシュオン




 青い蝶が舞う森を歩く。集落の奥へ行くほど花が咲き乱れ、景色も華やかになっていった。エルフ達は透明感のあるひらひらした白い服を着ていて、蜘蛛の糸で編んだようなきらめく透明のマントを肩に掛けている。その格好のまま矢筒を背負って、短い弓を持っていた。


「ほんとにファンタジーね」


 呟くと、アシャが反応した。


「ファンタジーって何?」

「人間の書く空想の物語です」

「そこに、ハラットの民が出てくるの?」

「いいえ、ハラット……のことを人間達は知らなくて。でも、こんな人達がいたら素敵だなって、想像したものというか」

「ふうん」


 するとアシャは上機嫌に微笑んで、繋いだ手をきゅっと握った。「だから私達、人間に懐かれるのね。夢物語の存在みたいだから」と言う。


「懐かれる?」

「ええ。初めて会ったのに、こうして手を握ってくれるでしょう? 猫じゃこうはいかないわ」

「……そうですね」

「でもウニャのところのルーシュオンは、あなたほどいい子じゃないみたい。しょっちゅう脱走するのよ」


 ふふ、と笑うアシャを少し気味悪く思いながら、私は彼女が指差した方向に目をやった。可愛らしい建物が並ぶ中に一軒だけ、檻で覆われたような家がある。


「……あれ」

「ええ、ウニャの家。ああしておかないと逃げちゃうんですって。大変なのよ、意外とすばしっこくて。私も何度か捕まえるのを手伝ったの」

「……そうですか」


 これはもしかして、すごく大変なことが起きているんじゃなかろうかと、私は嫌な予感がした。垂らされた縄梯子を登って、木の上に上がる。すごく高くて怖い。身震いしていると、アシャが「大丈夫よ」と私の髪を撫でた。悪い人では、なさそうなのだが。


「ウニャ! ウニャいる?」

「いるよ」


 呼びかけに返答があった。檻の奥でギィと扉が開いて、男のエルフが顔を出す。


「あれ、どうしたのその子」

「ローシェが拾ってきたの。ルーシュオンのお嫁さんにどうかと思って」

「いえ、あの私は」

「へえ、いいかもしれないね。なかなか綺麗な顔立ちをしているし……そうか、もしかしてルーシュオンの脱走は、番を探しに出ようとしていたのかな」

「猫と一緒ね。猫も、男の子は旅に出るもの」

「確かにそうだ! おーい、ルーシュオン!」


 ウニャというらしいエルフが奥に引っ込むと、すぐに戻ってきた。人間の男性の手を引いている。二十代くらいの日本人。私より少し年上に見える。彼は私を見るなり大きく目を見開いて、顔を真っ青にした。


「また、人間を捕まえてきたのか?」

「ローシェが拾ったんだってさ。どうだい、君のお嫁さんに。可愛い顔をしているし、黒髪だ。君と同じ種族だろう?」

「そうだね、美しい人だ。ぜひ妻に迎えたい」


 真っ青な顔のまま早口に青年が言った。ウニャが「良かった!」と手を叩いて喜び、アシャが少し恥ずかしそうな声で「決まりね。なら、私達も一緒に住まないと」と言った。


「え、それって……」

「そういうことよ」

「僕の片思いかと思ってた!」


 抱き合う二人のエルフ。突然隣でラブロマンスが始まったが、私は困惑したまま目の前の日本人の青年を見つめていた。状況が意味不明すぎて、そろそろ目眩がしてきた気がする。


「……青川、葵です」

「緑野カケルだ。飛翔の翔って書いてかける。エルフ達は翔ぶものルーシュオンと呼ぶけれどね」


「ねえ、アスタリエン」

「葵です」


 アシャに呼ばれて振り向くと、彼女はニコニコしながら「彼を気に入った?」と尋ねてくる。


「気に入ったって?」

「あなたの旦那様にどうかしら?」


 ちらと青年を見て、どうも話の通じなさそうなアシャを見て、今彼と引き離されるのは得策ではないと判断した。


「いいと思います」

「そう! 良かったわ!」


 緑野さんが頬を赤くして目を逸らす。照れるな。さっきあなたがやったことと同じだろうに。


 エルフ達はそのままイチャつき始め、私と緑野さんはその場に取り残された。すると緑野さんは少し身を屈め、ひそひそと私に尋ねてくる。


「……君は、どうしてここに?」


 先程ごまかしてこじれそうになったのを思い出し、素直に「これ以上生きていたくないと思って」と答える。彼は一瞬絶句して、そして少し俯くと「僕は……大学で植物の研究をしていてね」と言う。


「フィールドワークの途中だった」

「大学生?」

「いや、講師」

「すごいんですね」

「学生が一緒じゃなくて良かったよ」


 あまり歳は変わらないように見えるのに、とても落ち着いた話し方をする人だ。顔は若いが、瞳の表情は妙に老成している。こんなところに監禁されているせいでそうなったのかもしれないが。


「これ以上生きて……ということは、この森を出ようとは考えていないのかな」

「いえ、出たいですね。いい加減疲れたので。……驚きすぎて死にたい気分じゃなくなってきたのは良かったのかもしれませんが」

「それは良かった」

「でもまた、そのうち同じようになりますよ。こういうのは波があるんです」

「それは困ったね」


 緑野さんは淡々と頷いて、そして突然私の肩を抱き寄せた。肩に顔がぶつかって、反射的にぎゅっと体を縮める。


「え、なんですか」

「エルフ達が見ている」


 初対面の男性に対する恐怖より、胸が甘い感じで高鳴る方が優ってしまって、そんな自分が少し嫌だった。確かに、すらりと背が高く整った顔立ちの緑野さんは、こんな状況でなければ結構好みのタイプかもしれない。でも、こんな時に。


 エルフ達は私達が仲良くしている様子なのを見て満足したらしく、檻を施錠してどこかへ出掛けていった。そろそろと体を離した緑野さんは、耳まで真っ赤になっていた。自分よりよほど恥ずかしがっているのを見ると少し気持ちが明るくなって、数ヶ月ぶりに声を出して笑った。





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