第40話 唐突な別れ

 両者の間に横たわる張り詰めた空気が、闘気と殺気で押し潰され、いびつに圧縮されていた。

 狡猾さを窺わせるデスバッファローの双眸そうぼうと、下から睨め付ける大和の鋭い眼光。

 大和が一足飛びで斬撃を繰り出せるこの距離は、彼の倍近い体躯を誇るデスバッファローの得意とする間合いでもある。


 互いに動かない。いや、動けない。


 指先一つの動きに対し、ピクリと体が反応する。両者とも。

 先手を取り合う見えない応酬が熾烈しれつに繰り広げられる中、先に静寂を切り裂いたのは。


「———フッ!」

 

 やはり、大和。


 吸い込んだ息を吐きつくし、スピードへと還元する。

 体躯のハンデを帳消しにする、得意の速攻、一足飛び。

 するりと間合いに滑り込む、デスバッファローの懐に。


「———おおおおお!」


 喉から絞り出される咆哮を伴い、沈んだ体勢から全身の撥条ばねを解放した、切り上げ一閃。

 

『グオオオオ!』


 その剣筋に被せるように振り下ろされる、力をたぎらせたデスバッファローの右腕。そして逆に、振り上げられる左腕。

 勝利を得るために右腕の犠牲を省みない、デスバッファローの捨て身の戦術だ。


「……へっ、だと思ったよ」

『グォモッ!?』


 途端、大きく広げた切り上げの剣筋、その翼を畳んだ大和。

 デスバッファローの右腕が刃にかすめ、空を切る。ちりんと小さな音色を奏でながら、外魔獣モンスターの右腕をいなす形で上体を起こした大和は、振り上げられた左腕に向かって斬撃の翼を再び羽ばたかせる。

 カウンター気味の一閃が、デスバッファローの左腕に噛み付いた。

 

『ギャオオオオオオオオオオッッ!』


 なみなみと中身が注がれた小瓶が宙を舞うように、切断された左腕が体液を撒き散らしながら、地に落ちる。


 大和の野生の勘がもたらした一撃だった。


 斬撃を喰らう覚悟の右腕ならば、断ち切ることはできなかったかもしれない。覚悟を孕み膨張した筋繊維で剣筋を止められて、デスバッファローの打ち下ろしが大和に炸裂。今とは逆の未来も、否定はできない。

 

 一見すると、大和の完勝に見えるが、実際は拮抗していた。

 戦い慣れしたデスバッファローと、集中力を研ぎ澄ました大和。

 勝負の目は、どちらに転んでも不思議ではなかった。

 

 大和は続けざまに二閃目を横へ薙ぎ、デスバッファローを確実に絶命させると、クリスティたちの戦場へと駆け出した。

 二人はよく戦っていた。手負いとは言え、自分たちより高ランクであるデスバッファローの注意を充分と引きつけるほどに。

 大和は二人の背を盾に、死角から跳び上がる。唖然と見上げるデスバファローに、奇襲の唐竹割り。その活動を停止させた。


 火傷を負ったデスバッファローには、やや遅れて到着したエリシュがレイピアで刺突。確実に止めを刺すのを確認して。

 

「よし! こっちは終わったぞ! マルク、早くオマエも来い!」


 通路の遠方を照らしている緑の炎陣に向かい、大和は声を荒げた。


「……すまないが、お前たちだけで先に進んでくれ」

「は? な、何を言ってるんだマルク!」

「……俺の『集え慈悲の守護壁インティマシーウォール』もな、ヤマトのスキルほどじゃないが、一度使うと相手を拘束できる代わりに、俺も動けなくなるほど体力を消費してしまう」

「んなこと構わねーよ! 俺が肩でも何でも貸してやるから!」


 マルクは肩越しに振り向いた。

 その顔にはしっかりと優しさが刻み込まれている。

 何一つ変わらない、普段通りの顔。大人の慈愛に満ちたマルクの顔。


「どの道、俺は長くない。……そして、そろそろ俺の力は尽きてしまう。だから、早く行け」


 マルクの脇腹は赤く染まり、右足首の裂傷からは血が滴っていた。

 今までひた隠していたマルクの傷に、大和たちは喫驚する。


「いやっ! マルクさん!」

「そうですよ! そんな傷、回復薬ポーションで治せます! 早く逃げましょう!」

「……クリスティ、アルベート。その回復薬ポーションは残りあと何本だ? 俺のこの傷を治すのには数本は飲まなければならないだろう。そうなればこの先、エリシュの魔法力を回復に費やさないといけなくなる。クリスティだって治癒魔法ヒーリングを使い果たしただろう? エリシュの魔法力は突破の力に充てるべきだ。そして残り少ない回復薬ポーションは、スキルを使って足手まといになる俺に使うものじゃない。……最期くらいは、カッコつけさせてくれないか」

「そ、そんな……」


 アルベートがゆっくりと、膝から崩れ落ちた。


「アルベート」

「は、はい!」

「お前はもっと強くなれる男だ。足りないのは覚悟だけだ。他人を守れる強い男になってくれ」


 マルクの視線が、移ろっていく。


「クリスティ」

「は、はい……」

「お前とは長い付き合いだったな、孤児院の連中が巣立ち、そして死んでいく中、お前だけが心配だった。……もう、俺が心配することはないくらい、お前は成長した」


 視線の終着点は大和だった。


「ヤマト……レイナさんに、会えるといいな」

「なっ! なんでマルクが玲奈の名前を……」

「さあ! 早く行け! 俺の力が消えてしまう前に!」


 エリシュが大和にそっと近づいた。エリシュの表情にも哀愁が浮かべられている。


「……ヤマト、先に進みましょう」

「エリシュ……」

「このままだと本当に、マルクは無駄死にになってしまう」


 大和はゆっくりと通路を戻り出した。

 マルクの背まで、後少し。ここで大和の足が止まる。

 先に進めない。これがマルクのスキルの威力。

 二人を隔てる見えない壁に、大和がそっと手を添えた。


「……本当に、いいんだな……」

「ああ……あの二人の面倒をよろしく頼むよ。きっとお前にしか、できないだろう」


 大和は踵を返し、駆け出した。溢れ出る涙を置き去りにしながら。


「———いくぞ! 下層へ! おらぁ! アルベート! 立ち上がれ!」


 アルべートを力ずくで地面から引き剥がし、大和は階段へと向かう。


「マルクさん! マルクさーん!!」


 アルベートの悲痛な叫声きょうせいが、階段を覆う闇の中へと消えていく。

 同時にマルクと外魔獣モンスターを取り囲む、翠焔が小さくなり始める。

 かざした両手が力なく垂れ下がると、ほむらは完全に消滅し、そのままマルクは両膝を地につけた。


(悪いな、みんな。最後まで付き合えなくて。……ああ、これで孤児院のみんなにようやく会える)


 動きを取り戻したキュクロープスが、地面の小石を跳ね上げながらマルクに近づいていく。


(褒めて……くれるよな。父ちゃんは最後まで、頑張ったぞ)


 石斧が、無造作に振り下ろされる。

 鮮血が迷路ダンジョンの壁に飛び散った。

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