第32話 冒険者の嗜み

「あいてててててて……」 

「ヤマト! 49階層の出だしからランクAの外魔獣モンスターとの真っ向勝負は厳しい! ここは一旦退こう!」


 アルベートから発せられた緊張感とは程遠い間延びした声をかき消して、マルクが即時退却を促した。俺もしがみついた大木から手を離し、飛び降りる。


 いやまったく。同意見。俺もそう思う。


 急造チームの初戦でランクAとの命の凌ぎ合いは、少々荷が勝ち過ぎいている。ランクの高い外魔獣モンスターの脅威は、嫌というほど身に染み込んでいるつもりだ。


「おら! グズグズすんな! 逃げるぞ!」

「ヤマトさん、すみません!」


 地面に腰を沈めるアルベートの手を引いて、後ろの二人に「退け!」と鋭い撤退命令を伝令する。エリシュとクリスティが背を向けて駆け出した。

 垂れ下がる枝葉を掻き分け、倒れた木々を踏み越えて、足場の悪い道程をトレースするかの如く、辿ってきた道を全力で駆け戻る。


 通路の曲がり角に差し掛かる。背後から研ぎ澄まされた刃物にも似た、殺気が放たれた。


『グキャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァ!』

 

 道を分断していた倒木の上———ついさっきまで俺たちがいた場所に、オクトパスデーモンが仁王立ちで狂い猛っていた。


 ほぼ直角の折れ曲がった道を、左に曲がる。荒れ狂うオクトパスデーモンの視界から一時姿を隠せたものの、道は迷うことない一本道。怖気付きそうになる甲高い叫換きょうかんは、ちっとも背中から離れてはくれない。

 どうやらオクトパスデーモンは油分の少ない木の実よりも、人肉が好物のようだ。


 ———せっかくこの階層フロアも半分近くまで進んだのに、このままスタート地点までUターンかよっ!


 逃げながら焦りが苛立ちへと姿を変え、俺の全身を容赦なく真っ黒に塗りたくっていく。

 心中穏やかならぬ逃走劇の真っ只中、何を思ったのかマルクが急に足を止めた。


「———全員止まれ! 止まるんだ!」

「おいマルク! まさか戦うってか!? 気は確かかよっ! こんな乱れた息と陣形じゃ、勝負になりっこねぇ……って、お前、何やってるんだ。壁に手を当てたりしてよ」

「確か……ここだった筈。……よし、みんなこの中へ!」


 マルクが迷路ダンジョンの壁の岩肌を、唐突にいた。その先には身を屈めれば数人が入れるだろう空間が、ぽっかりと口を開けている。

 全員がその横穴に身を収めると、自身も横穴に入って蓋をする。

 蓋の裏側に偽装は不必要だ。木目が剥き出しになった蓋の取手を持ち、小さな覗き穴からマルクは外の様子を伺っていた。


「40階層台にも、『避難ホール』があるんですね!」

「……静かに、アルベート」


 狭い空間に身を寄せ合うようにひしめきあう中、俺は声をひそめてアルベートに耳打ちをした。


「ぉぃ……なんなんだここは」

「強い外魔獣モンスターの追跡を振り切るために作られた隠れ場所です。穴の蓋には砕いた迷路ダンジョンの岩を貼りつけていますし、ぱっと見だけじゃ絶対バレません」


 小声でアルベートから説明を受けていると、やや高音の唸り声は軽微な振動を伴いながら、軽やかに右から左へと流れていく。息を殺して身を潜めて数十秒。外魔獣モンスターの気配が辺りから完全に消え去ったことを確認したマルクが、蓋を外して通路に出た。


「……よし、みんなもう出てきても大丈夫だ」


 屈めていた体を元通りにしながら、壁から生まれるようにして、俺たちは迷路ダンジョンへと戻る。


「……こんな避難場所みたいなのが、迷路ダンジョンにはいくつもあるのか?」

「ああ。冒険者俺たちが狩場とする階層フロアには、な。普段は商売敵の冒険者フリーファイターたちだが、この『避難ホール』を作るときだけは皆、協力を惜しまない。そして互いに情報共有する。ランクAの外魔獣モンスターなんて奇襲ならともかく、まともに戦ってたら体がいくつあっても足りはしない。冒険者俺たちの生業はあくまでドロップアイテム収集だからな。なのでこんなモンも、必要になってくる」


 マルクが『避難ホール』の蓋を閉める。瞬時に壁と同化した。完璧な偽装。そこにこんなモノが存在すると知り得ていなければ、発見など到底不可能だ。

 ましてや知能の低い外魔獣モンスターともなれば、なおさら。


 ———コレを上手く利用すれば、下層まで楽に進めるかもしれない。


 心の中の歓喜の声が顔に漏れ出ていたのか、俺を見たマルクは神妙な面持ちで忠告を刺してきた。


「……冒険者フリーファイターのメインとなる狩場は50階層台だ。この『避難ホール』も40階層台にはそう多くない。30階層台ともなれば数えるほどだ。いつも上手く逃げられると思わないでくれ。……それと、アルベート。アイテムコレクションがお前の趣味なのはもう諦めているが、ヤマトたちに迷惑をかけるなよ」

「すみませんでした! マルクさん、みんな。そして兄貴!」

「アイテムコレクションったって……お前らそれを売るんだろ? コレクションできねーじゃねーか」


 俺の言葉に目を輝かせて。

 アルベートは腰のポーチから、くるくる巻かれた洋紙をピラっと開いてみせた。


「もちろん売りますが、集めたアイテムを記録に残すのが、俺の趣味なんです!」


 そこにはびっしりと、アイテムの詳細が事細かに図解説付きで書かれている。


 ———冒険者フリーファイターでも、いろんなヤツがいるんだなぁ。


 思い知らされた俺は、引きり笑いで返答する。誤解を与えかねない俺の顔の綻びは案の定、アルベートの笑顔にさらなる輝きを与えた。

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