第15話 ここは別世界……かよ!?

 エリシュのMP魔法力にも底が見え始め、俺の体を覆う軽装備プロテクターに至っては葉脈のような亀裂が走り、あちこちが崩れかけている。

 二人して満身創痍の状況でどうにか辿り着いた80階層、居住階層ハウスフロア

 迷宮ダンジョンから繋がる階段を降り、高い壁にぽつんと設置された重く分厚い扉を護衛に開けてもらい、とうとう足を踏み入れる。

 王が君臨する最上階、88階に一番近いこの居住階層ハウスフロアは、いわば選ばれた者たちが住む階層フロア

 王に近しい血統の者や、ステータスランクが高い者が居を構え、豊かな生活を楽しみ日々を過ごしているらしい。

 したがって、80階層は贅と虚栄に溢れかえっていた。


 中心に伸びる聖支柱ホーリースパイン煌々さんさんと遮蔽物のない階層フロアを照らし続け、それを飲み込む形で作られた、ただただ美しさだけを追求した人工池。その池を取り囲むようにして逞しい人を模した石像が何体も立ち並んでおり、手にした瓶からは止めどなく溢れ出す水流が水面みなもを白く揺らしている。

 その池を起点として豪奢だけど、意匠がよく汲み取れない———はっきり言ってしまえば意味不明で奇抜なオブジェが林立し、人が住むと思われる建物が放射線状に広がっていた。

 

 迷宮ダンジョンエリアとはこうも違うのかと、喫驚の表情を浮かべる俺の手にエリシュがそっと触れ。


「さあ、早く階層主フロアマスターに会いに行きましょう、と言いたいところだけど、まずはその格好をなんとかしないと。あと、ここではブレイク王子のお顔を知っている人が多くいるわ。……少しの間、これで顔を隠して頂戴」


 渡された一枚の白い布。

 言われるがままに、それで顔を覆い隠す。途端に甘く優しい香りが鼻腔をくすぐり始めた。


 ———それにしても、こんな布をどこから……。


「……お、おい。まさかコレ、お前の肌着とかじゃねーよな」

「仕方ないでしょう。今はそれで我慢して」


 少々赤面したエリシュはそのまま俺の手を引いて、オブジェの森を足早に縫い歩く。

 向かった先は、一際大きな建物の前。

 賑やかな看板が中の様子を主張しているところから、デパートのような場所なのだと推測できた。

 ゆったりしたスロープを上がって建物内へと入った俺は、その絢爛さに目を白黒させた。


 棚に食料が潤沢に並べられ、煌びやかで派手な衣服が飾られている。やや混雑した人々の群れは皆一様に笑顔を浮かべ、この世の春を謳歌していた。

 当然この場所には、地を這うような外魔獣モンスターの唸り声もなく、血の匂いも死の緊張感なんてものもない。お門違いもいいところだ。


「なんだよ……なんなんだよここは……? 一階層違うだけで、こうも違うもんなのか?」

「この80階層の居住階層ハウスフロアは特別なの。もっとも外魔獣モンスターの襲撃から遠い階層だから。みんな戦いとは無縁な場所だと信じて疑わない。だからハラムディンの民は、一つでも上の居住階層ハウスフロアを目標にしているのよ」


 ピラミッドの中に作られたハラムディンという国は、下層では外魔獣モンスターを食い止める戦いを繰り広げている。当然上に上がれば上がるほど、外魔獣モンスターの数は少なくなるのも頷ける。

 ただ、それだけではどうにも腑に落ちないことが、一つある。


「なあエリシュ。上層階が安全なのは理解できた。だけどさ、この80階層に辿り着くまで、俺たちは外魔獣モンスターと戦ってきたよな? それもかなり手強いヤツだ。ソイツらはこの80階層を抜けてきたんだろ? それなのにこの緩さは理解できねぇぞ」


 前を歩くエリシュが足を止める。黒髪を優しく浮かせ振り向くと、真摯な瞳が俺を見た。


「……この居住階層ハウスフロアから下層に向かう階段と、上層に向かう階段は強固な壁に阻まれた一本道が作られているの。この階層の住人が安全に暮らせるために、ね」

「……なっ! それじゃみすみす外魔獣モンスターを上層に上げちまうだけじゃねーか! まったく意味がわからねーぞ!」


 詰め寄る俺から背けたエリシュの顔には、かげりが生まれている。


「理由は簡単よ。まず一つ。この80階層に登ってくる強敵も、最上階を守る戦士たちはそのほとんどがステータスランクAの強者たち。いくら80階層に登ってくる外魔獣モンスターでも束になって襲われない限り、十二分に王城を守り通せるの。……そしてもう一つ。ここまで外魔獣モンスターが登ってくる間、その数はだいぶ減らされる。この80階層の居住階層ハウスフロア以外は、外魔獣モンスターの侵攻を防ぎながら、戦いと共に生きているの。80階層や王城の住人は『肉の壁』なんて呼んでいるけどね」

「……ひでぇ話だな」

「でしょう。私もそう思う。そしてブレイク王子もそのことをとっても嘆いていたの。『我々は民に生かされている』って」


 最上階の王城には、その地位に深く腰を落とし、うすら笑いを浮かべながら下を見下ろしている者もいれば、俺の依代よりしろとなったブレイクのように、心を痛めている者もいるようだ。


「だからこの80階層は特別な場所と言ったでしょ? ようやくその本当の意味がわかったようね……」


 そう小さく溢したエリシュの顔は憂いの色に満ちていた。

 その面持ちだけで、エリシュも心を痛めている一人だと分かり、俺は反吐へどが出そうなこの国のシステムの不快感を少しだけ和らげることができた。

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