第389話 間隙のホム

 戦況は刻一刻と変わっている。不利であろうとも、そこに絶望はない。


 イグニスの油断は必ず隙となる。僕たちは三人で、この場を切り抜ける機会を伺いながら戦い続けるだけだ。


 デモンズアイの幼体との決着がつけば、ヴァナベルたちも僕たちに追いつく。今はそれまでの時間を稼げばいい。


 ――負けない。

「ワタシたちは負けない!」


 僕の心の声と、アルフェの凛とした声が重なって響く。ホムが骨の山から高く跳躍するのを合図に、アルフェはホムの全身に風魔法ウィンドフローを付与する。長靴ブーツとの相乗効果によって、ホムは更に加速してイグニスに向かって行く。


「はぁあああああっ!」


 武装錬金アームドで固めた拳を振りかぶり、ホムが落下と加速の勢いに乗せてイグニスの巨躯に拳を叩き込む。


「無駄だ! 何度来ようがオレ様にダメージはないぞ!」


 イグニスが吠えるが、ホムは攻撃の手を休めない。骨の山に着地するや否や、胴部に潜り込み、下から突き上げるような攻撃を続ける。


「小賢しい! まるで蠅だな!」


 鉤爪を振り回すイグニスの声に明らかな苛立ちが混じる。烈火の如く怒り狂う炎も、ホムには及ばない。身体を巨大化させたせいで、イグニスは胴部に潜り込んだホムを捕らえきれないのだ。


 それ以前に、ホムはもうイグニスの攻撃を見切ってしまっている。大ダメージを与えることこそままならないものの、ホムには僅かな余裕が生まれている。


「遅すぎます!」


 イグニスを敢えて煽るホムは、攻撃の単純化を狙っている。カナルフォード杯でもそうだった。怒りで我を忘れたイグニスの攻撃は、威力こそ増すものの、冷静さを欠くのだ。


「エステアに比べれば、イグニス、あなたの攻撃など――」

「五月蠅い! ちょこまか動き回るヒトモドキが! 我らが崇高な魔族にとっての害虫がぁああああっ!」


 イグニスが大きく後退し、轟々とうねりを上げる炎を宿した鉤爪でホムを追い回す。骨の山が砕け、崩れ、白い粉塵となり、ホムの姿が掻き消える。


「どこにいても無駄だ! 燃やし尽くしてやるからな!」


 イグニスが咆吼と炎を上げながら、骨粉の煙幕の中で荒ぶっている。


「ホムちゃん、伏せて!」


 体勢を立て直すホムの気配を察してか、アルフェが鋭く声を放つのと同時に、無数の水の槍ウオーターランスがイグニスの荒れ狂う炎に殺到する。


「無駄な足掻きを!」


 アルフェが無詠唱で発動した水の槍ウオーターランスと入れ替わるように、ホムがこちらに戻ってくる。息が乱れていることから、ホムが消耗し始めているのがわかった。


 打撃のみでは決定打を与えられない。それを察したアルフェの援護も、イグニスに決定的なダメージを与えるには至らない。だが、今はこの時間が重要だ。


「しつけぇんだよぉおおおおおおっ!!!」


 大口を開けたイグニスの咆吼がさながら邪法の詠唱であったかのように、炎が激しく燃えさかる。自らの巨躯を炎で包み込んだイグニスを前に、水の槍ウオーターランスは瞬く間に蒸発する。


「訂正してやる。蠅にも及ばんぞ! ヒトモドキどもめ!」


 イグニスの嘲笑とともに、炎が更に燃えさかる。確かに生半可な攻撃ではイグニスの炎の守りを突破することは叶わない。だが、アルフェが作り出した僅かな隙が、今は大きい。


「粘液よ。絡み纏わりつき――」


 アルフェのように素早く魔法を発動することは出来ないが、僕には真なる叡智の書アルス・マグナがある。


「自由を奪え。グルー」


 猛る炎は上へ上へと燃えさかる。それならば、粘度を伴う水魔法を、イグニスの足元に発動させればいい。


「ハッ! この程度の魔法でオレ様を捕らえられるとでも――」

「捕えろ!」


 イグニスの声を遮り、接着魔法グルーに指向性を与える。骨の山を包み込む粘度の高い水魔法は、さながらスライムのように絡みつき、イグニスの四肢にまとわりつく。


「馬鹿が! 無駄だと言うのにまだやるか!?」


 不快感を露わにしたイグニスが咆吼し、身に纏った炎が小さな爆発を幾つも起こす。その熱で接着魔法グルーで生成された接着剤が溶けはじめ、イグニスが勝ち誇ったように牙を剥き出した。その余裕が大きな隙になることを、イグニスはまだわかっていない。ホムはもう準備を終えている。


「ホム!」


 僕とアルフェが稼いだ時間を、ホムは全て充電に回していた。ホムが足を踏み鳴らすと同時に、軌道レールから紫電が迸る。


雷鳴瞬動ブリッツレイド!」


 詠唱と同時にホムの身体が、雷光の如く射出される。従機の装甲すらも打ち破る最大威力で放たれる雷鳴瞬動は、獄炎獣イフリートにも通用する。


「はぁあああああっ!」


 閃光を纏ったホムの蹴りが炸裂し、イグニスの巨躯が骨の山に沈む。僕の目には右半身が吹き飛んだように映った。

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