第376話 報告を終えて

★エステア視点


 プロフェッサーの蒸気車両で正門前に到着した私は、正門前で駐機姿勢を取る機兵と生徒達の声が聞こえる校舎を見上げて安堵の息を吐いた。


「本当に、ここで良かったのですか?」


 黒竜騎士団への報告書を作成するために、医務室での治療途中で私に同行を頼んだことを心配しているのだろう。そうとは明言せずに、プロフェッサーが気遣ってくれる。その気遣いを察して、私は笑顔を作った。


「はい。大闘技場コロッセオに引き返すなら、ここから折り返した方が早いですし」

「現地での証言、本当にありがとうございます。改めて点滴を受けてしっかり休んでください」


 私の笑顔に安心してくれたのか、プロフェッサーも笑顔を浮かべてくれる。休むようにと釘をさされたような気がして、私は首を竦めた。


「……どうでしょう? 軍所属の先生方が入れ替わりに証言に行きますし、こういうときこそ生徒会が代理を務めなくては」

「生徒会は会長一人ではないですからね」


 私が無理を押してでも働こうとするのをわかっているのだろう、プロフェッサーが諭すような言葉を向ける。似たような意味のことをホムに言われたばかりだというのに、私は自分の変わらなさがおかしくなって、苦笑を浮かべた。


「ええ。そのとおりです。……マリーとメルアにも口酸っぱく言われているのに、一人でどうにかしようとする癖はなかなか直りませんね」

「それに気づけているなら、意識が変わったということ。行動を変えられるようになるまで、もう少しだと思いますよ。では、私はこれで」

「ありがとうございます」


 頭を垂れる私に会釈し、プロフェッサーがハンドルを切る。蒸気車両は動力音を響かせて大闘技場コロッセオへと引き返していく。スピードを上げているところを見るに、やはりかなり時間に追われているようだ。私と入れ替わりに事後処理を務めることになったマチルダ先生が、蒸気車両の後を追って箒で飛んでいく姿を見つけたが、それも見る間に遠くなった。


「……ふぅ」


 誰もいなくなった正門前で、人知れず、大きく息を吐く。医務室で点滴を受けて少し休んだけれど、充分とはいえない。気を張っていないと少しふらついてしまうのは、やはり魔力切れを起こしても気力だけでホムとともに戦った影響が強く残っているせいだろう。今頃は皆点滴を終えている頃だ。そんな時に私だけ休ませてもらうわけにもいかない。やるべきことは山積みなのだから。


 そこまで考えて気合いを入れ直そうと足に力を込めたところで、蒸気車両の方から金属音が幾つか響いた。


「……誰かいるの?」


 なんらかの部品を落としたような金属音だ。校門の前に駐機されている機兵四機とリーフのアーケシウスに視線を移して問うと、すぐに二つの人影が動いた。


「僕たちだよ」

「これはこれは、エステア殿! お戻りでござるな!」


 見覚えのある生徒は、リーフたちと同じ1年F組のアイザックとロメオだ。


「二人とも、そこでなにをしているの?」

「見ての通り、機体の損傷箇所を調べているでござるよ」


 どうやら先ほどの金属音は、レンチを落とした音だったらしい。アイザックが尻尾を使って器用に自分の方へと引き寄せて拾い上げながら、応える。


「格納庫に戻して修理しようにも、大闘技場コロッセオ界隈は黒竜騎士団によって封鎖されるって聞いたからね。だから、学校にある部品を使ってせめて応急処置が出来ないかなって」


 察しが良いのか、ロメオが聞こうとしてきたことを先回りして説明してくれる。


「そうだったのね。……応急処置で済みそうなものなの?」


 見たところ大破しているというわけではないが、それでもそれなりの損傷があるだろう。なんだか不思議な気がして問うと、アイザックがぶんぶんと首を横に振った。


「いやいや、逆でござる。損傷箇所があまりに多すぎて、このままだと最悪自重で損傷が進んでしまいそうなのでござるよ」

「ほら、ヤクト・レーヴェなんかが顕著だけど、膝のところの装甲板が歪んでるでしょ? ここの魔力収縮筋って人間で言う靱帯みたいなものなんだけど、そこが幾つか切れちゃってる。駐機姿勢でこういう体育座りをさせていなければ、上半身の重みで歪みが強くなって更に損傷が進むだろうね。今もまあ、黒血油こっけつゆの流出を止めながら損傷箇所を確かめているんだけど、思っていたよりは悪い……かな」


 アイザックの説明に続いて、ロメオが詳しく補足してくれる。


 私自身、メカニックとしての知識は乏しいけれど、それがかなり大きな修理を要する損傷であるということだけはすぐに理解出来た。


「そんなに……」

「とはいえ、それをどうにかするのが拙者とロメオ殿のメカニックの役割でござる!」

「ポジティブに捉えれば、これでヤクト・レーヴェの弱点が顕在化したわけだから、きっと前よりいい機体になるよ」


 アイザックとロメオが明るい声で宣言する。二人の前向きな考え方には、それを聞くだけで勇気づけられるものがあった。


「……そう……そうよね。ありがとう、二人とも」

「エステア殿もお疲れ様でござるよ。魔族と戦った後というのにほとんど休んでいないのでござらぬか?」


 アイザックとロメオの二人にも、無理をしないようにと言われたような気がする。それほど深い交流を持っていない生徒にもそう思われているということは、私はきっと一人で全部背負ってしまっていたのだろう。ホムがあれだけ心配した意味が、改めてわかった気がする。


「そうね。でも、魔族と戦った後だからこそ、やるべきことが山積みなの。生徒会のみんなに助けてもらいながら、進めなくちゃ」

「リーフたちがいれば、心強いね」

「ええ、本当に。リーフが副会長を引き受けてくれて、みんなをまとめてくれる……こんなに心強いことはないわ」


 私に必要なのは、人を頼ることだ。信じ合える仲間がいるからこそ、今はそれが出来る。


「前の副会長とは大違いでござるな!」


 アイザックが何気なく言って笑ったが、その言葉に思わずぎくりとしてしまった。前の副会長というのは、もちろんイグニスのことだ。


「……あなたたち、1年生よね? どうしてそう思うの?」

「リゼル殿が、イグニス殿が副会長のままならば、こうは行かなかったと熱弁していたでござるよ」

「元々はイグニスの手下みたいで嫌なヤツだと思ってたけど、生徒会に入ってから変わったよね、リゼルは」


 話の出所がわかって、少しホッとした。リゼルが生徒会副会長補佐を引き受けてくれたことも、彼自身の判断で機兵を動かし、あの窮地に駆けつけたことは、彼自身が自負しているようにきっと大きな成長になったはずだ。


「……私もそう思うわ」


 リゼルたちの機体、デュークを見上げて同意を示すと、マリーが以前言っていた言葉を思い出した。貴族こそ、民を守るために立ち上がり、戦うべきなのだ。


 多くの貴族がその信念を抱いていれば、あのデモンズアイが出現した直後の大闘技場コロッセオの状況は変わっただろうか。


 たくさんの魔族があの血涙から生まれる前に、本体を叩くことが出来ただろうか。


 そこまで考えて、私は首を横に振った。機兵でも太刀打ち出来なかったものに、生身の人間が立ち向かって勝てるはずもない。死に戦を強いるぐらいなら、潔く逃げ出して正解だったのだ。ただ、そのためにこの街の駐留軍を全て使い果たされたのは、看過できないけれど。


「……エステア殿」


 とりとめもない思考にとらわれていた私に、アイザックが低く声を潜めて呼びかける。


「どうしたの?」


 同じように出来るだけ声を上げずに問いかけると、アイザックは耳と鼻を動かしながら、正門の裏手にある倉庫の方を指差した。


「噂をすれば、なんとやら……。あの人影、恐らく、イグニス殿でござるよ」

「え……?」


 アイザックが視線で示す方を見ると、赤い扉に人影が見えた。けれど、私たちの視線に気がついたのか、すぐに扉が閉ざされ、それが誰か確認することができなかった。


「どうしてあんな所にいるんだろう……。地下通路を使って、逃げてきたのかな?」


 赤い扉の向こうは、地下通路へと続いている。以前にリーフと共に入った貴族寮の裏手にある地下通路と繋がっているもので、カナルフォード学園の広範囲に渡って張り巡らされている。


「あり得る話だと思うわ。アイザック、どう思う?」


 亜人であるアイザックは、私たちよりも目も耳も鼻も利く。出来るだけ多くの情報を得たくて問うと、アイザックは顔を顰めて考えながら紡いだ。


「かなりの怪我をしているようでござった。それにどこか……誤解を恐れずに言うのなら、魔族の臭いがしたでござる」

「まさか、地下通路に残っていた魔族に引きずり込まれたとか……?」


 アイザックの呟きに、ロメオが不安げな顔をする。


「だとすれば、地上に出ようとしていたのに、急に戻った説明がつきそうな気がするでござる」


 アイザックもロメオと同じ意見を持っていた。ここで彼が魔族ではないかと思っていたのは私だけだ。私は、先入観に囚われていた自分を恥じた。


 落ち着いて考えればわかることだと思う。そもそも、光結界魔法アムレートで魔族の姿は蒸発するように掻き消えたのだ。デモンズアイが消えた今も、アムレートはまだ展開を続けている。失われたわけではない。だから、今もこの場に残っているイグニスが魔族だという可能性は限りなく低くなる。


 だが、もしも、あの半円状の結界の効果が文字通り半円状に――すなわち地下には及ばないのだとすれば、話は違ってくる。


 可能性のひとつを探るならば、一度も姿を見せず、正体の掴めない使役者の行方はわからない。使役者は魔族でしかあり得ないのだ。その使役者が地下に潜んでいたのならば、どうだろうか?


 疑わしき事柄を切り分けて考える必要があるかもしれない。ひとつは使役者がイグニスであり、イグニスが魔族であった場合。もうひとつは、使役者が生き残っており、どうにか逃げてきたイグニスに危害を加えようとしている場合だ。


「……確かめなきゃ」


 呟きと同時に、私は殆ど無意識に赤い扉に向けて走り始めていた。


「エステア殿!?」


 私の行動に驚いたアイザックとロメオが叫ぶ声が聞こえる。


「地下通路でイグニスを探します。五分で戻らなければ、リーフたちに知らせて!」


 話しながら奇妙な焦燥感に突き動かされた。急がなければならない。


「しかし、危険でござる!」

「イグニスが魔族の残党に襲われたのかもしれない。だったら、もう時間がないの!」

「わかった。でも、絶対無理はしないで!」


 ロメオが精一杯の大声で私に呼びかける。


「ええ。そのつもりよ」


 振り返った私は、既に遠くなった二人に向けて手を掲げて大きく振ると、赤い扉を目指して駆けた。


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