第296話 決着の時

 開票結果が僕たちにもたらされたのは、一時間後のことだった。


「さぁ~て、開票結果のお知らせでぇ~す! 支持者八割を得て選ばれた生徒会長は――」


 全校生徒の八割の票を獲得したと聞き、生徒たちの間にざわめきが広がる。


「エス――」

「イグニス! イグニス!」

「イグニス様ー!!」


 エステアの名を呼ぶことを許さないと言いたげに、イグニスの取り巻きたちによる大歓声が巻き起こる。声は大きいが、ほとんど同じ声しか聞こえてこないところを考えると、拡声魔法を使っているのだろうな。


「静粛に、静粛にお願いしまぁす!」


 マチルダ先生が生徒達をなだめ、こほん、とひとつ咳をする。広場はしんと水を打ったように静まり返り、その静寂を合図にマチルダ先生が再び口を開いた。


「エステア・シドラ!」


 エステアの名が出た途端、歓声とざわめきが同時に起こった。


「何故だ、どうして……。納得いかないぞ!!」


 ざわめきはほぼ先ほどの拡声魔法と思しきイグニスの取り巻きのものらしく、イグニスの声が学園中に響き渡った。


「おい、どうなっている!」

「わ、私には……」


 イグニスが怒りを露わに教頭に詰め寄ったところで、さすがにまずいと気がついたのか拡声魔法が解除された。だが、もう遅い。


「……納得がいかないというのは、こちらの投票箱についてのことかな?」


 別の拡声魔法によって落ち着いた低い声が広場に響き渡る。マチルダ先生と入れ替わりに壇上に立っているのは、この学園の理事長であるフェリックス伯爵だ。そしてその足許には、二つの投票箱が置かれている。番号は何れも六番だ。


「はぁ!? なんで投票箱が二つもあるんだよ!?」


 いち早く反応したヴァナベルが大声で抗議する。


「ここからは、選挙管理委員の私から説明させて頂きましょう」


 拡声魔導器を手に、フェリックス伯爵に一礼して壇上へ登ったのは、プロフェッサーだった。


「この二つの投票箱は、何らかの偽装工作が行われようとしていた動かぬ証拠です。ある仕掛けのお陰で未然に防ぐことが出来ましたが、『誰がなんのために』行ったのかということは、ここで明らかにしなければなりません」

「え……? 偽装って不正……?」

「なんでそんなこと……」


 プロフェッサーの説明に生徒の間にも動揺が広がる。どの反応を聞いても、不正があるはずがないというよりは、なぜ行われたのかに注視している印象だ。


「今回に限らず、この学園における生徒会とは生徒の自治を示すものです。ひいては平等で平穏である学園生活を基礎とした、更なる学園の発展に寄与して頂くための代表――そこに不正があって当選というような事態は避けるべきでしょう」


 そこまで話して、プロフェッサーは一息吐き、壇上から教頭を見下ろした。


「さて、この六番の投票箱を管理していたのは、我が校の教頭であります。……教頭先生、この意味がわかりますね?」

「わ、罠だ! 私はなにも……」

「そうだ! エステア側の嫌がらせじゃないのか!」


 狼狽する教頭にイグニスが激しく応じる。


「どうでしょうか。現段階では憶測に過ぎませんので、こちらのボックスから証拠を集めたいと思います」


 プロフェッサーは落ち着いた調子でそう言うと、控えていたマチルダ先生に合図した。マチルダ先生は魔法の杖を振り、にこやかに魔法を行使する。


「はぁ~い、解錠、解錠♪」


 二つの箱のうち、一つが解錠され、中から白い投票用紙が飛び出してくる。それらは生徒達の上に舞い降り、手にした生徒らはそれを読み上げ始めた。


「イグニス・デュラン……」

「これもイグニス……」

「エステアが八割の支持を得たのに、これ全部イグニス……?」


 ざっと見ても百枚以上はある投票用紙だ。当選者であるエステアの内訳が正しいとすれば、この偏りはかなり不自然ということになる。


「卑怯だぞ! これは、俺様が不正を行ったと見せかけた罠だ!」

「検めたところ全てにイグニス・デュランの名が書かれていますが、誰が得をするんです?」


 イグニスの叫びに、プロフェッサーが抑揚のない声を返す。イグニスはプロフェッサーを憎々しく睨み、挑むように問いかけた。


「……これが偽物だという証拠でもあるのか?」

「もちろんです。マチルダ先生、お願いします」


 プロフェッサーが唇だけを微笑みのかたちに動かし、マチルダ先生に合図する。


「はぁい♪ じゃあ、みんなのところへとんでけ~♪」


 マチルダ先生が魔法の杖を振るうと、もう一つの投票箱から青色の投票用紙が飛び出し、僕たちに向けてふわふわと飛んできた。


「私の投票用紙! なんで? 紙が青色になってる」

「拙者のも! ロメオ殿のもでござる!」

「どういう仕掛けなんだ? これ、すごいよ!」


 投票用紙を受け取ったのは、1年F組の面々と2年以上の亜人の生徒たちがほとんどだった。


「「リリルルにはわかっていた。これは、我々の自由と勝利を約束する選挙だ」」


 それぞれに驚愕の声を漏らす中、リリルルだけはいつもの調子で投票用紙を手にくるくると踊り出している。


「投票の注意事項を守って、願い――すなわちエーテルを流して頂いたことがよくわかりますね。この投票用紙はエーテルに反応するんです。仕掛けがすぐにわからないよう、遅効性の効果を付与してあります。そしてこちらの投票用紙は、エーテルに反応しない」


 不正に使われた白い投票用紙と正しい投票用紙に、プロフェッサーがわかりやすくエーテルを具現化して流して見せる。片方は程なくして青に変化したが、不正に使われた白い投票用紙は、どれだけ待っても色の変化が訪れなかった。


「ぐ……」

「わ、私はなにも! なにも……」


 押し黙ったイグニスの隣で、教頭が一人慌てふためき、落ち着きなくその場を歩き回っている。その様子にフェリックス伯爵は深く溜息を吐き、首を横に振った。


「残念だが、ここから先は私の管轄外だ。カールマン、イグニス、君たちは越えてはならない一線を越えたようだ」


 フェリックス伯爵が手を挙げて合図すると、あの正門のところに控えていた大人たちがどこからともなく現れ、イグニスと教頭を一斉に包囲した。


「な、何故ここに公安部隊が!?」


 教頭が叫ぶのを聞き、僕とアルフェは顔を見合わせる。


「……あ、あれ保護者の人たちじゃなかったんだ……」

「そうみたいだね」


 プロフェッサーの正体を知っている僕としては、こういうこともあるだろうな、という理解だけれど、誰もが驚いた様子で二人から距離を取っていく。


「……このような事態となっては、学園としても黙っているわけにはいかない。カールマンは本日をもって懲戒解雇とする。イグニス……デュラン家の貢献を鑑みれば心苦しいが、君のお父様にはもう話をつけさせて頂いた。処遇が決まるまで謹慎処分とする」

「はっ!? なにを!? 父がそんな処遇を認めるはずが……!」

「従いたまえ」


 冷徹な理事長の視線にイグニスが押し黙る。波乱のうちに生徒会総選挙は幕を閉じた。


 教頭はともかく、イグニスは簡単に学園を追放されないだろうから、また戻ってくるだろう。そう思うと、エステアが大勝したとはいえ、この先も思いやられるな。


「……終わったんだね……」


 公安部隊に連行されていく教頭とイグニスを見送りながら、ざわめきの中でアルフェが呟く。


「そうだね」


 長かった生徒会総選挙も、イグニスとの戦いもこれで一段落といったところだろう。ここからがやっと、エステアのスタートラインだ。エステアは既にたくさんの生徒に囲まれ、お祝いの言葉を向けられている。メルアもマリーもその中心にいて、やり遂げた清々しい笑顔を見せているのが見えた。


「……マスター」

「いいよ。お祝いに行っておいで、ホム。僕もすぐに行く」


 ホムは頷き、居ても立ってもいられない様子でエステアの元へと駆けて行く。エステアもホムに気づいたのか、両手を大きく広げてホムを迎える。ホムはその腕の中に迷わず飛び込んでいった。


「……これで良かったんだよね、リーフ」


 幸せそうなエステアたちを遠目に見ながら、アルフェが静かに問いかけてくる。


「まあ、イグニスと教頭は自業自得だからね」


 先は思いやられるが、今は、アルフェと皆と一緒に、エステアの勝利というこの喜びを分かち合おう。その先を考えるのは、多分僕の仕事だ。それは明日からだっていい。


「僕たちも行こう、アルフェ」

「うん!」


 僕が伸ばした手をアルフェが強く握りしめる。僕はアルフェに導かれて、エステアを囲む輪の中に飛び込んでいった。


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