第292話 生徒会長候補の演説
生徒会総選挙の選挙活動最終日。
演説のあと正午から投票が開始されるということで、僕たちは早々と会場である講堂に集まった。その場で練習する余裕はないので、配置と機材を確認する程度だったのだが、それもマリーと執事のジョスランが完璧にこなしてくれていたので、特に心配もない。
「何から何までありがとう、マリー」
「
マリーが胸を張って言い切ってくれたことで、エステアの表情も和らいだ。友人とはいえ、常に感謝の気持ちを持ち、成すこと全てに敬意を払っているのが窺えて微笑ましい。ホムがエステアとの仲を急速に深めているのも、そのあたりの信頼関係が大きいのだろうな。昨日も二人で練習をしていたのが、僕としても嬉しかった。
「今日に限ってはぶっつけ本番ですけど、みなさん覚悟はよろしくて?」
「にゃははっ! 大丈夫なように練習してきたし、今朝は寮で朝練したからな」
「うん。声、ばっちり出ると思うよ!」
ファラが明るく答えてアルフェもそれに続く。人前だと緊張しがちだったアルフェも、みんなと一緒だからということもあって、今日はライブを楽しみにしているのがよくわかった。
「大丈夫そうだね、アルフェ?」
「リーフ」
僕が問いかけると、アルフェが手を差し出してきた。手を握ると少し震えているのがわかる。
「しばらくこのままでいようか」
「うん」
アルフェが頷き、僕の手を握り返す。自惚れかもしれないけれど、こうして僕が傍にいることや、相談に乗ったことでアルフェの助けや自信になっているのなら、なによりだ。
「……ホムは大丈夫?」
「マスターとエステアがついていますから」
「それなら平気ね」
ホムが応えるとエステアが微笑んだ。
「エステアは平気なのですか?」
「みんながいる。これほど心強いものはないわ」
「ふふふっ、これぞ青春! これぞ友情ですわぁ~!」
マリーが目を潤ませて胸の前で手を組み、左右に身体を揺らしている。もうすぐ本番ということもあり、そわそわした様子だ。
「さっ、そろそろ演説が始まるよ~。イグニスの長~い演説はともかく、エステアはばしっと決めてよね!」
「ええ、任せて」
メルアの激励にエステアが笑顔で応える。この調子なら大丈夫そうだ。あとは僕たちがライブでしっかり演奏をやり切るだけだな。僕がそう考えているのを察してか、マリーがこちらを見て楽しげな笑顔を見せた。
「で、その後は
「え? 講堂で花火?」
マリーの表現にアルフェが驚いたような声を上げる。マリーは頬に手の甲を添えて高く笑い、機嫌良く応えた。
「たとえですわぁ~! まあ、余裕があればちょっと魔法で演出くらいはしたいですけど」
「イグニスがどんな妨害をするかわかりませんからね」
マリーの言葉の裏を感じ取ったホムが、険しい顔で講堂の方を見遣っている。それもそのはず、イグニスが取り巻きを引き連れて講堂にやってきたのだ。
「イグニス様ー!」
「イグニス様に悲願の達成を!」
「イグニス! イグニス!」
歓声と拍手が起こってはいるが、明らかに熱狂しているという感じではなかった。どちらかと言えば、脅されてて仕方なく演じていると言った方がしっくりきそうだ。
多分、イグニスのことだから、デュラン家の名を出して多くの貴族寮の生徒に応援と投票を無理強いしているのだろうな。こんなやり方で当選したとしても、生徒会は良くなるどころか必ず悪くなるということは、この学園の利発な生徒ならもう感じ取っているだろう。
講堂に全校生徒が集まったところで、予定通りの演説が行われた。
最初に壇上に上がったのはイグニスだった。イグニスは今日のために仕立てたと思われる真新しい正装に身を包み、いかにも高貴な身分であることをその出で立ちで表現している。
「諸君が知っているように、この学園には二種類の人種が存在する。我々選ばれた貴族階級と、それ以外の平民階級の民だ。学園の創立時より、我々貴族階級は自らが優れた才能とそれに付随する栄誉や富を使い、今日この時までの学園を支え続けていることは、曲げようのない事実である。伝統と血統を重んじる我々に出来ることは、それを絶やすことなく受け継ぎ、強く結びつけて発展させ、この学園に更なる栄光をもたらすことであることは自明だ」
予想以上に落ち着き払った声で、イグニスは適切に抑揚をつけながら生徒たちに訴えかけている。普段のイグニスの言動からは考えられない、理知に富んでいるような印象を抱かせる話し方だ。
「げ……っ。なんかマトモじゃん……?」
傍らのメルアが驚きを隠せずに思わず呟いている。僕はそれに頷き、イグニスの次の言葉に注意して耳を傾けた。イグニスはイグニスなりに戦略を考えている。そしてそれは、全校生徒の今の反応を見る限り、かなり成功しているのだ。
「さて、果たしてその重役を誰が担うかと言えば、この俺、デュラン家の由緒ある血統を継ぐイグニス・デュラン以外にないことをここに宣言しよう。先に行われた
一瞥したエステアの表情には焦りが見て取れた。僕たちは何も言わない――言えない。この場でどう足掻こうが、これまで準備してきたことの方向性は変えられない。やろうとしてきた自分たちの信念を貫くしかないのだ。
僕たちの沈黙は、僕たちなりの戦い方だ。メルアが最初に動揺の呟きをしてくれた分、僕は冷静になれた。
一見まともなことを言っているようなイグニスのその根本思想は危険だ。それだけは揺るぎないと注意して聞き取れば感じ取れる。
「最後にもう一人の立候補者、エステア・シドラについて述べたいと思う。前回の総選挙の後、惜しくも副会長の座に甘んじた俺だが、彼女から多くの平民寄りの意見を得て、度々衝突を繰り返した。今思えば、それは貴重で得がたい時間であったと思う。無駄なことなどなにもない。生徒会会長としてこの場に君臨し、この学園と生徒諸君の真の発展と栄光を願うならば、我がデュラン家の追い風を大きく吹かせることのできるこの俺がリーダーシップを発揮する以外にない。平民が束になったところで、この追い風に勝るものはないことは、聡明な諸君ならばわかってくれるだろう。理性的に、今後のためとなるのはどの候補者か、その目でしかと見極めて投票して頂きたい。……以上」
イグニスは淀みなく演説を終えると、堂々とした面持ちで全校生徒を見渡している。その視線は多分F組として差別対象とした僕たちを見下すものなんだろうな。それだけは感じ取れる。
ただ、他のA~E組の生徒たちの反応は上々なようで、入場時とは違った大きな拍手の音が響き渡った。
「皆、イグニス様に投票しろ! 絶対だぞ!」
「イグニス様、この学園を宜しくお願いします!」
取り巻きに散々持ち上げられたイグニスは、満足げな笑みを浮かべ、優越感に浸ったようなゆっくりとした歩みで壇上を後にする。
「いいか、良く聞け。こんな演説にライブをするなんてチャラチャラしたヤツに、イグニス様が負けるなら、この学園の生徒は余程――」
「実際負けてんだろ!」
白熱する取り巻きの声に誰かの野次が入る。
「今のは誰だ!?」
イグニスが素早く反応して睨み付けたが、誰も名乗り出なかった。まあ、僕には声でヴァナベルだとすぐにわかったけれど。
「……相手を陥れるような発言をする、それが平民のやり方のようだ。こちらはあくまで公平に品よくやらせてもらう。ライブなどというお遊びに惑わされはしないぞ」
イグニスが鋭い声で警告し、取り巻きに囲まれてその場を後にする。あくまでエステアの演説やライブを聞くつもりはないということだ。
「イ……イグニス、イグニス!」
「イグニス様!」
「イグニス! イグニス!」
ヴァナベルの野次に触発されてか、生徒の間からイグニスを讃える声が響き始める。それは瞬く間に輪を成して講堂中に響き渡り、激励と支持を受けたイグニスは満足げに片手を挙げて応じて生徒たちの間を進んでいく。
「……すごかったね……」
感心しているというよりは、驚きを強く滲ませたアルフェが震える声で呟く。
「そうだね。イグニスにしてはまともな発言だった」
正直なところ、こんな演説をされるとは思っていなかったので、僕自身も驚かされた。言葉の端々に差別意識があるのは拭えないけれど、この学園自体、貴族の割合がかなり多いので差別を受けたと感じて投票を避ける者が続出するような雰囲気ではない。
なにより、絶対に口に出さないだろうと思っていた
まあ、考えてみればこれほどまでに影響力のあるデュラン家の令息たるイグニスが、二年連続敗退ということは、デュラン家の名誉をかけてでも避けなければならない事態なのだろう。そのためには、デュラン家も絡み、大きな資金援助などの話ももちかけられているはずだ。だが、幸いなことに決定権は僕たち生徒の側にある。
次のエステアの演説で――僕たち
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